「隣人13号」

井上三太



 小学生時代にいじめられた村崎十三が転勤先の職場で十年ぶりに再会したいじめっ子・赤井は、今では所帯を持ち幸福な日々を過ごしていた・・・そしてすっかり十三を忘れている赤井に、「隣人」の激情が爆発する・・・復讐劇という枠では収まりきれない、作者・井上三太の仮借なき殺戮が読者を掴んで離さなず戦慄の世界に引きずり込み、気がつけば読み終わっているという圧倒的スピード感に満ちた作品。
 「いじめ」っていうのは、私の中では決して一笑できない問題です。過去にそういう体験に遭遇したわけではありません。振り返ってみれば、あれはいじめられていたのだな、と思える出来事がないわけではありませんが、自殺を考えるほどの苦悩に砕身することはなく、鈍感な少年だったのでしょう、のほほんと生きていました。ですが、忘れられない人の死を体験しています。その女性は当時13歳、私とは一面識もありません。廊下ですれ違ったことはひょっとしたらあるかもしれませんが、そんなことはどうでもいいことですね。違うクラスであったために、彼女が死ぬまでその存在すら知りませんでした。中学二年生になって間もない四月の事です・・・。
 その日、校内の雰囲気はいつもより一層静かでした。噂話のように、同学年の何組の女子が亡くなった、と伝聞され、ああ、気の毒なこったと思いながら、全校集会が開かれて校長がそれを報告したものの、その日は何故死んだのか知らされないまま、家庭訪問の期間だったこともあって午前中で授業が終わました。翌日の校内は不気味なくらい閑寂としていて、朝からただならぬ気配が学校を支配していました。教室に入って、私はその女子が自殺したと級友に知らされ、新聞に載っていたよという言に従ってその級友と図書館に走りました。廊下に人影はまばらで、それもまた怖いくらいでした。それを確認した私は、戻りながら級友のどこかの記者にいろいろ訊かれたという話を聞くに及んで、自殺の原因が新聞に書かれていたとおりだと確信したのです。
 いじめでした。朝、自室で首を吊っているところを母親に発見され、すでに亡くなっていたといいます。遺書もありました。二年生になって書かされた「二年生への決意・希望・抱負」という文章では、目標のひとつに「自分でできることは自分できめて毎日実行していきたい」と書き、間もなく自殺したわけで、なんとも名状しにくい気分になります。遺書の内容は、自分がどのようないじめを受けたか、誰にいじめられたかを綴り、最後にはこれまで自分を気遣ってくれた人々への「ありがとう」という言葉が続きますが、追伸のように書かれた最後の一文はそれが自殺した人の言葉だけに痛切です、「みんな 人の気持ちわかってほしかった。ひどい」。生々しいくらいです、これを書いている今でさえ、その現実味ある一文に猛省しきりで情けないです。
 その死を契機に、学校ではたびたび集会が催されて話し合ったり、または各クラスで討論したり、ということがあったのは容易に考えられるでしょう。細かな内容はすっかり忘れてしまいましたが、私にとって、私の人生にとって、この出来事は分岐点でした。今の私があるのは彼女の死があってこそ、とは決して大仰な物言いではなく、私自身が自覚する現実です。
 自分の言動に責任を持てない輩のなんと多いことか、という憤りがあります。「隣人13号」では、物語の序盤から13号の衝動的な殺人に慄く一方で、赤井の「かつて不良してた」という居丈高な態度に違う慄きを覚えます。それは学生時代の悪行、万引きした・恐喝した・だれそれ殴った・自転車盗んだ・煙草吸った・酒飲んで酔っ払った・・・・そういうことをへっちゃらな顔をして話す連中に私は嫌悪していて、劇中の赤井は、架空の人物でありながらとても腹立たしく、13号に苦しめられる姿は実に爽快で、もっとやってしまえ、という衝動がありました。長じた赤井は、小学生時代と変わらぬ無神経さで新入社員の十三をかつていじめた十三と知らずにいじめますが、それがまた私の激情を刺激しました。ですから、この作品は13号という暴力的な人格にいじめられる十三の姿も同時に描き、自分自身に苦しめられるという逃れられない因果があって、読者は13号の凶行について行けずに嫌悪して、赤井一人に復讐するためにどうしてそこまでするのか、という当然の疑問を生じさせますけれども、私には逆に十三のいじいじしたもどかしささえ腹立たしく、そこにはフィクションだから出来る勝手が前提としてあるのですが、私は13号の繰り返す殺人に魅入られました。終盤では赤井の息子が13号に殺されますが、この分だと赤井の妻・のぞみも殺すだろうという予感もありましたが、作者はそこまで13号を暴走させられなかったようです(十三はのぞみに惚れていましたから、13号が彼女を殺せば、十三と13号の対決が描けたんじゃないか、そうなればもっと複雑な展開になって収拾つかなしなったかもしれませんが、どうせなら物語自体を13号に壊して欲しかったし、井上三太ならそれが出来たと思います。そういうことを許せる作家ですしね)。
 ラストは13号と赤井の対決ですが、個人的につまらないです。なんかもっとめちゃくちゃに、お互いボロボロになってまで殴り合い、走り、そして消耗して欲しかったですね。最後のほうは、13号がほとんど不死身になっていて、それが作者の狙いなんでしょうが、十三の影が薄れてしまって復讐しているという感じではなくなっています。13号は赤井の謝罪の言葉であっさり死んでしまいますが、元に戻った十三に赤井を殴らせるくらいの演出が欲しかったです、はい。
 さて、中学生当時の私が「いじめ」の問題にどういう結論を得たかというと、「いじめなんてなくなりゃしない、結局ひとりひとりの良心に頼るしかない」という実に冷めたものでした。当然、担任の教師から「人道的」な反発を食らったが、同時に私ほど「いじめ」について考えつづけた生徒はいなかったという、なるほど、これからも考えつづけよう。

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