「スミ子の窓」

講談社 KCデラックス 小田扉作品集「こさめちゃん」より

小田扉



 小田扉作品集「こさめちゃん」収載の短編。ひとコマひとコマ適当だか稚拙だかわからない描線とくだらないこだわりが滑稽であり悲哀であり、笑っていいのか戸惑ってしまう作風で、それが溢れかえっている「話田家」はわけがわからないくらい絶品だ。細かなところまで丁寧さを感じさせない丁寧さで物語を展開する力は最後まで油断できない。
「スミ子の窓」は「話田家」ほど小田風味が充満していないが、つい再読してしまう良品だ。物語は、根暗でひねくれた天涯孤独の高校生スミ子がたったひとりの友人を殴って何かを悟り、ひとつ素直になるという内容である。
 この作品に惹かれた取っ掛かりは冒頭につきる。もちろん、前半に集中するスミ子の嫌味なセリフや表情にも魅力はあるが、最初の1頁でいきなり展開される皮肉、外連味のない自嘲・卑屈、根暗であることに躊躇しない主人公のただ者ではない雰囲気。電車通学は嫌いと言うから、窓ガラスに映る適度に減色された自分の顔が美人に見えてしまうことが、その疲れを癒すかというとそうではなく、なんの関連もないという素っ気なさこそが、根暗の王道、つまり、この積極的なまでに演出された暗い性格がたまらない。1コマ目からしてスミ子のかったるさがにじんでいるし、花子の無表情な上目遣いも、その後の物語を考えると作者の計算高さに恐れ入るほどである。
 したたかさは「話田家」を例にするとわかる。「酵素研究部」に所属している兄・三郎、なんだよそれ、一体なんやねんと突っ込みつつもこれも作者お得意のいい加減さなのだろうと、つまりサークル名はどうでもいいのだろうと高をくくっていた。ところが再読したら第1話で兄の日記に酵素に関する記述があったのである、57頁1コマ目だ。物語の転がし方の巧さは巻頭の「こさめちゃん」で発揮されているけれども、あくまでも短編に限ったことだろうと侮っていた。「話田家」第4話では、川原で石を投げ投げられる子供たちの姿(94頁)をぽんと挿入し、子供の微妙な心理を周囲の状況で読者にわからせてしまう筆力にまいったが、やはり短編という枠の中だけだと。そんな未熟な認識をふっ飛ばしてくれる作者の構成力というか、この場合はしたたかな構想力と言おう、それに惚れた。
「スミ子の窓」ではそれが終盤で弾けて、哀調が漂うから不思議である。とってつけたような展開でありながらそうではない、微妙な安定感でひとつ踏み外せば単に汚い漫画に成り下がりそう(実際、枠線は随分と汚いし雑で荒い)だが、そうならない理由は、まず登場人物の表情に依存している。こさめちゃんの笑顔もいいが、スミ子の三白眼はもっといい、これは単にわたしが根暗好きという理由からではなく、最後の最後にとっておきの顔を描いてくれるからいいのだ。19頁3コマ目はもちろんいい、けど214頁3コマ目・最終頁4コマ目でつい見せてしまう素顔が、彼女の心底に根暗に対する否定感がわずかながらあるらしいと察してくれるからである。彼女の生き方を想像したところで詮ないことだが、きっとその後も思いっきりくらーい性格を突き進むだろうと思うと、劇中の好かれる教師の典型例・世間一般に受け入れられやすい生き方に知らず知らず反発しながらだらだらと生きるのだろう、さらに磨きがかかれば反発すること自体に嫌気が差すに違いなく、否定感とは元をただせば自己嫌悪なのであり、それを知りながらなお突き進む根暗の道はまさに王道、スミ子の性格描写は根暗を知り尽くしていなければできないほどだ。作者は根暗なのか? だとしたら作者自身にも惚れそうだな。
 この適当さ加減は作者のサイトの「絶賛工事中」という文字でも存分に味わえる、そうつまり、積極的根暗とは、他人へのたゆまなき不親切と皮肉とそれを自覚する自分への自信、そして徹底的な現実肯定・厭世のようでいてそうでない皆から喜んで嫌われる性格なのである。
 さてしかし、そんな主人公にべったりくっつく花子、奇跡のような彼女の存在がスミ子とは正反対の性格であることは自ずと読み解けよう。消極的根暗ということだ。これはもう最悪の極み、明るくなりたいのになれない劣等感の塊、友達が欲しいのに作れない悲しさをただ嘆くだけのひたすら下り坂人生で絶望にとりつかれやすい危険物である。劇中から垣間見られるその例が、冒頭、上ばかり見ている花子・窓に映る自分の顔を嫌っているところからはじまり、昼食時、スミ子の席に寄ってきて共に食す花子・スミ子は食事がひとりでも構わないが花子はそれを嫌っている、という場面で人に好かれようとする花子がスミ子にとって疎ましいのは必然、確たる自信(化学の先生に惚れた自分の価値観)を否定されてスミ子は鉄拳を加える。
 根暗者同士の友情物語のようだが、218頁の下段3コマ・唐突なばあさんの登場から一気に違う方向に物語は転がる。「こさめちゃん」ほどの派手さはないが、219頁、おそらくこれまでの人生ではじめてだろう他人への思いやり「本当はさ……何か飲む物とか出すべきなんだけど」の一言は、ふたりの関係は性格云々では語れない生涯の友だとはっきり悟ることができた素晴らしい瞬間なのだ。


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