「strawberry shortcakes」

祥伝社 フィール・コミックス

魚喃キリコ


 絵、巧いなー。なんか印象が変わった、こんなに丁寧に物語を描く作家だったのか。いや、そういうふうになったのか。もともと日常の一瞬を的確に格好よく切り取ってしまう感性はあった、でもそれだけってかんじで、心に残るものもその一瞬の場面やセリフだけだった。でも本作は全体的に印象深い仕上がりになっていて、三年かけてじっくり描いただけのことはある。四人の女性の日常生活をモノローグを多用しつつ淡々と描いているようでいて、感情の機微も逃さずにイラスト的な描写で人物の心象を克明にかたどっている。
 たとえば塔子。イラストレーターで毎日机にかじりつく彼女にとって日常と世界の接点は同居人のちひろと、たまに外出した先でそぞろ歩く公園や出版社の人たちくらいだった。だが、外の世界のいろいろな情報を与えてくれる接点は彼女にとってプレッシャーを与えるだけの苦痛でしかなかった、食べては吐き吐いては食べ、彼女は身体中から沸きいずる感情のやり場に苦心していたのだった。17頁4・5コマ目のややうつむく彼女の横顔、ちひろが遠くへ去っていく音を心待ちにしている。ちひろを起こし朝食を作り速やかに会社へ向かわせるのも、出口を求めて暴れる妬みだか恨みだか怒りだかを早く吐き出したいから。で、貴重な平凡な日常の語り手であるちひろに対しても彼女の感情は鋭利になってしまう(122頁、ちひろと話しながらミニサラミを指先でもてあそぶ描写が彼女の本音を語っている、その後膝を抱えてちひろと心から相対そうとするものの「高飛車」と言われて暗転)。そんなある時に原稿を失くされてしまう、挙句編集者に生意気だと陰口を言われて彼女の不安は頂点に達する、自分を見てほしいわけだ、イラストだけではなく自分も大事にしてほしいのだ。「大切な絵」という叫びから一転して174頁で唐突に挿入される網棚に置かれた原稿が切なすぎる。抱えていれば失くさないはずの原稿をぽいと手放す神経が信じられない。そして帰宅した先で待っている腐ってしまった野菜、ちひろの田舎の母が送ってきたそれらを見、大切にされているちひろを羨みつつその声に応えないちひろに嫌悪もする。複雑な様相を呈する彼女の心の拠り所は、やはり吐くという行為でしかなかった。
 一方のちひろは、毎日の細々しい仕事に自分を見失いかねないほどの不安を覚えながら雑務をこなす。塔子の仕事の華やかさを空想し羨みながら。そして自分を大事にしてくれる人を求めてさまよう。塔子とちひろの交錯した心情が交互に描かれる、二人の気持ちを知る読者にとって互いの本音を知らない彼女たちの挙措がとても危うく脆く、いつか崩れるだろう予感と同時にいずれ解りあえるだろう期待感を抱きながら先を読む。何が巧いって、二人が他人の冷たい悪意に触れる描写である。ちひろは同僚の自分に対する悪口を聞いてしまう、衝撃、息を整えて同僚に顔を向ける彼女の心痛、追い打ちをかける彼氏の言葉。164頁のちひろの冷たい視線は母からの荷物に向けられた。
 コマ・頁を埋めるほどの量の独白が、彼女たちの切なさを増幅する。それだけに第17話の感動ときたら劇中一番だ。お互いに助けを求めながら右往左往していた二人が一変、抱き合う。言葉もない、独白もない。絵が、二人の気持ちが結びついて思いやる瞬間を切り取った。強いと思っていた塔子が顔を涙と汚物にまみれさせて苦しむ姿、いつもの生活が突然崩れる・平日の昼間に帰宅したちひろに驚き彼女の存在の大きさに気づく。
 描写自体に目を向けると、まず第20話の風景の対比が素晴らしい。冒頭で東京の街の大きさ(広さというよりも大きさなのだ、第2話冒頭の頁でわかる「大きな東京」。)を示すのだが、広くはなかった、ただ大きい物体が所狭しとひしめいているだけの余裕のない空間だった。遠くの鐘の音も聞こえない世界だった、身近な友人の気持ちさえ聞こえない世界だった。280・1頁の見開きと292・3頁のそれを見比べただけで表出される日常の違い、ここぞという場面で発揮される作者の描写力は今までにない力が宿っていた、なんというか人物の描き方の達筆が際立つだけだった印象が吹っ飛んだ。もちろん人物の描写も冴え渡っている、独りになった塔子が画材を持って町に出る、机から離れて、寛容になって。
 あるいは設定の省略、説明描写の排除も素晴らしい。独白と絵だけで人物の性格や立場が浮かび上がり、何故そうなったのか、過程を一場面も用意することなく行動を描く。その洗練された例がちひろである、同僚に嫌われていることを知った瞬間から読者はその前で描かれた同僚とのやり取りに寒気を覚えるだろう、彼氏の前で泣き崩れてしまう場面も多くを語らない、居場所を失っていく彼女は会社を辞め平日の昼間早々に帰宅、待っていたものは塔子の真の姿……と描くのも野暮になる展開。
 そんな窮屈な二人の関係と平行して描かれるのが秋代と里子の日常である。日常というにはあまりに波乱と両隣で「死んでやる」というわかりやすい自己表現でしか自分を律しきれない、愛する男を思い続ける苦悩を綴る秋代。平凡な日々に退屈することなくひたすら独りであることを強調されながらのほほんと生きていく里子。ともに物語の主軸・塔子とちひろに絡み合うことはないが、読者にとって関係ない二人の話は塔子とちひろの行為に客観的な意味を与え、時には解放してくれる。特に里子の強さは尋常ではない、まるで町へ出た塔子のその後の姿のような、七難八苦を乗り越えたことを微塵も感じさせない飄々たる面持ち、「ハルチン」の世界を思い出さずにいられない。秋代も強い、ちひろのその後の姿のようでさえある、思い続け思い続けて、自分から欲しいものを求める。なかなか前進できないけれども、誰かに頼らず独りでたった一人で生きる姿、強いなー。いや、まあなんかしんみりとした文章になったしまったけど、とりあえず明日からまた仕事だ、よし、がんばろう。

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