反逆しない大衆

講談社 モーニングKC「サトラレ」第1巻第6話より

佐藤マコト



 絵についてどうこういう以前に話の内容だけで感嘆してしまう漫画があるから困る、というか面白い、それが「サトラレ」。評判については諸々の人気サイトで語られているから、こちらは零細らしく気ままに作者さえ考えなかっただろう視点から作品世界を妄想してみようと思う。
 作者の主張がもっとも前面に押し出されている第6話を読めば、作品世界の基底をなしている性善説を感じ取れよう。一方でこの話の主人公・木下を通して直接にサトラレという存在の問題点(作品自体の現実感を揺るがしかねないもの)が語られる、「人間はどうしようもない」といっていた彼が「人間はまだまだ捨てたものじゃない」とサトラレによって悟ることになるわけだ。重要なのはさらに振り子で説明された見えにくい善意。サトラレの場合は悪意も含めた感情全てが周囲に漏れ伝わるが、善意も同様の力で伝えられるから、サトラレがいかにとっぴな存在かわかるというものだ。つまり一般人の善意はほとんど知られないどころか興味さえもたれないというのに、サトラレに限ってはそれが一切ないということ。しかもサトラレを囲む人々はお互いのサトラレに対する善意を感じ取ってしまうわけだから、サトラレ一個の存在がいかにばかでかいかを実感してしまう。
 本来考えてしかるべき他人への思いやり・お互い様という謙虚な気持ちは、日常の雑務や無恥によって捨てられて非常に信じがたいほどの自己主張のうっとうしさに町中が覆われているが、サトラレがそこにひとり現れただけで社会が一変してしまうこの力は一体なんだろうか。
 作品世界に私が憧れてしまった、という発言は滑稽な表明だけれども、それだけ現実の社会の無恥無知さに辟易しているという感が強いからだ。私たちの生活は多くの技術によって支えられているし、多くの人がそれを使って恩恵を受け、日々を楽しんでいるものの、そこには実に普通の人らしい浅はかな態度というものもあって、この優れた技術を使えるか使えないかによってばかにしたりうらやんだりするだけの下司な応酬に終始するのみで、技術を生み出せやしない己に対する省察がこれっぽっちもないのである。彼ら大衆が口にすることといえば「おもしろい」「つまらない」「すごい」といった安易な形容詞の羅列であり、不満を述べて技術の改善を要求したところで自分で改善しようとはしない。それだけの技能を持ち合わせていない己をばかだとも思わない、むしろ当然の主張、われわれの権利だと訴えて止まない。呆れるくらいの倣岸さで自己を押しとおす彼らは、大声で携帯電話をする連中が適例だ。彼らが倣岸な理由は、ひとえに携帯電話という技術を理解していないからである。彼らは使い方を知っているだけで、それがいかにして作られたかを知らない。そもそも誰がどう作ったか、どんな技術者たちが開発したのかという疑問さえ抱かない。充分な恩恵を授かりながら一向に感謝しない。
 木下は冒頭で「誰かがしっかりとカジ取りをしなければ、この国はどこへ行くのか解らない」と言う。彼の本音を妄想すれば「この国を動かしているのは俺たち官僚だ」というところだろう。確かに作品世界も現実世界同様に国を動かしているのは政治家であり彼らだと思う。しかし、作品の社会を動かしているのも果たして彼らだろうか。読めば即答できる、そう彼らではない、サトラレだ。現実世界ではありえないが、作品世界では社会を動かしている才能・生活を発展させる様々な賜物(そこには人々の生活を改善したい便利にしたいという善意があるはずだ。仮に、彼ら天才にその気持ちがなくとも、人々はその技能に感謝せずにいられない。)が誰によってもたらされたかが常識になっているし、いずれ社会・生活を発展させる技術の開発やリアルな人間ドラマを見せてくれることも知っている、凡人には到底到達しようのない・嫉妬するのもばかばかしいほどの天才(あるいは真の貴族)であることも承知しているからこそ尊敬するしかないのだ。これが憧れずにいられようか。木下の「国民に依存し過ぎる警備体制」も憂慮に過ぎなかったことが彼自身の体験によって明かされ、同時に人々の善意を痛感して心を入れ替える件もサトラレが社会に与える影響を考えれば、ほとんど理想郷のようにさえ思えてしまう。また、木下の言から察するに諸外国ではサトラレを国家がしっかりと管理し社会と隔絶した環境で研究に打ち込ませようとしているらしいが、最悪の極みである。社会が生んだ才能を社会から隔離して、どうやって才能を社会の役に立たせようというのか。それは国家の利益にはなろう、だが、社会を知らない才能なんて、現実の技術に対して無関心な連中と何ら変わりない。暴挙だ。
 さてしかし、いい加減に妄想を中断して現実に立ち返れば、今最も感謝しなければならない才能が、この作品を生んだ漫画家・佐藤マコトであることになんら疑いはない。ありがとう、佐藤マコト氏、ほんとに素晴らしい物語をありがとう、ありがとう!
(参考文献:オルテガ・イ・ガセット「大衆の反逆」神吉敬三訳 ちくま学芸文庫)



戻る