自転車フランケン

イースト・プレス 「黒船」より

黒田硫黄



 実に漫画だ。安直でありながら結構しっかりした構図の表紙、これだけでもう意味がない。内容もない。されど捨て置けない魅力を感じてしまう作品である、不思議だ……というより考え込むのもばかばかしい作品でもあるから好きであり、行き付く所は、これが漫画の純粋な姿かもしれないと考える自分がまたまたばかばかしいから漫画は面白いものだ。
「わたしのせんせい」「鋼鉄クラーケン」「象の股旅」などが収載された黒田硫黄の短編集が、黄色が印象深い表紙の「黒船」である。過去の短編集「大王」「茄子」同様、骨格が整えられた物語から、今回紹介するほとんど思い付きだろうと思われるいい加減な作品まで混在しているだけに、ただでさえ売れない短編集、所詮はファンのためだけに上梓されたような代物であって実際過去の作品を考えなしにかき集めたような、最近だと望月峯太郎「ずっと先の話」が適例な漫画家の知名度頼り、昨今の手塚治虫の短編集にも通じる内容軽視ではないのが「黒船」の長所である。もちろん「大王」のような衝撃はないし、「茄子」のような感激もない。正直、単行本未収録作品を寄せ集めた感じであり、やっぱり先の例と同じではないかと思い及ぶのは早計、他の短編集にはない魅力こそが、いい加減な掌編「二人のシリーズ」と作者が名付けた連作なのだ。
「自転車フランケン」はフランケンシュタインが主人公の女の乗る自転車に乗りたがって、乗ってこけて、乗れるようになって、「ううう」と唸って「自転車買おうかな」でおしまいである。なんもない、これは怪物でさえ乗りたがる不思議な乗り物・自転車の素晴らしさを喧伝する自転車好き黒田の趣味漫画なのだ、と息巻くこともできるが、なにもないという素直な感想が正解である。その後に続く「年の離れた男」「ナイト オブ ザ リビングデッド」のほうがはるかに密度と内容と、そしてなにか深い意味がありそうで熟慮すれば何か書けそうな、でも結局意味がないだろう作品であるのに対し、「自転車フランケン」はことごとく、ない。一読してだからなんだよと悪態の一つでもつきかねないわずか8頁の時間の経過、私が何ゆえこの作品に惹かれたのかと考えると、……なにもない。ここまで何もないと、どういうわけか親しみが湧いてくるからわけがわからない。そもそも感情が全く喚起されない。いや、貶してはいない。ほとんど空虚な、編集は何考えてこれ載せたんだ? あるいは、黒田調子に乗ってんじゃねーのか? という罵声めいた憶測も受け付けない、あとがき通りのタイトルがまず先にあって内容は適当というのが極めて順当な、つまりこれははなっからタイトルだけの漫画なのである。
 二人のシリーズの一作目「海に行く」を思い出して欲しい。かの作品中で語られた「ザ・先生ーション」という作品を例に黒田は言う、「世の中には是非読むべき漫画と別に読まんでもいい漫画がある」と。タイトルだけでもう充分な漫画、読む気もないし読む必要もない、それが「自転車フランケン」なのである。「読まない方が面白い漫画がある」と続けて言う黒田の真意を私は勝手に妄想するが、この作品が「海に行く」の次に描かれたことに注目すると、あえてタイトルだけの漫画を目指してできたのがこれではないかと。すなわち、この漫画は表紙の一頁ですでに完結しているのではないかと、確信をもって訴えたいのだ。読まない、というのがこの作品の正しい鑑賞方法だとすれば、とうに読んで読んで読みまくった私は、「ザ・先生ーション」の正しいタイトルが「ザ・先生ション」であり、作者のひたか良は今なお現役の漫画家であり、しかも検索したら拍子抜けするほど簡単に作者のホームページにたどりつくという謎も糞もないような、自慢にもならないことを調べ、なおかつこんな文章を書いて、しかもそれを読んでいる人がいるという現実に直面して私は驚愕する。読まない方が面白い漫画を読んでしまった者の悲哀があるからだ。
 だから私はあえて犠牲者として忠告したい、黒田ファンならずとも「黒船」は読んで欲しい短編集だが、「自転車フランケン」だけは読むべきでない。


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