「鉄風」

強く!強く!もっと強く!

講談社 アフタヌーンKC 1〜3巻

太田モアレ



 体格に恵まれ、運動神経に格段に優れた高校生・石堂夏央は、一年生にして、すでにスポーツ名門校の運動部に退屈さを感じていた。彼女は見た目どおり力強く才能にあふれているが、それを隠すこともせず、他人を見くだすことを厭わず、実際、彼女と対等に渡り合える者はいなかった。それほどの努力もせずに手に入れることができる技術は、多くの者にとって憧れであるはずだが、蔑視さえ滲ませた彼女の凡人への憐れみにあふれた眼差しは、かえって敵を作る結果となる。少年マンガならば純真な主人公に立ちはだかる憎い巨悪って感じで登場してもおかしくないキャラクターを、この作品は主人公に据えてしまった。
 努力して一歩一歩着実に力を蓄え強くなっていくことを実感したい、そして、自分と同じように努力し経験を積み上げて強さに満ちている笑顔をぐちゃっと潰したい。夏央の願望は、総合格闘技との出会いによって叶えられた。
 アフタヌーン四季賞でデビューした太田モアレの初連載作品「鉄風」は、そんな彼女を中心に、女子総合格闘技というマイナーな競技ながら、そこで活躍する筋肉隆々の女性たちが激しくぶつかり合う様を・色艶もくそもない女性たちの本気の闘いを、画面狭しと蹴りや突きを放ち、寝技で関節技を決め、格闘技の豆知識を織り交ぜながら存分に描ききっている快作だ。。
 風貌からして強そうな顔立ち。そして182センチの長身。夏央のキャラクター性のひとつに、自信に満ちた見くだす視線にあると言っていい。背の高さゆえに、彼女の描かれ方は、上から見下ろすことが多く、他の多くのキャラクターが彼女を見上げることになる。それが、不気味に彼女の強さを漂わせているためか、彼女は誰と戦っても負けないのではないか、という錯覚が生まれることさえある。実際、3巻においてアマチュアでデビュー戦に臨む彼女の姿に、敗北なんぞさらさら感じないし、周囲の油断するな甘く見るなという声がありながらも、彼女があっさりと勝ってしまう事に対して、運がよかったと解説されたとしても、いや夏央が勝つのは当然だろう、という思いが強く残り続けている。
 そのためか、彼女が総合格闘技で、宿敵となるだろうキャラクターたちに練習とはいえ翻弄される姿に、いつも違和を覚えるのである。なんで夏央はこんなにやられちまっているんだ? もっと強いはずだろう? 私はすでに「鉄風」を少し読んだだけで、夏央のような過剰な自信に感染してしまったのであろうか。
 さてしかし、「鉄風」を語る上で至言が紹介されていることを無視してはならない。1巻90頁「人が生きていく為には三つの事が必要だ。一つ目は親切である事。二つ目は親切である事。そして三つ目は親切である事……」
 これは、イギリスで活躍したアメリカ生まれの小説家、ヘンリー・ジェイムズ(1843-1916)が1902年に彼の甥に語った言葉として、ジェイムズの研究者であるレオン・エデル(1907-1997)がジェイムズの伝記を綴った著作で紹介している(余談。「鉄風」では、「そんな彼の作品の一節に」と学校の授業の一教師の言葉として描写されるが、具体的にジェイムズのどの作品から引用されているのかまでは調べてもわからなかったけど、私が調べた限りでは、前述のとおり、特定の作品ではなく、彼の甥が聞いた言葉として、引用されているようだ。原文「Three things in human life are important. The first is to be kind. The second is to be kind. And the third is to be kind.」)
 この言葉を聞いたときの夏央の表情が意味深である。ジェイムズの言葉の意味を素直に受け取れば、親切に親切を重ね親切しすぎるに越したことはないとでも言おうか、まあとにかく、親切にするということは、人とどのようにコミュニケーションすべきかという指標であり、それだけ人とのかかわりが重要であるということなのだろうと浅薄ながら考える。人は得てして長年の努力や積み重ねた経験に胡座し、素人風情と部外者を知らずに侮蔑してしまう傾向があるけれども、夏央はそんな考えを持っている者たちを悉く叩き潰してきていたし、彼女の自信の礎でもあったろう。あふれ出る強さを隠しもしなかった。
 第4話の冒頭で夏央の回想が入る。男たちを打ちのめして、「大丈夫? もう安心だよ」と何者かに声をかけた。口元しか表情が描かれていないので確かなことはいえないが、おそらく中学時代の夏央であり、助けられたのは、彼女の兄なのかもしれない。  それが兄だと推察される根拠が2巻120頁である。兄は帰宅した夏央と遭遇し何かを言いかけようとうっすらと口を開いた。夏央の表情が途端に慄然としはじめる。セーラー服姿の回想が1コマ入り、夏央は、「大丈夫」と今度は自分に言い聞かせた。彼女の怯えの正体ははっきりしていないが、物語が進むにつれて少しずつ明らかになっていくだろう。
 夏央の総合格闘技の闘いは今後のますます盛り上がっていくことは間違いないし、私も楽しみだが、一方で兄との・家族との関わりも気になっている。3巻、単純明快なアクション映画を観て感激する幼少期の兄妹の姿、夏央は再び回想した、「楽しそうに映画を観てるお兄ちゃんを見るのが嬉しかったんだ」。彼女が兄に絡んだと思しき不良グループ(?)を力でねじ伏せたのも、おそらく兄想いの表れだったのだろう。だが、兄はそれを受け入れなかった。それが多分三年前であり、これまで抑えていた力を感情のまま暴走させた夏央と、空手部の早苗の因縁のはじまりだった。数多い宿敵たちに囲まれた夏央は、内にも兄との確執を抱え、いずれはコーチである紺谷でさえ宿敵になりそうだし、まさな四面楚歌な状況が今後予想されるけれども、そんな状況に今からわくわくしているのは、やっぱり夏央の思考に感染しているせいだろうか。
(2010.10.17)

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