藤咲ゆう「シュノーケルはいらない」

君がいて水になる

G2Comix



 スクールカーストとか陽キャとか陰キャとか、そういう言葉が学校生活の人間関係を語る際に散見されるようになって幾年、時代は変われどクラスや学園を描く物語には、上に立つ者と下に虐げられる者と、その狭間の者たちの揺れる関係性が描かれ続ける。
 藤咲ゆう「シュノーケルはいらない」は、そんな高校生活の人間関係をコンパクトに、上位のイケメンの速水と、下位のいじめられっ子の灯乃の男女の隠微とも、あるいは淫靡とも言える関係性に焦点を当てることで、各キャラクターの属性を乗り越えた物語である。
 Twitterで誰かが話題にしていたのを目にして何気なく読んでみた本作の読み始めの印象は、正直言って好ましいものではなかった。二人は誰にも知られずに身体の関係だけでつながっており、灯乃に対するいじめや、速水の小賢しい振る舞いが類型的で、タイトルが秀逸なだけにもったいないなぁと上から目線で読んでいた。灯乃を好きではないと独白する速水のモノローグは、いずれに彼女に知らず惹かれていってしまう前フリでしかないし、速水に好意を寄せながら二人の関係を知らずに灯乃をいじめ続ける美百合も、やがてその関係を知るだろうし、容易に展開が予測できてしまうからである。けれども、私にとってそんな単調な物語が、ある場面でもって、がらりと印象を変えたのである。
 一冊40頁くらいで全四巻、とりあえず一気に全巻買ったのだが、一巻の終わりで予想された速水の変化・灯乃の手を思いがけず握ろうとする場面、ではない。別に予想が裏切られることを期待していたわけではないが、二巻で速水の幼少期の体験が綴られる。人を見下し人に興味を示さず人を愛しようとはしない、冷たい印象を持ち続けるキャラクターの過去を描くということは、過去はそうではなかったということであり、そこに至る理由があったということだが、どんな理由があろうと個人的に速水のようなキャラクターを私は好まないし、嫌いだし、モノローグも読みたくはないのだが、とにかく、互いに関心のない家族の関係性を両親の目を隠すことで描く二巻は、始まりから彼の他人への冷酷さを説明するに十分な表現だった。だからといって彼の不幸が、たとえフィクションであろうと他人を見下す理由にはならないと、私にとっての倫理観は揺らぎはしなかった。
 それが次の場面でいっぺんに吹き飛んでしまったのである。  2巻9頁 2巻9頁
 もともと夫婦関係は冷え切っていた。母親に至っては精神的に疲弊し、明らかに異常を来している場面も描かれる。それが、この場面で一気に「解放」されるのである。
 本作を読まずとも、これだけで何が起こったのか、事態が把握されよう。幼い速水の過去の描写は、この光景を目の当たりにするのを最後に終わる。彼が見た長い夢として、ソファで灯乃との行為を終えた後のまどろみとして、それは描かれた。
 冷たい父親と母の死が彼の人格形成に影響を与えた、という単純な物語ではない。まるでこれまでの苦悩から飛び立ったかのように、母の死が描かれるのである。トラウマとしての死体を描くのではなく、まさに「解放」された母を描くのである。ベランダに置かれたサンダルが、こちらを向いている。この次のコマでは、サンダルがアップで描かれて暗転するのだが、この慎ましさは母の異常性の表れでもあるけれども、それよりも私は、母の律儀な死に方が我が子へのせめてもの愛情に思えたのである。死が、苦しい生からの旅立ちであり、その象徴としての空であり旗めくカーテンの描写である。一方で、わざわざサンダルのつま先をこちらに向けることで、ベランダが、死の世界たる空の描写に対する玄関であるかのような印象を受けたのだ。
 この世からの解放と、死に向かう手続きとしてのサンダルが、速水にとっての生き方を決定的にした。彼は、母の死を目撃する直前にソファに目を留めている。ソファでその夢を見るということは、彼にとって生と死の境目がソファであり、今は閉められたベランダとカーテンに隠された死の入り口は、いつでもひょいっと近くのコンビニにでも行くかのような気軽さで簡単に行くことが出来る、その程度の身近な場所なのである。
 二人の逢瀬(速水にとっては性捌け口でしかないのだが)は屋上である。屋上もまた、ひょいっと何かの拍子に気軽に死に近づける空間である。物語は知らず、そうした死と隣り合わせの場所を設定し、速水は簡単に死んでしまうのではないか、そちら側にひょいっと行ってしまうのではないかという、極めて感傷的で個人的な感覚だが、あの場面から気に食わなかったキャラクターが簡単に死んでしまうのではないかと言う生々しい感情を味わってしまったのだ。
 ああ、これが物語に感情移入することってことなんだろう。キャラクターの気持ちなんてこれっぽっちもわからないし、そもそも簡単にセックスし過ぎなんだよとも思ってしまうし、共感のきの字も引き出さないにもかかわらず、物語が死をぽっと鮮烈に提示した瞬間、あ、このキャラクターって死ぬかもしれないんだって、悟らされたのである。何がトリガーになるかなんてわからない、ただの創作物で単純で灯乃の一途な速水への愛情がゆっくりと彼の感情を解きほぐしていく、言葉にすれば陳腐だと笑われてしまうような物語だったのに。
 屋上のフェンスから遠くを眺めていた灯乃を認めた速水にビュッと風が打ち付けると、彼女はそこから飛び降りるのではないかと彼は錯覚してしまう。「フェンスの向こう側にいるかと思った」。ベランダの向こう側と同義なのは言うまでもない。
 その後の物語は、美百合の介入による関係の破綻や友だちの青木や佐伯の支えによって紆余曲折を経ながらも、夏休みに水族館へ行こうという約束が宙に浮いたまま展開する。
 水族館の青い景色は、母の死を迎え入れた青い空を上書きすべき死・向こう側ではなく、約束・すなわち未来と言う向こう側である。屋上という死と隣り合わせの場所は、二人の愛を確かめ合う場所になるだろう。息苦しくて息苦しくて水の中をもがいていた人間関係は、新しい関係性によって刷新される。手を取り合って。
 というわけで、この作品にはこの曲が背景として相応しいだろう、ずっと真夜中でいいのに。「君がいて水になる」!

戻る