「世界の終わりには君と一緒に」

初出 コミック・ギガ1990年7月24日号〜1991年9月24日号掲載分及び描き下ろし(主婦と生活社「GIGA COMICS DX」より「世界の終わりには君と一緒に」上・下巻として1992年3月1日初版発行。他に桜沢エリカ選集にも収録されている)
作者 桜沢エリカ


 桜沢エリカの代表作といえば「メイキン・ハッピィ」なんでしょうが、私は「世界の…」が一番お気に入りです。もっとも数作品しか読んでいませんからファンの皆さんには失礼な内容になるかもしれないことをあらかじめ言っておきます。
 さて、この作品ですが、彼女の作品では数少ない男性が主人公の物語です。前田啓司22歳の自堕落な日々に絡む雑多な登場人物の配し方にはやや問題ありそうですが、作品の上ではさしたる障害になっていませんので大目に見ましょう。
 物語の軸は競馬です。競馬歴3年の主人公ケイジ、啓司を兄ほどに慕うテツオ、そして金を貯めるために競馬をする瑞穂。競馬によって結ばれた複数の登場人物が、それぞれの過去・実生活に抱える面倒な問題によって生じた心の穴を埋め合わせるようにもたれあい、傍目にはだらしなくいい加減で不真面目ながらも懸命に生きようとしている。それなりに友人関係が豊富で適当に遊べる日々を過ごしていても「もし世界の終わりが来たとしたら、今の最低な気持ちのままではあんまりだ」という空虚なケイジの冒頭の独白から、抜けきれない淋しさが底辺に澱んでいるのがわかります。「あとがき」によれば、作者は主人公をひどく悪い男として描きたかったようですが、第一話の独白で失敗していますね。これでケイジの方向性というか、架空の存在だけどすでに一人歩きしていて「淋しさ」を秘めたまま物語を展開せざるを得ない、作者がこの辺りを自覚していたかはわかりませんが、この時点で結末は半ば決まってしまったようなものでしょう。
 序盤はケイジとテツオの競馬の日々に金持ち馬主の綾子とケイジのアパートに居候するミイコの二人の女性が絡み、これまで大して刺激のなかった彼らの日常は俄かに揺れ始めます。綾子という人物はこの作品の唯一の汚点というか、なんだかはっきりしない人物なんですが、他の登場人物より魅力に劣り、当初はケイジと綾子が恋愛関係に至るのかと独り合点した私がばかでした。
 金のないケイジにとっての最大関心事は当然「金がほしい」であり、スポンサーとしてミイコと綾子が名乗りをあげます。ケイジはその金を競馬につぎ込むわけで悪い男ですが、作者の絵ではどうしても悪い人に見えない。少女漫画の欠点をこの辺引きずっているようです、普通の顔した普通の人物・平凡な人が書けない、そのかわりブスや美人の書き方は惚れ惚れするんですが。この作品は(連載は1990年頃)岡崎京子の影響を知ってか知らずか受けていたようで、陽気な退廃というか、光り輝く地獄というか、淋しさに加えてそういうものも底辺に潜んでいて、笑って読みながらも何故か一向に晴れない心が読後にあって、不思議な感覚があると思います。今でこそ独自の作風を確立し、そうした雰囲気をファッションに求めた結果、構成やコマ割が洗練され近作「ケセランパサラン」は話自体は平凡ですが雰囲気だけで読ませる力がある。
 閑話休題。ミイコのアイデアから偽のクスリを売って大金を得て後、物語に弾みがつきます。テツオの幼馴染・征也とケイジの後輩・ジョーの登場です。ここでケイジの過去が明らかになると同時に、征也のキレやすい性格が描かれてラストの伏線になります。(私は作品を読むときに結構伏線を気にする方でして、それがあとで付け足された結果伏線になったものだとしても、読者に登場人物の行動を明確に動機付けるにはあらかじめその辺の描写が必要だと思います。つまり説得力のある話がどうかということですね。そういうわけで、この作品の結末に文句はありません。)ケイジの過去とは、恋人を交通事故で亡くしているということですが、劇中でどう生かされているか曖昧ですが後ではっきりします。
 ケイジが就職活動をはじめるのも束の間に綾子の依頼でパーティーの主催者を任されます。そのパーティーでテツオと引っ付くことになるオカマのマリリン、そして瑞穂が登場します。瑞穂とケイジはやがて惹かれあいます、きっかけは競馬です。これまでいい加減な男という印象ばかり残す行動をしてきたケイジが競馬場で瑞穂(と読者)に初めて見せた虚無感・孤独感に満ちた真面目な言葉(恋人を事故で亡くした過去が反映されています)、しかしそれを話すケイジは微笑しています。次に瑞穂がケイジに自分の夢・お金を貯めてジャマイカに行くことを語るに至ってからの二人のキスシーンの演出はさすが桜沢エリカですね、長けています。
 二人の関係に気分が悪いのはミイコです。いよいよ喧嘩してミイコとケイジのあやふやな関係は終わりますが、ケイジの日常はミイコが現れる以前の生活に戻っただけで、ここからケイジの周囲が、これまでのパーティーを催したり万馬券を当てたり仲間と騒いだりといった華やかさが失われていきます。「人間死ぬときゃ一人だよ」と内心呟くケイジの孤独感は冒頭と対照的に「もし今世界の終わりが来たらこんな最低な気持ちで死にたくない」と考えて、「それも仕方ないか」とすっかり冷めてます。
 お互いの連絡先を教えていなかった瑞穂とケイジは会えず、ミイコは征也により麻薬漬けとなり、破綻の予感がしてきます。瑞穂とケイジは再会を果たしますが、瑞穂はミイコの存在が気にかかって落ち着くことがありません。登場人物は実に不安定な関係に陥り、密に接していたそれぞれが一人で歩きはじめます、マリリンとテツオの親密な関係も表面維持されながら征也の再登場で揺れはじめ、瑞穂はミイコとケイジの関係を誤解しジャマイカ行きを決め、主人公を中心にみな孤立していきます。
 最終話のタイトルは「世界の終わり そして始まり」です。ケイジはすべての仲間を失い、一人で競馬場で呟きます、「みんな俺から離れていく どうしてかなあ」と。それでも時間は過ぎていきます、過ぎ去った時間を懐旧することなくケイジは「今日は勝つぞ」と投げやりに呟くのです。それは恋人を事故で失った直後は2年間家に閉じこもっていた頃とは違い、恋人だけでなく友人まで失いながら今のケイジは競馬場へ、つまり彼にとっての日常を淡々と過ごすのです。見方を変えれば「競馬場に閉じこもっている」とも読めますが、最終話のタイトル「・・・そして始まり」を信じて、ケイジの明るい明日を期待したいものです。
 私はこの作品の軸となる人物をケイジ・テツオ・瑞穂の三人にしました。劇中で過去を回想しているのがこの三人なので主要人物と捉えました。ケイジの回想は前述の通りです。テツオの回想は幼馴染の征也と仲良くしていた時期を思い出して「みんなと仲良くしたい」という思いです。この思いが最後の悲劇を招いたわけですが、テツオはケイジと対照的な暖かい感情を持っていても何もかも失ってしまいます。瑞穂は誰とも打ち解けることが出来ず「ここは私の居場所ではない」という学生時代の孤独感を回想します。今もその思いを引きずる彼女は、ケイジとさえも打ち解けられず単身ジャマイカへ行ってしまいます。
 とても楽しんで描いたという作者の言葉が唯一の希望でしょうか。

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