「ただそれたけで」

講談社モーニングKC「週刊石川雅之」より

石川雅之


 週刊モーニングで連載された石川雅之の短編を収めた単行本が「週刊石川雅之」、11の短編が詰まっている。「ただそれだけで」はその中の一編、28歳のОLのある日を淡々とモノローグで綴った佳品である。
 個人的に平凡な日常を描いた作品が好きなんだが、それでもその中に何かしら事件らしい事件があったり劇的な偶然が重なったりして物語っぽく盛り上がるものなんだが、この短編はほんとにふつーのある女性の一日を、彼女の視点で描かれている。特別な能力もなくトラブルメーカーでもなく、期待されもしない一人の女性の独白がコマの多くを埋める。何より感心したのは、こうも淡々と描写しながらラストにちょっとした仕掛けを用意してあるってのが素晴らしい、嬉しいね。
 これだけ地味な展開だと読者は割りと客観視しがちに作品を読んでしまう、実際私はかなりまったりと読み進めた、雰囲気がいいなって感じで。主人公の語りに感情移入しなかったわけではないが、適齢期の女性・しかも不倫してるし・会社での立場もなんか中途半端だし、そんな諸々の環境もまあそんなもんだろと冷めた部分があった。しかも物語の展開が全く見えてこない、このまま終わっても普通に読み終えてしまえるようなほどの平凡な日々。他人の日記そのままに興味はあってもつまらない日常があるだけ。
 だからこそ、ちょっとしたことが劇的な展開に至る、というラストがとても気に入ってしまった。しかも短編でそれが味わえるだなんてね、幸福感に等しい(とは大袈裟だが)。いや、この幸福感ってやつは主人公に感情移入したからこそ味わえたものなんだろう。それくらいに説得力のある描写なのである。主人公の名は「山崎敦子」、「のぶこ」。これを冒頭でよく「あつこ」と間違われることを同僚に愚痴る彼女が描かれ、ついで不倫している上司に自分の仕事を勝手に片付けられ、名を失い立場失い、自分の存在に自信がなくなるわけだ。特に名前のいい間違えについては、今まで何度も同じ目にあってきたのだろうと容易に察せられ、彼女の何やっても満足できない生活が想像しやすい。それでいて何か大きなことを期待していると思われる彼女の寂しさ、部屋に帰って、缶ビールとダイレクトメール持って座るなりそのまんま上着を脱ぐ描写なんて退屈感ありまくり。しかも手紙をみんな読んでるんだよ、これは彼女の律儀さを何気に表現しているのかもしれないが、DMなんてすぐに捨ててしまうことしないんだよな、で読み終えるまでに煙草を2、3本ほど吸い終えているという時間の経過の表現もいい。実にさりげないんだけど、細かなさりげなさの描写を十数頁積み重ねるだけでも、十分に人物の性格とか生活感とかを読者に伝えることが出来る。
 それだけに最後の最後で再びナレーションが入ってしまうのがちょっと悲しかった、というか惜しかった、もちろん私の勝手な意見だが。モノローグの多用で読者を主人公の心情に十分近づけてから、ぱっと客観的な描写が終盤から始まる、DMの中に混じっていた花屋の小さな案内状に興味を持った彼女は、そこが家の近くということもあり、軽装しサンダル履いて出掛ける。花屋を営業する同年代と思しき女性は飛び跳ね彼女との出会いに興奮する、初めての客だっという喜び。で互いの連絡先を交換しようと名刺を渡すと、花屋の女性は「のぶこ」とあっさり読む。もうこれだけで読んでいるほうも嬉しくなる瞬間だ。ラストになってやっと主人公の感情に同調できた瞬間。ところがラストの己を客観視したモノローグが、またちょっと冷めてしまった。あっそう、よかったね、といった感じになりかかってしまった。開放された視野がまた閉ざされたみたいな。「ただそれだけで」というタイトルの意味が明確になる場面だが、それを断定されてしまったことが私の感激を少ししぼませた。再読したときに独白を無視して読んだら、ちょっと気分が良くなったけど。それら諸々の負の感情を差し引いても十分な幸福感はあるわけだが。
 彼女の日々を穴埋めするような平凡さに小さな花が咲いたって図なんだけど、花屋の飄々とした台詞ッぶりが彼女の独白でかき消されているんじゃなかろうかと思うのである。まあ、いいか、面白いことに変わりはない。

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