三木有「静と弁慶」

二人の間合い

少年ジャンプ+ 2022.9.8公開



 「がんばろう」という掛け声から二人は、まるで互いの命綱を確かめ合うように赤い襷を腰に回し結び、なぎなたの中学生大会の演技競技に臨んだ。女子が圧倒的多数の競技人口にあって珍しい男女のペアとして、静と弁慶は前回大会を制していた。
 連覇への意気込みは読み取れない表情、静はいつもやや不機嫌な顔付きで言葉少なく、弁慶は名前の響きからは想像できない穏やかで優しい。けれども演技が始まるや否や、すっくと伸びた全身から、一気になぎなた二本分の間合いが縮まって「メン」と掛け声一声、迫力とともに刃先を交える。
 横長のコマの両端に配した二人の客観的な全身絵と距離感が、ぐいっと正面アップのカットから構図を変えて間近であるかのような変化、この一頁だけで、なんだかすごい演技を見ているような物語に引き込まれる。
 劇中で語られるように「演技の良し悪しは素人目」にはわからないけれども、決勝戦の不安を煽る構図により、二人の間合いが崩れていく。「メン」「スネ」の掛け声がすれ違って、焦りの影と汗が二人の表情を彩っていくと、コーチのカットが状況を解説する、「演じきって!」と。
 最後の大会だった。高校に進学すれば、静はおそらくなぎなたの名門だと思しき高校への進学が仄めかされていた。一方、男子にとって高校部活動としてのなぎなたは活動範囲が狭く、目標に乏しいという会話を弁慶が傍で聞くという構図で説明されていた。
 決勝の舞台で、二人の間合いがすれ違う。疲れも緊張もあっただろう苦しい表情がうっすらと浮かぶ。互いに失敗した部分があることを悟ったかのように、足元をぐらつかせるような構図で、焦りは最後の礼で致命的な失敗を呼び込む。傍目には些細な差だろうが、結果は大きな差となってしまった。
 演じ切って、というコーチの一言が読者たる私に引っかかっていた。
 静の回想として弁慶との出会いから大会直前までの「がんばろう」が駆け足で描かれる。二人はこれまで何を演じていたのだろうか? 初めての立ち合いだろう、頭にメンを決めておでこに絆創膏を貼った弁慶に対し、静の泣く姿が描かれた。自分の気持ちをうまく言葉で伝えることができないと母親が語る場面が後に加わることで、静の無口な性格が補強されるが、だからといって静は何も声を発しないわけではない。「メン」「スネ」と大きな声を張っているのだから。けれども、弁慶に対する反応が少ない。演技競技の中でそれは十分に示されていたけれども、弁慶には、はっきりと伝わったわけではなかった。
 バスの中で、弁慶がそっと「ごめん 静」と声を掛けても、静は「な 何が?」とそっけない。「な」と言い淀む表情も相変わらず無表情ではあるが、わずかに見せた動揺だろうか。次のコマで、二人は少し顔の角度を変えてそっぽを向く。静が先に窓の外に目を向けて、弁慶が察して話を終えたように見える。これが二人の自然なコミュニケーションなのかもしれない。
 次の日の個人戦を前にホテルで宿泊したチームにあって、唯一の男子として一人部屋でぽつねんとする弁慶の様子は、ありふれた一人の・翌日の試合に対する漠然とした不安を描きつつ、他チームの岩村という男子が一人公園で練習する姿を見つけると、なかなか眠れないだろう長い夜、岩村の元へ自分のなぎなたをもって駆け寄った。
 互いに相手に言いたいことがあっても、なかなか伝えることができない。そんな想いが、岩村との対話によって弁慶の口から漏れてくる。「終わっちゃったからな」。
 一方の静は、手紙を書いていた。弁慶に言いたいことを箇条書きでまとめていくと、弁慶との嫌だった思い出が、次々と書き連ねられていった。言葉として伝えたかったいろんな想いが込められた一行一行が積み重ねられていく。
 個人戦の前のウォーミングアップの直前、おそらく二人とも、これが最後であることを理解していただろう。静は手紙を渡せるのだろうか。あるいは、弁当を半分残して早々に食事を切り上げる弁慶になんとなく動揺を感じる。静の正面のアップから、左手がリュックの中にすっと入れられる。「静」と声を掛ける弁慶。二人の表情は、いつもと変わらないように見えるが、各々の想いを知っていく読者にとって、「最後」という言葉の重みをじっとりと感じていく。やがて読み上げられる静の手紙の内容は、変わらない静の内面を露わにしていった。
 手紙の内容は、当初の単純な男の子としての嫌悪感から、男女の生理的な違いへとほんのりと言及されていく。はっきりと書かない。子どものころから弁慶よりも背が大きく強くもあった静にとって、弁慶の存在は、強さとは別の性差を意識していく過程であることが鮮明になっていった。男女の競技人口の差が女性に偏った世界で、特に静たちが所属していたクラブでは唯一の男の子であるような環境でありながら、弁慶の「違い」を意識させない立ち居振る舞いは、おそらく、演技だったのかもしれない。もちろん、これは私の勝手な妄想でしかないけれども。
 そして静もまた、弁慶の前では、弁慶を男であることを否が応でも認めざるを得ない状況であっても(特に変声期を迎えたと思われる弁慶の練習にコーチが声を出してという場面が印象的だ)、それを意識させない弁慶の振舞いに、壁も感じていたに違いない。「べんちゃんが もう私と 組みたくないと 思っていたら 嫌でした」という場面の、まるで二人の間を隔てるかのように横たわるなぎなた、どちらともなく感じていた二人の違いが、そんな壁を築いていた。二人を引き合わせたはずのなぎなたが、二人を分かつ壁となっていく。
 弁慶の「がんばってな」の掛け声が、訣別の言葉であることは言うまでもない。「一緒に」頑張ろう、という意味であった「がんばろう」という掛け声が、静一人だけに向けられたのだ。
 弁慶の前では澄ました表情で接していた静の演技が、弁慶の言葉に、解きほぐされていった。左手に持った手紙・本心と遠慮と、複雑な感情が詰まっそれを持って静の必死な表情が素晴らしいのだ。面を被って隠されていたはずの表情だからこそ、いいのだ。何故なら、その表情は弁慶だけにしか見せない、静の演技ではない本音なのだから。涙をたたえて頬を赤らめた掛け声と表情。傍から見れば試合前の「がんばろう」が、この後も続けていこう、という意味であることは言うまでもない。岩村との対話から仄めかされていた弁慶にとっての高校進学後のなぎなたとの付き合い方も、これで決心を促したことだろう。
 二人の間は、横長コマの端から端までの、なぎなた一本から二本分の距離しかなかった。今はもうその距離を超えても動じることのない、二人だけの間合いがあるのだ。
(2022.9.19)
戻る