「流血鬼」

小学館 藤子不二雄少年SF短編集 第2巻収載他

藤子・F・不二雄



 ものの見方、価値観というものに惑わされることがあります。自分の経験と知識・築き上げた能力などによって価値観というものが形成されていつしか牙城となって個人が完成します。青空に浮かぶ雲を眺めてみましょう。あれは何?と問われれば、牙城を持つ人は「あれは巻雲」とか「積乱雲」とか答えるでしょう。牙城を持たない人、子供はどう答えるでしょうか。「・・・の顔」「車」「飛行機」「恐竜」と形状から連想される言葉を発しそうです。さて、あらためて牙城を持つ人に訊きましょう、「あの人は何?」と。すると、なにやら怪しい冠詞でもつけて「あの人は黒人」「あの人は白人」「あの人は黄色人」「あの人は・・・」と色分けし、さらに「美しい」「醜い」、「頭が良さそう」「頭が悪そう」と見た目で判断しそうです。では、「黄色人で醜く頭が悪そう」な人に訊いてみましょう、「あの人は何?」と。
 あの人は旧人類です。生物学の見地から、まず大変もろい構造です。五分ほど息を止めてみるもよし、鋭利なもので胸を数回刺し貫くもよし、頭をつぶすもよし、青酸カリを服用させるもよし、およそ高等生物とは呼び難い弱弱しい存在です。能力もたいしたことはありません。まず、頑固です。彼らはそれを「自尊心」とか「誇り」とか「プライド」「矜持」などと名付けて格好をつけたつもりになっていますが、要するに自己の言動に常に言い訳を与える道具にすぎません。御覧なさい、私を見て勝ち誇ったような表情をしています。自分の自尊心に酔っているのです、俺はあいつより優れている、と。ためしに私とまったく同じ外見にしてみましょうか。さて、どうなることでしょうね、彼の価値観はどうなってしまうかな。
 致死率百パーセントのウイルスによって絶滅に瀕する人間たちの希望なき戦い。敵はウイルスによって吸血鬼と化した元人間の群れ、その中には、見知った顔もちらほら見える。少数となりながらも、人間の反抗をわずかな光明に吸血鬼を殺しつづける主人公の少年は、吸血鬼を見てこう言いました。「化け物! 血を吸って人間を殺すくせに」。少年は吸血鬼を殺します。胸に杭を刺し、刺し続けて返り血にまみれながら、少年は気付きませんでした、自分の恐ろしい姿に。自分とはあまりに異質な存在に対する嫌悪、そして自分という存在に対する執着心が高じた結果、少年は吸血鬼と呼んだ幼馴染の少女に言われます。「わたしたちが吸血鬼なら、あなたは流血鬼よ」
 相手の価値観は相手の立場に立たなければ理解できないのでしょうか。劇中で語られる人間つまり旧人類のもがく姿は、新人類である吸血鬼にとっては実に儚く滑稽で、あまりに弱弱しいくらいのか細いものです。非力で生命力もなく、簡単に死んでしまう。それでも少年は旧人類であることに誇りを持ち、吸血鬼になるくらいなら死んだほうがましだと勇ましく、自分よりはるかに優れた新人類を誹謗し殺します。少年は実に「人間らしい」と言えるでしょう。「人間らしい、傲岸不遜な態度」でしょう。
 ひとつの言葉を紹介します。私には自戒を込めた口癖のようになっていますが、「夜郎自大」という言葉です。人間が高等生物だと威張っているのも所詮はちっぽけな地球の中でのことですね。もし、人間より優れたあるいは力のある生物が現れたとしても、人間は人間であることにこだわりつづけてあっさりと滅ぼされてしまうかもしれません。結局、個人の持つ価値観なんてたかが知れているようです。少年は幼馴染の少女に吸血鬼にされ、どうして人間にこだわったのか、そのばかばかしさを明るく輝いている優しい光に包まれた星空に見出して、「気がつかなかった」と少年は言います。何に気づかなかったのか。それは相手を理解しようとしない自分の浅薄さ、自己中心の狭隘な視野、そして自分にこだわるくだらない自尊心。
 私と同じ外見になったあの人はどうなったでしょうか。考え方も同じになるのでしょうか。価値観まで一致するとは思えませんが、少なくとも、私を見て笑うことはないでしょう。はっきり言って、私より優れた人はたくさんいますし、私より劣った人もたくさんいます。でも、みな一長一短。相手に自分より劣った点がたった一個あっただけで勝った顔をする人を憐れみましょう。でも、そういう人はやっぱりたくさんいるもので、十字架を嫌うというだけで存在を許されないような、流行を知らないだけで今の時代を生きていないと思われるような。あの人が知っていて私の知らない楽しみがあるように、私はあなたの知らない楽しみを知っています。人なんてそんなもの、腐った価値観は捨てちゃって、自尊心というしがらみは捨てちゃって、もう少し理解しようとしませんか、旧人類の皆さん・・・
 価値観なんて環境の変化に伴って変わるものだというのに、旧人類はいまこの瞬間も誰かを見くびり、誰かを侮り、誰かを罵り、誰かを否定し、誰かを笑ってバカにしているのでしょうか。そんなことをしていると、首を噛まれますよ。

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