「敷居の住人」

エンターブレイン ビームコミックス全7巻

志村貴子


 これだけはっはりしないまんま終わってしまうなんて思いもよらなかった。ラストは感心するほどうなってしまった、徹底した中途半端、まるっきりその他大勢の中の一人を取り上げただけの平凡でくだらないと主人公たちも自覚できるほどのドラマ。だからといって主人公に自己を投影するほどでもない、後ろ向き人生万歳漫画ではないが、緑色に髪を染めたっていう設定だけの主人公の青春時代をテンポ良くちゃっちゃと描いた快作が「敷居の住人」というお話。
 ほんとに快適な展開で素晴らしい。小ネタを無駄にせず使い、登場人物の行動に各々理由をもたせつつも説明描写を省くことによって些細な出来事さえ唐突な印象を与えてしまう。作者はドラマらしいドラマもないとあとがきで記すが、各人物の恋愛模様も含めた物語が隅々までしたたかに計算されて描かれていることを見逃さずに読むと、実に奥深いお話であることに頷いちゃうのである。
 簡単な例だと第六話一巻131頁で姉に家族の写真の存在を知らされた主人公・千暁はその後140頁・母にアルバムを見せてもらう件。その間では学校でテストを受ける描写があって特に写真に関する描写はない。父の顔を知らないという流れから千暁の思考がどんどん暗いほうへ行くんだけど(大人なんて大嫌いだ、という台詞ね)、第六話の締めくくりは父の顔で終わるわけで、日常を描きつつ各話ごとに主題があってそれを中心に物語が進むという手堅さがまずある。同じような日々の繰り返しは月日の流れの速さを実感される虚しさの根拠なんだけど、それを漫画でやったらつまんないわけでドラマの展開が必要なんだが、いかにもってな展開にしたくないことは四巻46・47頁で千暁が空想するところでわかる。うだうだした日々の描写を確実に積み重ねる手段が一話一話の土台作りなのである。月刊誌での連載っていうのもあるんだろうけど、無駄に次回へ話を伸ばさないのだ。これがテンポのよさの要因。
 それでいて各話がきっちりとつながっている、第三話冒頭で姉に蹴り起こされると語る千暁は第六話で実際に蹴られている。第七話冒頭で名前が出てきた東中の坂上くんが第八話でむーちゃんとともに登場など。小さな事柄が物語の裏側で線になって結ばれているのね。で、これはもう最終七巻になるとさらに洗練されていて、第五六話(最終回)でナナコに便箋を差し出す千暁、なんで彼がこんなものを持っているんだと考えると第五〇話で世話になった鎌倉のお姉さんと文通していることを思い起こす仕組みで、彼は水面下で手紙を書き慣れていたという展開。全然そんな説明がないわけで野暮な詮索かもしれんが後半になるとこういう一読してわかりにくい場面が唐突に出てきて、あれなんだっけと思わず前の話を読み返してしまうのだ(もちろんそのようなことを考えずに読んでも面白いのだが)。
 テンポのよさを支えたもうひとつの要因が絵というか演出。この辺は後半がまた素晴らしいね、六巻56頁の安達との会話の最後の二コマは向かい合っていながらコマの配置で背を向け合っているような印象・つまり千暁の無関心ぶりが千暁の独白でも表情でもなく演出で表現してしまうところ、その後59頁で安達の気持ちを察してか二・三コマ目で向かい合う。でも結局「バカは俺でした」と千暁。七巻35頁は4コマ目電気つけたのに暗い部屋が千暁の心象もキンコーンという呼び鈴(この擬音は物語の途中から来客という記号に化してるな)で現実に戻る。93頁のヤカチンの描写も鮮やか、「きもっ」と千暁を避けるヤカチンと彼の後ろを付きまとって詫びを入れ続ける千暁、全然引きずらない、嫌われてから仲直りまでわずか5頁、痛快ですらある。六巻104頁五コマ目では千暁の呟き「昔からハゲてたのか」が加茂先生を指していることの面白さ・166頁五コマ目「うるせい客だな」というレンタルビデオ店店員の呟きなど細かいところも面白く読めてしまえるのがいい。怠っていないのだ、漫画を。作者の才能が一番素晴らしいのである。
 ところでしかしですね、この作品の軸であろう千暁とナナコの描写なのだが、ナナコがもらった手紙が最後まで鍵になっている点に着目すると作品の主題というか、タイトルの由来がほんのりと見えてくる。すなわちマージナルマン(境界人。この作品の内容に照らし合わせると、子供と大人の中間で揺れ動く人々・思春期の人たちといったところかな。境界を敷居と言い替えたのか、こればっかりは作者に訊かないとわからんけど)というわけなんだが、一巻44頁をみると、当初は作者自身はっきりとその言葉を意識していたと推測できる。で、第二〇話、ここって思いっきし最終回みたいなノリなのである。みんな高校に進学し、千暁も黒髪にし、登校拒否児として結局卒業式にも出なかった一人取り残されたようなナナコは替わりに他の中学校(千暁の通う学校)の卒業式に出て、そこで同級生の女生徒から送られた手紙を読む。そして「ありがとうさようなら」といじめられた中学時代と決別するナナコは次の場所へ行くという。でもなかなか前に進めないわけね、性格が後ろ向きだから。懊悩している様は時々情緒不安定な彼女として描写されている。次が第二七話で千暁と京都まで「前向きな家出」をするナナコ、ここで彼女は中学一年のときにいじめられていた男子生徒を思い出し、自分も手紙を寄越した彼女も同じなのだ、過去を清算したかったのだということを知る、四巻73頁「手紙をくれたあの子の気持ちが少しだけわかった気がした」。そして最終回、手紙の返事を書くナナコ。いや正確には千暁の代筆だが、登場人物たちが次の場所へどんどん進んでいくのを羨みつつ千暁とだらだらしていたナナコもどうにかして次の場所に進めたのである。千暁も黒髪にしてバイトはじめて、みんな時の流れのままに成長していってめでたしめでたしと思ったら、ラストで緑色に髪を戻す千暁、そりゃ兼田も笑うよ。
 とにもかくにもこの作品は表面に出てくるわずかな描写から各人物の行動・心理の奥深さというものが見える、裏面のとてつもない広がりに私はびっくりしたのです。


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