「3月のライオン」第5巻 肌の感触

白泉社 JETS COMICS

羽海野チカ



 将棋の対局の様子を、将棋を知らない人に説明するときに最も適した表現はなんだろうか。テニスとかボクシングとかの1対1のスポーツ、あるいは長距離ランナー、喩えるとなると難しい。羽海野チカ「3月のライオン」が選んで比喩は、殴り合いだった。ボクシングというわけでもない、ガチンコ勝負という語感から作者の脳裏には総合格闘技もちらついているやも知れないが、特定の競技というよりも、互いに暗黙のルールの上で、素手で殴り合っているという印象が語気に漂っている。
 5巻で描かれる宗谷対隈倉の名人戦をキャラクターたちはかように表現する。「宗谷くん かわいい顔して骨砕きに来るからね」「正面切って殴り合って 勝てるなら殴るけどね」「思い切って技をかけても怪我しない」「全力で殴っても同じ位の力で殴り返してくれる」「相手の事を力いっぱいブン回しても壊れないおもちゃだと思っているからな」
 あるいは名人戦観戦中の桐山たちのいる部屋に入ってきた後藤。彼は島田とタイトル戦の挑戦者決定戦で激闘していた。後藤は「リングに上がりもしねーで 野次だけ飛ばすヤツを見ると 虫酸が走るんだよ」と語る。主人公の桐山にとって、後藤とは過去に因縁があった。義姉の香子と付き合う妻子持ちの後藤に詰め寄ったと思われる回想場面で、桐山は口から血を流し、殴られたことが察せられる。体躯に勝る後藤は桐山をさらに拳で殴った。比喩ではなく本当の痛み・感触だが、桐山がその痛みを思い出した様子はない。一方、電話が入って部屋から出て行く後藤、外で待っていたのは香子だった。香子は後藤の軽口にイラついて右ストレートを突き出した。難なくそれを受け止める後藤の、何かを思い出したような表情がカットインされる。後藤が桐山をそのときに思い出したのかどうかは定かではない。だが、彼は将棋盤の上で殴られる棋士としての本当の痛みを知っているはずだ。「素手で殴るよか おもしろそうだしな」(3巻の後藤のセリフ)。比喩にしろなんにしろ、殴るという言葉には、それだけの重みがある。また、老棋士・松永との対局を前にした桐山に、香子は「長生きして老いた犬の首をしめに行くようなものだものね」と言い放ち、動揺を誘っている。
 桐山はどうだろうか。これまでの彼の対局には勝ちも負けも描かれるが、殴るという比喩が用いられた場面は少ないし、一方的に殴られて負けた場面も描かれていない。ただ、彼は素手で殴る感触を知らないわけではない。第1話である。
 義父である幸田との対局が描かれる本編最初の対局場面、桐山は幸田から父親としての視線を感じながらも勝利した(夕方前に対局が終了していることから、それほどの手数もかかっていないのだろう。だからといって桐山の快勝譜というわけではないだろうけど)。桐山はこの勝ちを、テレビで流されている息子が父親を殴り殺したというニュースを耳にしながら、「一手一手 まるで 素手で殴っているような感触がした」と回想した。
 プロ棋士を扱っている以上、盤上での殴り合いは今後も描かれていくことだろうけど、そこで選択された言葉には、作者の将棋観が滲んでいるのは間違いないし、第1話の比喩は極めて象徴的である。おそらく、生身でぶつかり合わなければ分かり合えないコミュニケーションがあるという信念があるのだろう。人と人との交流には、真剣さが求められ、時には傷つくことだってある。でも、それを乗り越えたからこそ生まれる感情があると信じている。
 相手を無視した将棋、相手と向き合わず過去の棋譜ばかり見て臨む対局、それが桐山の将棋だった。小さい頃にロボットみたいと周囲に言われたのも、彼が相手の感情を考えないからだ。相手はただ駒を動かす何者かであって、その人間が背後に抱えている人生にまで思い及ばない。桐山は、香子や二海堂を通して、島田との研究会を通して、クラブ活動を通して、相手の肌の温度を少しずつ意識し始めた。もちろん、そうした呼びかけは川本三姉妹が物語の最初から行っていた。たびたび夕飯に誘い、桐山の心労を察して安心できる場を与え続けた。
 転校したちほに思いを馳せた時、それを笑う同級生にひなたが掴みかかったのも、彼女が肌の温度を知っているからだ。泣くももを抱き上げては背中を撫で、祖父に肩を寄せて和菓子について語り、クラスで疎まれるちほを支えようと身体を張った。ひなたにとってコミュニケーションとは、人と顔を向き合わせてから始まるものだった。けれども、同級生たちは顔をそらし続け、挙句の果てに靴を隠すという陰湿な行為にまで及んでしまう。互いに傷つくことを恐れる仲間たちにとって、ひなたの手を振って声を掛ける全身を使った正直な言動は、振り上げた拳に見えたのかもしれない。
 第50話から印象付けられた靴の話題。敗戦に悔しくて壁を蹴破ったという隈倉の身体の大きさ・足のでかさに触れつつ、靴は人の個性の一端であることを物語り、もものサンダルネタにユーモアを交えつつも、どこか落ち込んでいる風なひなたの表情だった。靴を失うということは、個性の一部を失うということなのだろう。川本家の玄関に並んだ靴を前に、学校の上履きとスリッパで帰宅したひなたの足元が痛々しいのは、その汚れ具合によるものだけではないのである。あかりが銀座で働くときに履いている靴か・または爺さんの靴か、ももの小さな靴、桐山の紐靴などが並ぶのと比べざるを得ない構図が、読者にも彼女の辛さが染みよう。
 コンビニに行くと言って駆け出した1巻のひなたを、爺さんに言われて追いかけると、川岸で泣いていた。今回の挙に対しても、彼女はそこに向かって走った。桐山は自ら彼女を追いかけて、誓うのであった。「桐山くん」「零くん」「零ちゃん」と少しずつ柔らかくなっていった桐山を呼びかけるひなたの声、メールでお誘いした夕飯も直接電話を掛けて誘うひなたの笑顔。殴る痛さではなく、いたわりや優しさを肌に感じる相手が彼女かどうかはまだわからないが、そのような相手が現れたとき、桐山は身の内に棲む棋士という獣の御し方を手にいれ、人にも優しくなれるのかもしれない。
(2010.12.09)

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