「ぢごぷり」1巻

講談社 アフタヌーンKC

木尾士目



 母と娘の関係をテーマにした物語をよく描く近藤ようこの作品に「ホライズンブルー」がある。生まれたばかりの我が子を幸せ一杯に育もうと努めるものの、泣き止まない様子をはじめとした育児のストレス、そして自分自身が母に愛されなかったという回想を交えながら、赤ん坊を虐待してしまう女性の姿を薄気味悪いくらいの救いのなさで描写している。物語そのものは、赤ん坊は父の実家に引き取られ、彼女はカウンセラーに診てもらいながら、何故虐待に至ったのかが、ゆっくりと明らかにされていく流れだが、彼女が救われたのかどうかは誰にもわからない結末に至っている。「胎内にいた時にはあれほど一体感があったのに 生まれてしまうとやはり子どもは別の人間なのだ」「わたしは子どもに愛情を感じられなくなりました 子どもは強情で一度泣きはじめるとなかなか泣きやまず まるでわざとわたしを苛立たせているようでした」
 木尾士目の最新作「ぢごぷり」を読んで、近藤ようこの諸作品を思い出すのにそう時間はかからなかった。「ぢごぷり」は、18歳のあゆみが、双子の妹・かなめと二人っきりで生まれたばかりの我が子・夢子を育てる、いわば育児マンガという様相ではじまる。唐突な展開である。父親はどうしたのか、彼女たちの親はどうしたのか、何故二人で育てると決意したのか。そのあたりの背景が明かされないまま子どもに翻弄され精神的に不安定になっていくあゆみの姿に、経験者は生々しさを感じるかもしれないし、そんなことはないよと思うかもしれない・そうでない者はこんなもんなのかとか、母親なんだから当然なんだとか、いずれにせよ、あとがきを読まずとも推測できる実体験を元にしたと思しき描写の数々に、読者は翻弄されるだろう、ていうか私は翻弄されたのね。
 「ホライズンブルー」の主人公・春子は、我が子の泣き声や生理的微笑に、男に媚びるに長けた憎い妹の姿を重ね、またその妹を溺愛する母にも憎しみを向け、それらの感情が全て赤ん坊に向かっていく背景を用意しているんだけど、「ぢごぷり」では1巻の段階でまだ背景がほとんど見えないので、わけがわからないという感想が正直なところである。悪い意味ではない、このわけのわからなさは、あゆみが睡眠もろくに取れずに思考を歪めていく第8話のような、どう表現していいのかわからないという意味が強い。まあ、巻末の第0話を読んで、ちょっと白けたってのもあるんだが……
 一歩踏み違えば「ホライズンブルー」のような虐待物になりかねない「ぢごぷり」を面白く読めているのは、それこそ作者がデビュー作から持ち味としている二人のキャラクターの距離感である。作者自身の人生に重ねるようにして作品を描いてきた(デビュー作が童貞の妄想、その後大学時代で経験後のセックスなんてたいした事ねーよという若者たちの鬱々、「げんしけん」はそれらをごった煮)わけで、自分の子どもが出来て、それで育児を描くというのも相変わらずであるがそれは置いといて、「げんしけん」の感想で「二人の距離」を題した小文も書いたけれども、「ぢごぷり」でも、双子の距離感ってもんが執拗に描写される。赤ん坊を醜いほどに写実的に描く一方、他のキャラクターを「げんしけん」後期のデフォルメをさら押し進めたキャラ絵というか萌え絵にした結果、実際は三人がいる空間なのに、赤ん坊だけが別世界・それこそ一人地獄にいて他のキャラが地獄でない世界にいるような感覚(ポトチャリポラパさんの「ぢごぷり」感想を参照)というか、赤ん坊が地獄からの使者のごとく、双子を現実(という地獄)に引き戻す特異な存在になっている。これってキャラクターなんだろうか。ポトチャリポラパ氏(リンク先参照)は、双子たちのキャラ絵と赤ん坊の架け橋となるのがおっぱいと語った。他にあるとすれば、おそらく、目の描写だろう。
 ということで第13話(副題は「地獄十三丁目」)なのである。ここでは、育児放棄をしようとしているあゆみと、姉を思いやるかなめの対話に焦点が絞られていく。一時間抱っこしても泣きやまない夢子に嫌気が差したあゆみ。買い物から帰ったかなめは、放置された夢子を見て慌てて抱きかかえると、俄かに泣きやむ。夢子に必要なのは私ではなく妹だ、という自棄とも思える態度・睡眠不足で目の下に大きなくまを作った表情は、ほとんどが真っ黒に塗られた目が印象深い。目の話と言えば「げんしけん」の荻上なわけだが、「ぢごぷり」のキャラクターの目の白い点・輝きもデフォルメされ、表情そのものが記号化っぽい雰囲気がある。この目の描き方に注目すると、赤ん坊が双子にとってなんだか理解できない存在として描写されていることがわかる。かなめは夢子の顔を見て思う、何考えてるのかわからない(1巻39頁)、この時の夢子の黒目は真っ黒で白い点がないのが象徴的だ。13話のあゆみの目も同様に、いつもはある白い点がほとんど入らない。かなめから見て、あゆみが何を考えているのかわからないと感じていると推察させるに十分な描き方だろう。
 二人のキャラクターの距離感をコマの構成で主観と客観を自在に操りながら、次第にキャラクターの感情に没入させていきマンガ的表情を促進させていくと、突然突き放すようにして客観的な距離を現実的な小物をキャラクターの間に描いて読者に提示する。13話はそれは四度繰り返していく。対話中に生まれた大きな間として機能した。一度目は、避けられない現実をかなめはあゆみに言い放つ。冷静に考えれば、「そんなことはない」、という間である。かなめのモノローグを中心に、いかに姉の心を鎮めるかに試行錯誤する展開だ。二度目は、あゆみの極端な物言いに半ば呆れ半ば憤ったかなめの一言に、あゆみが「ごめん」と答える大きな間。三度目が、なおも続くあゆみの卑下に抑え切れない感情を、いよいよ放出するぞと溜めを作る大きな間、言ってはならないと決めていたはずの一言をかなめは口走ってしまう。どれも水平に室内を捉え横長のコマの両端にかなめとあゆみが向かい合う構図である。  かなめは夢子を抱えたまま話していたのだが、その夢子の表情は対話中描かれなかったし、描かれたコマでも眠った顔だった。抱えられて見えない・二人の真横の顔からの構図も多用し、ずっと寝ている状態でしかないことが暗示される。間に描かれた周囲の小物のデフォルメのない描写同様に、赤ん坊もその他大勢の一部だった。それが四度目の間では、構図が変わる。まず隣の室内の棚の上に飾られた写真に焦点が当てられる。写真には、両端にかなめとあゆみが、その間に父親と思しき人物がそれぞれ立っていた。そして、夢子のアップである。写真に顔を向けているような構図と顔の向きで。
 夢子の目には白い点が黒目の端に入っている。夢子の表情が確認できる構図・斜め上から見た室内が四度目の間として描写された。さっきまで眠っていた夢子の視線が、この間を演出するのである。何もなかったはずの二人の空間には、夢子の父という大きな存在が見えない障壁として、あった。
 今後、あゆみとかなめがこの壁をいかにして乗り越えるのか。結構楽しみである。
(2009.6.8)

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