「しおんの王」8巻

講談社アフタヌーンKC

原作・かとりまさる 漫画・安藤慈朗



 将棋の駒の材質が黄楊であることはよく知られている。関東地方から九州にかけて分布しているこの木は、3月から4月に花を咲かせる。黄楊の花の花言葉は、禁欲・淡白である。まるで対局に臨む棋士の心構えのようだ。
 「しおんの王」は、幼い頃に両親を目の前で惨殺され声を失った紫音が、棋士・安岡に養女として迎え入れられ、天性の将棋勘もあって、中学生にして女流棋士となり、事件の真相が次第に明らかになっていく様子を彼女のさまざまな戦いを通して描いた作品である。
 最終巻となった8巻は、序盤から少しずつ積み上げてきた棋士としての紫音の真の実力と事件の犯人が明らかにされる山場を、秒読みという現実的な緊迫感の中に詰め込むことで、劇的な瞬間を紙面に焼き付けた、感動的でさえあるラストとなった。単行本を読み進める中で、犯人はこいつっぽいけどまさかなぁ……というもやもや感を伴いつつ展開された物語を大きく動かすことになるオープントーナメントの対局の数々は、大事なものを失っていく人々の戦いでもあり、事件のことを忘れることさえあった。けれども、喪失によって訪れる孤独の中で棋士たちはいまだに影を落としている事件の行方に、翻弄されもした。妻を失い、病気を抱えたままの神園九段は、二階堂沙織に破れて引退を考えた、「大事なものを亡くしても それでも勝負に生きていけると思っていた」。歩は大会中に母を亡くした。長い入院生活の果てに死んだ母の慎ましやかな弔いとばかりに臨んだ羽仁名人の弟・悟との対局に、しかし敗れる。彼は女装してもぐりこんでいた女流棋士の立場を捨てる決意をし、男性棋士として生きる道を選ぶことになる。母を亡くしても勝てない相手。悟の失ったものの大きさが明らかになる戦いでもあった。
 この作品は、極端に言えば亡くしたものが多いほうが勝つ、という根性論による解説が出来てしまう・昔の少年漫画みたいな展開でもある。象徴的なのが、羽仁名人と沙織の対局だ。5巻で激突した両者は兄弟子妹弟子の間柄だった。名人に好意を寄せていたっぽい沙織は、中盤から紫音の養父・安岡の門下生である久谷に気持ちが傾いていくわけだが、名人は沙織をいかに倒したであろうか。角のただ捨てである。すべてを失っている名人にとって、対局は常に大事のものを亡くす場でもある。沙織は思う、「これが名人の将棋 私には手の届かない世界……」
 思えば沙織は裕福な家庭環境で育てられた令嬢だった。棋士として生きる決意をするものの、そんなものは名人にとっては価値のない意志であったのだろう。彼女の・よく言えば上品な・悪く言えば甘い将棋が名人に敵うはずもないのだ。無邪気に弟子入りを請う小学生の本間が名人に罵られるのも道理なのである。
 さて、トーナメントの決勝であり、物語の最大の見せ場ともなる羽仁名人と紫音の対局。この時点で紫音は養父を破り、悟との再戦にも完勝し、自分と関わってきた人々を踏み倒すことで勝ち上がってきていた。勝ちあがろうとする若者たちをなぎ倒してきた名人とは対照的な戦いぶりだ。紫音も、この名人の余裕ある戦いにいたぶられ、何もかも失っていくかのような精神状態に陥っていく。犯人との絆が将棋だったことに気付いていた彼女は、血まみれの腕で駒を指す名人を思い出し知ってしまうのである。
 紫音はその前からすでに対局中将棋のことだけにのめりこんでいく心理が描かれていた。鬼気迫るような眼の描写に加えて、下ばかり向いて盤と向かい合う場面が極端に増えていく。対局場面は、下手をすれば同じような姿勢のキャラクターばかりが描かれることになりかねないだろう。この作品ではサスペンスの要素とそれに絡んだ人間模様を交えることで心理描写に重きを置き、キャラクターの内面を回想場面などに飛躍させることを容易にした。だが、将棋に憑かれた彼女を印象付けるには、場面をくるくる回すようなことはかえって逆効果かもしれない。事件の真相に迫る悟や刑事たちの展開を傍流に、ひたすら盤に向かい続ける彼女の表情だけがコマを占めていく。変化していく表情、色を失っていく眼。アップも増えれば、彼女を将棋の世界(コマ枠)に閉じ込めていくような錯覚さえある。
 犯人である羽仁名人の誤算があるとすれば、まさに将棋と自分だけの世界に没入した紫音の視点に他ならない。対局相手さえ目に入らない紫音は周囲の声さえ耳に届かない。彼女とは対照的に開放感さえあるコマの中で名人は夜月を眺めるほど心の平安を得ていたが、紫音もまた将棋の駒と盤を見つめることで、落ち着きさえある手を放ち続け、名人と互角に渡り合うまでの展開に持ち込んでいた。名人があの事件の夜を月から思い出したように、紫音もまた思い出したのだった。まさにその将棋の駒から。
 作品の副題「The Flowers of Hard Blood」を素直に訳せば、固い血の花、とでもなるのだろうか。第1話を再読すれば、その終わりがおどろおどろしい血に塗られた将棋盤と駒であることがわかる。それを泰然と見守りつつ正座した紫音が静かな顔でたたずんでいる。血が飛び散った室内は、彼女の夢の中であることが仄めかされているけれども、名人との対局において、紫音はその光景を「王」の駒を見て体感するのである。血まみれの駒・王。黄楊の花言葉よろしく何もかも禁欲に生きてきた名人と何もかも奪われ淡白な表情になった紫音。二人の絆である王の駒・それも血に染まった駒を名人の指し手から思い起こした紫音。彼女の両眼にはっきりと映された名人の手が見開きで描かれる。
 名人は、彼女の眼はからっぽだと言った。けれども読者は知っているのだ。彼女の眼にこれまでさまざまなものが映っていたことを。犯人の手はもとより、ペンダント、養父母、歩。そして今、彼女の眼に養父と歩の姿が映された。何もかも名人に奪われたと思われていた紫音だったが、たったひとつ奪うことが出来ないものが、紫音がこれまで生きてきた記憶なのだ。大事なものを捨てて生きてきた名人との違いがそこにある。彼女は何も捨ててはいない。事件の記憶も両親のことも隣の棋士のおじさんも、一美さんも、彼女は捨ててはいなかった。力強い一手が放たれた時、彼女は名人を睨みつけた、「あなたと私は……同じじゃない!!」
 終局に向かおうとする場面の紫音は、名人と戦っている、という印象で描かれ、それまでの一人で世界にのめりこんでいく描写がなくなる。勝負の内容に関しては、将棋の弱い私には正直わからない面があるけれども、彼女が声を取り戻す場面は、将棋を題材にした利点が如何なく発揮されたと思われ、個人的に感動してしまった。
 残された戦いがあるとすれば、沙織との対局である。一度対局したものの、中途で終わらされた紫音と沙織の戦いは、物語を締めるに相応しい。わたしたちの戦いはこれからだ! って終わり方、やっぱり少年漫画のノリで語れるよな、このマンガ。
(2008.6.23)

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