「シンプル ノット ローファー」

太田出版

衿沢世衣子



 ケラリーノ・サンドロヴィッチ監督の映画「罪とか罰とか」を観ながら、成海璃子って太ったなとしみじみかみ締めていたことを、衿沢世衣子「シンプル ノット ローファー」の単行本で成海璃子が帯の推薦文を寄稿しているのを見て思い出した。彼女は今、堀越高校に在籍中で、映画等の撮影に日々追われていることを考えると、衿沢マンガの普通の人々の普通の日常に「憧れちゃいました」と言うのも、なんとなく理解できるけれども、やっぱ太ったなー。
 さて、それはともかく、衿沢世衣子の新刊は、モンナンカール女子高校を舞台にした連作である。多くのキャラクターがある日の出来事を喜怒哀楽激しくあっちにこっちにと動き回る作品だ。特別な事件も特別なキャラクターもいない、他愛のない日常にはしゃぎまわる彼女たちの笑顔は、衿沢世衣子のいい加減っぽく見える描線と相まって、とっても楽しい気分に浸れる。
 女子高には女子高の裏側みたいなもんがあるだろうけど、そんな下世話は置いといて、作者が広げて魅せてくれる各キャラクターの素直な発想が心地よい。どのキャラクターが気に入るかは人によるだろうけど、必ず一人は見つかるのではないか。彼女たちの特徴は表紙の絵に全て象徴できるほどに多少の誇張はあるにせよ・彼女たちの個性を引き立てる小道具を多くのキャラクターが手にして立っている。サッカー部のナカジはサッカーボール、茶の湯に目覚めたナッちゃんは茶筅、グラフィティアートを気取って大失敗したヨシ子はスプレー……といった具合に、エピソードに応じた姿格好をしている。
 私のお気に入りは、例えば「シネマティック」のチヒロ。副題のとおり映画好き少女の映画を見まくるある日を描いている。映画館によるが、大抵はレディースデイって女性1000円の日があって、なんで女だけって思ったこともないわけではないが、地元の映画館はどこもメンズデイ・男性1000円の日が設けられ、そんな不満もすぐに消えたがそれは置いといて、シネコンじゃない映画館だと、やっぱり顔馴染みの人が出来るもので、チヒロももぎりのおばちゃんに声掛けられて常連らしいことが伺える。その日は大体が曜日によって設定されているので、今日は水曜日・女1000円じゃんとばかりにクラスメイトのお誘いをことごとく断って映画館に直行する姿に親近感を抱きつつ、律儀にパンフを買うチヒロに金もたねーだろと突っ込みつつ、そんな自分の趣味まっしぐらのチヒロが垣間見せた文化祭目前のクラスへの協力する姿が微笑ましい。
 でもこの作品、文化祭そのものの生徒にとって誰にでも特別な時間を描いたりはしないのだ。あくまで水曜日にいつもチヒロがしているだろう言動が描かれているに過ぎない。文化祭の準備にみんなできゃっきゃする様子もほとんど描かないし、徹底して特別さを排していく。季節ごとのイベントもつつましく、たとえばナカジが主役となる「フリーキック」の舞台は丁度クリスマス前らしいんだけれども、キャラクターたちはだからどうしたと騒いだりはせず、それぞれの役割をきっちりとこなしている。その日は彼氏と一緒に……なんて恋愛モードを発動するキャラクターは現れず、みんな寒いよと凍えている。校内で暴れるナカジに焦点を据え続け、みんなに叱られて校舎の影で拗ねている所に「今日なんだー」「そーだよ」と会話をさりげなくしている無名のキャラが通り過ぎていく。ここで初めて読者は、クリスマスに近いことを知ることになる。校内に設置されるツリーに点灯された明かりが照らすのは、ボールを受けた途端に元気を取り戻すナカジの姿なのだ。ささやかな特別さ。けど、当のナカジは気付きもせずに「シュー!!」とボールを蹴ろうとしているのがまたまた微笑ましい。
 「ガーデン」は逆に特別になりそうな瞬間がありながらも、日常の中に埋没させていくエピソードである。園芸部のりっとんは、顧問の先生を敬愛している様子だが、ある日、先生の秘密?を目撃してしまう。写真と記憶を脇のテーマに置きつつ、先生が平凡な日常をどう生きてきたのかを覗き見たような感じだろうか。学校の改築でじきに取り壊されてしまうという中庭の思い出の一部を、彼女は記憶の中に留める。「今日も快晴」というセリフがいい。「今日も」ってところが特にね。最近雨が少ないという中盤のセリフがラストの言葉をより引き立てている。
 全12話+αのエピソードにひしめく多くのキャラクターたち。多すぎて全員が主役になるわけではないけれども、そんな中でおそらく多くの読者に印象に残るキャラクターがいた。彼女が主役を務めるエピソードはないものの、その特異な容貌は、劇中目立って当然だろう、2.5頭身キャラ・マムちゃんである。
 他のキャラクターが現実的な頭身だったり、みんなだいだい細身なわけだが、マムちゃんだけはマンガ的キャラクターとして初っ端から登場し、一体何者なのかもわからないままに、冒頭のプロローグで凧揚げに参加する。その後、中盤まで登場しないが、あのちっこいのは一体なんだったんだろう……と頭の隅に残り続ける。結局、マムちゃんが登場したのは冒頭以外で2話だけだろうか。ひょっとしたらモブキャラとして他に出てくるかもしれないけど、時々、こいつ誰だっけ……と悩んでしまうキャラクターが多い中にあっては、実に、存在するだけで非日常的な・特別な気分に誘ってくれる不思議なキャラクターなのだ。それだけに主役には選ばれなかったのかもしれないが、巻末のキャラクター一覧で明らかになる本名、水泳部所属、通学方法が電車などの設定に、他のキャラクター同様に特別扱いされていたわけではないことを知り、ますますマムちゃんをもっと見たかったなと思うのであった。水泳部なら、最後のエピソードで化学部の三人にちょっと絡んで欲しかったよ。ていうか、本名も縮めてマムちゃんなんだね。
(2009.6.4)

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