「失踪日記」

イースト・プレス

吾妻ひでお



 吾妻ひでおの漫画は読んだ事がないので、そこからこの作品をいろいろと語ることが私には出来ない。でもこれくらいは言わせてくれ、めちゃくちゃ面白かった、と。
 実話とか事実とか、そういうわかりやすい惹句はとりあえずおいといて、巻末のとり・みき氏が言うように、普通に漫画として面白い作品である。失踪からアル中入院までの断片が、テンポ良く描写され、仮にフィクションとして発表されていても、そのまんま楽しめる作品である。で、ここで陥っちゃならないのが、実話という言葉に翻弄されちゃうことなのである、本作を読めばわかるとおり、実体験の物語といいつつも、話には流れがあり、構成も練られており、物語としての体裁を整えて描かれているからである。なるべくリアリズムを排除したという冒頭の言葉も、絵が下手と述べる作者自身の弁解を含んでいるかもしれず、均一に並べられたコマが、かえってリアリズムを煽っているような気がした。といのも、この一定の距離を保ったまま淡々と描かれる作者の体験談が、ドキュメンタリーのような印象を受けるからである。
 ドキュメンタリーというと事実の記録という印象が強いけど、膨大な量の撮影フィルムの中から必要なものを選択する編集の時点ですでに作為があり、その点ではフィクションとして撮られたドラマなんかと一緒なんである。編集次第で同じものも異なる「事実」として伝えられることも、昨今の報道のやり方や新聞なんかでも察せられよう(たとえば、誰かがこんなことを言ったというニュースも、その言葉のどこを切り取って報じるかで聞き手に与える印象に差が出る。ニュースはドキュメタリーじゃないから、情報だけ伝えりゃいいんだけど(以下略))。つまり、前述した物語性の介入とドキュメンタリーっぽい仕上がりにより、私は本作を極めて主観的で恣意に満ちたドラマのように味わえたのである、好き勝手描いてるってことね。
 好き勝手描きたいっていう思いは、若き漫画家時代の回想編で幾たびか語られるけど、カバー裏のインタビューも含めて察するに、独りよがりではなく、他人を笑わしたいという欲求に基づいているから、物語として実話うんたらかんたらという言説を排除しても十分に語りえる作品だろう。そもそもリアリズムを排そうとしたっていうんだから、読者も真面目にフィクションとして語ってもいいんじゃないのか(だから吾妻ファンは漫画としての面白さを強調して欲しい次第)。
 たとえば「夜の2」のめじろへの挨拶、独り言による説明が多い本編に変化をもたらしているよね。実際にめじろが寄ってきて作者がそれを言ったというのはどうでもいいはずだ、心境の変化をめじろへ向けた言葉で端的に表現していることのほうが重要なのである。人にほえてくる犬でもいい。こういう犬は確かにいただろうし、酔っ払いに撃退もされただろうけど、それを物語に組み込むことで流れが生まれる、この場合は作者の行動範囲が広がったし、食パンの発見という幸運も転がり込む。続けてクレ550を拾って、後でうどんを食うのに利用される。うどんを食べること自体も、最初のほうでうどん食いたいという思いが反映されている。これらが事実だとしても、やわらかい絵の影響もあってか、そういう思いはすぐに消えていた。つまり、事実の繋ぎ方一つで物語にもなれば、脈絡のないドラマにもなるってことを読者は知らず体験しているわけである。
 さてしかし厳密に言うと、この作品は「実話」というよりも「実話の再現」というべきものになっている。描く行為が再現行為と等しいのである。だから巻末の対談や本編からも読み取れるように、再現されていない話もある。悲惨すぎて描かなかったと言うそれらは想像するしかないんだが、一部は違和感として読者に伝わっている。それが家族の話である。特に「奥さん」としか書いていなかった妻の存在が、アル中編で「おかーさん」と呼び作者が「おとーさん」と呼ばれることで、子供もいたのかと気付かせるのだが、子供についての描写は一切ない(カバー裏のインタビューから、精神病院に連れて行かれるとき、妻とともに登場した見知らぬ若い男性は息子だったようだが、子供の登場はそれくらいである)。
 そして描写の密度にも差がある。失踪編と入院編の月日の流れの差だ。覚えていることを物語として構築した感がある失踪編の流れが緩やかなのに対し、比べて記憶が鮮明だろう入院編は解説も増え台詞も増え(登場人物が一変に増えたってのが一番大きいんだけど)、いつ何をしたかもはっきりしており、自分語りよりも周囲の人々の言動スケッチといった趣で、多分より事実に近い描写なんだろうけど、曖昧な流れの失踪編よりもごちゃごちゃした印象が前に来てしまい、物語としては失踪編のほうが個人的にかなり面白かったのである。何故かって考えると、それが実はドキュメンタリーの面白さに通じるものがあるからなのだ。
 ドキュメンタリーと言って、何もNHKスペシャルのとか報道特集みたいのとかだけじゃなくて、かつての「電波少年」も立派なドキュメンタリーだし、パラエティ番組内の何かに挑戦するみたいなコーナーもそれといって差し支えないし、再現ドラマも広義のドキュメンタリーと言える、実は結構目にしているものなのである。でも、「あれは実はやらせなんだよ」という人もいるだろうけど、ではこの漫画の内容の一部は実は嘘でした、と明かされたところで面白かったという感想は変わらないわけで(突っ込んで言えば、作者が寝ているときの場面なんか完全に想像だからね)、大事なのは、何が起こるかわからない展開に夢中になるっていう娯楽要素なのだと思う。失踪編はあのままルンペン話が延々続いててもおかしくないし、仲間が出来たとかの展開もありそうでなく、唐突に警察にとっ捕まってしまうという劇的な展開が物語性を引き出し、そこに嘘みたいなサインした話がオチとして用意されると、物語として脳裡に焼きついてしまう。一方の入院編は、目的がはっきりしていることと情報過多なために、私はどうしても散漫な感じしかしないのだ。だから読み進めていくうちに、面白さが減じていく寂しさもあった。これは、作者が復帰して漫画を描いた、という事実が揺るぎないために、何が起きても結局復帰しちまうんだよなー、というオチがうっすらと読めてしまったためかもしれない。
 なんだかんだ言って、自分が一番実話って言葉に釣られているわけで、いやでもほんとに面白かった。

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