くらもちふさこ「駅から5分」episode4 彼女の居場所
くらもちふさこ「駅から5分」第1巻 集英社 クイーンズコミックス
花染町を舞台にした幾多のキャラクターが織り上げる連作「駅から5分」の面白さは今更訴える必要はないかもしれないが、やはりこのサイト上にしっかりと記録しておきたい。1巻の段階でどこまで物語が膨らむのかまるで予想も付かないし、突然終わってもそれはそれでありえてしまうような気さえする傑作である。
くらもちふさこ作品の大雑把な特徴を書いておくと、まず間白(コマとコマの間)がないこと、写実的に描かれる傾向がある背景と人物、そして際限のない妄想(あるいは空想)世界の充溢である。実は間白がある時の作品はほとんど読んだことがないので大きな顔は出来ないが、くらもちふさこを無視してマンガは語れないんじゃないかと勝手に思っているほど好きな作家である(少しずつ旧作も読んでいくぞ!)
さて、ここでは「駅から5分」episode4を中心に作品が持つ批評性を検討していきたい。批評性とかいうと大げさかもしれないけれども、常に実験的な画面構成やキャラクターを創造し続け、今なお作風を更進し続ける大ベテラン作家は、時に手塚治虫を想起せしめるほどであり、いやほんと凄いからみんな読んでよ、マジで。
episode4の舞台は花染町の人々が集うBBSである。つまりインターネットの世界である。冒頭、どこぞの廊下を歩く主人公である少女の後姿が一頁1コマで描かれる。どことなく不安定で遠近感もちょっと変。コマ枠もまっすくでなく適当な感じに斜めっているし、枠から線がはみ出すのもお構いなし。もうすでにネットの世界に少女は入り込んでいるわけだ。「談話室」という部屋に入ろうとする彼女。扉を開けて出てきたのは曖昧な輪郭のキャラクターである。その部屋から出てきた名も知らない誰か。ネット上で知らない人とすれ違うなんてことがあるのかどうかわからないが、彼女はとにかくその中に入り込む。すると、頭に「レッドれんじゃー」という枠で囲まれた名前が貼り付けられる、ハンドルネームだろう。ここで漸く少女の顔がはっきりと描かれる。周囲の物体の輪郭がぼやぼやしているのに対し、彼女だけが生身の存在然と、部屋の中を眺めた。室内には窓っぽいものから机らしいもの、イスみたいなもの、そして掲示板の書き込みだと思われる複数の小さなフキダシがぱらぱらと描かれている。影らしきトーンも貼ってあるけど、だからといって光源を特定できるわけでもない。彼女が掲示板の世界を空想したものなのかもよくわからない。もちろん現実に存在する世界でもない。手書きで乱雑に描かれた室内を、室内と呼んでいいのかすら躊躇してしまう描きっぷりである。唯一認識できるキャラクターとしての彼女は、イスともなんともつかないものに座る。座れるんだからイスみたいなもんなのだろう。さっきまでいい加減な線の集合に見えていたものが、彼女が腰を下ろすことでイスらしさという機能を備えた。続いて彼女は周囲を見渡す。首を振るほどの大きな仕草ではない。目配せするように周囲のフキダシ群を見つめる。読者にもいくつかの文章が読み取れるだろうけど、雑然としているし前後の文脈が不明なので意味はよく掴めない。そして彼女はおもむろに声を出した、ていうか書き込みした。「家具 譲ってください」。
表紙を除く冒頭4頁の展開を文字に起こしてみたわけだが、彼女が描かれている世界はどう考えればいいだろうか。劇中では舞台がインターネットであることの説明も、彼女がパソコンに向かっている客観的な描写もない。この段階でネットであることを理解できたとして、ではそこで動いている彼女の存在はネット上だけのものなのか、ネットをしている別の誰かがいるのか、ということすら判然としない。ただ、彼女の最初の台詞によって、どうやら「談話室」というネット上の掲示板に書き込みをした誰かがいるのだろう(その外見も当然ここで描かれているキャラクターだろう)ということは容易に推測できる。
この4頁を前述した作者の特徴を踏まえれば、コマ枠の雑さ(もちろんネットという世界観を表現する一手段としての線だろう)が間白がないことで微妙にコマが重なったり、キャラクターの輪郭線がはみ出したりと、もやもやした雰囲気を作り出している。ここに目こそ大きくデフォルメされているとはいえ、現実的な頭身と挙措を持つキャラクターとして少女が登場する。そしてネット上の架空の世界観は、彼女が感じているものと思われる「談話室」の空間である。
読み進めると、机を譲ってもいいと「ユリア」というキャラ(でも容貌は全然はっきりしない、人の形とわかる程度の輪郭だけ)が現れると、「ドン」という机を置く音、明らかに机とわかる描線の集合等、文字(フキダシ)だらけの室内に変化が現れる。少女はこの机の上に乗り、「これ欲しいです」と返答する場面まで描かれる。
チャットか掲示板かはっきりしなかったところがあるものの、「ユリア」が室内にいないにもかかわらず、彼女は机に上に座り込んだままじっとしている。読者は「ユリア」は室を去っただろうと思っているけど、彼女はまだ掲示板を見ていると思って返事を待つ。チャットルームならば退室したことが明示されるわけだから、ここは掲示板らしいことがはっきりするだろう。つまり、輪郭だけのキャラクターの動きは彼女に認識されていない節があるのである。冒頭のすれ違いも、彼女は気付いていない可能性があるわけだ。となると、ここで描かれているものは彼女の空想だけではないらしいことが見えてくる。彼女が見えるのは、書き込みをした言葉とその主のハンドルネームのみ、という点は間違いない。これはROMっている読者にも通じるわけだが、名前しか情報がないキャラとしてのネット上の存在は、キャラ/キャラクター論でいうところのキャラそのものだろう。他の閲覧者から見れば、「レッドれんじゃー」だってキャラである。キャラクターとしての彼女が、キャラとなって作品世界=ネット上を動いているという読み方も出来るかもしれない。
「談話室」を後にした彼女は、生徒会室に向かう。まあこの場合はブクマかリンク辿るかして学校のそこに行ったのだろう。描写としては、室を出た彼女が最初の一頁目で壁だと思われた面の上を歩く、そもそもそこに足をつけているのかどうかすら覚束ない歪んだ空間の中を移動していく。生徒会室は彼女のホームグランドらしく、書き込みであふれる・フキダシで埋め尽くされた室内にうろたえることなく入った彼女は、「執行部」と名を変えて返事をしていく。曰く、「ここのレスの98パーは私だし」というくらい彼女はここで力を発揮していた。
「レッドれんじゃー」と「執行部」、この二つを繋ぐものは傍目には全くわからないが、彼女というキャラクター性(少なくとも彼女は家具を求めており、生徒会執行部の一人として生徒会のホームページを管理しているらしいことが推測される)を知る読者は、この二つを難なく結びつけることが出来る。これは作品全体にも通じるのだが、各話にはそれぞれ主人公たるキャラクターがおり、ストーリーは微妙に重なり合っている。episode4では、主にepisode2・3・5に登場するキャラクターが掲示板に書き込みをし、彼女とネット上ですれ違う様子が後半で展開される。この繋がりそのものは読者だけが知っている・楽しみにすることが出来る連鎖だろう。バラバラの各話を物語にしてしまう読者の視点といいうものが、自然と生まれる構成になっているわけである。
すなわち、どのキャラクターの視点を持ってくるかでひとつのストーリーが複数の視点を持つということである。ここであらすじを追っているepsode4は彼女の視点を中心にしているが、episode2の主人公・野生子を意識して読めば、後半の書き込みからepsode1・2が繋がり、episode4では「ノブコ」というキャラで輪郭すらない存在だが、読者にとって野生子のキャラクター性は厚くなるに違いない。誰の視点にもなり得るし、誰の視点でもない。これが「駅から5分」の背景に横たわる世界であり、epsode4は、それをインターネットという抽象的な世界観を拝借することで際立たせた。
さてしかし、「生徒会室」で重要な場面がある。彼女に代わってレスをする人物が現れるのだ。彼女は、きっとこの書き込みは会長に違いないと即断する。残り2パーのレスが会長だからだ。するとどうだろう、他のキャラと同じような輪郭を持っていた「執行部」のキャラ・会長が、彼女のキャラ視点によって途端に美男子として像を結ぶのである。会長は他の挿話にも登場した高校の生徒会長であり、「1年女子」の書き込みに対して真摯な返事をする(ここで「1年女子」を進学したepisode1の藤巻さん(?)に重ねれば、他との繋がりがたちまち意識されるだろう)。
キャラとキャラクターを自在に描いたネット空間に対し、その後描かれる現実世界の描写がひどく貧しいように思えるのは、多分私が彼女に感情移入していた結果である。コマ枠は太くなり、キャラクターの輪郭がそこからはみ出ることもなくなり、きっちりと線が引かれる。ここで彼女がどんな姿勢でモニターの前に居たのか明らかになり、妹の来訪・彼女の回想を通して、何故家具を欲しがる状況に至ったのかもわかってくる。
ネット上の振る舞いと現実の境遇によって、このストーリーそのものが二重の意味を常にはらむことになった。町のBBSということで仮想空間でありながら現実との接点を持ち、現実世界に居ながらBBSのある書き込みに思いをはせる。状況はごちゃごちゃだ。コマ枠も、ネット世界を示す細い線と現実世界の太枠が混在し始めた。書き込みをモニターを通して見つめる彼女の視点と、ネット空間に存在する彼女の視点。すると、ネットと現実の境界がより鮮明になり、「彼女」と「レッドれんじゃー」という存在の齟齬が、意識されはじめるのだ。
ここで読者も思い至るだろう。キャラクターの「彼女」の名前がまだ知らされていないことを。彼女は、「談話室」の管理人にトピ違いを指摘され、今まで自分がした書き込みを「レッドれんじゃー」視点ではなく、「彼女」視点で眺めることで、ちょっとした傲慢さを感じ取ってしまう。両親とうまくいかないのも自分のせいではないかとさえ思い悩み、友達にしたメールの返事がまだない・すぐに返信してくれる会長からも未だにメールが戻らないことが重なって自己嫌悪に陥っていく。「これは自分なのか」「信じてきた自分とは別人みたいだ」「私ってホントは性格悪い?」
キャラの言動を冷静に見詰めたキャラクターは、自身のキャラに潜んでいるかもしれない他人に嫌われる要素に気付く。名前のないキャラクターは俄かに混乱して自分を見失う。母の作ったキンピラ(甘すぎて嫌いだけど)を食べることで、現実の自分をどうにか繋ぎ止めはするものの、メールの返信がないことでキャラクターは仲間という拠り所を失い、管理人に書き込みを削除されることでネット上の拠り所さえ失いかねない事態に追い込まれる。
こうして「レッドれんじゃー」視点=キャラ視点は、彼女の中で居心地の悪いものになっていく。だからと言って「彼女」視点=キャラクター視点で現実を見据える度胸もない。「彼女」は、自分の立場・すなわちキャラクターを意識すればするほど解体され自信をなくしていく。仕方なくかどうかはわからんが、キャラに戻った彼女は、不用意な書き込みを管理人に詫び、会長と思われる人物が掲示板で話題になってもしゃしゃり出ずに見守り、干渉せずに静かにそこから去ろうとする。けれどもしかしここで、彼女は不意の訪問者にびっくりしてしまうのだ。「自分 その人知ってます」という書き込みが行われる前に描かれた1コマ。「談話室」はBBSでチャットではないにもかかわらず、「チャキチャキチャッキー」と名乗るキャラの登場に彼女は何故「!」と飛び上がらんばかりの反応をしたのだろうか。
「!」は当然「彼女」の反応だ。「レッドれんじゃー」は謝罪の後、一切書き込みをしていない。現実の態度がキャラの態度として描写されているのだ。振り返って慎重に読み進めると、ネット上の彼女にはしばしば現実の感覚(たとえば冷や汗とか)がそのまま描かれていた。もしネット上だけの反応であるならば、現実的な描写はされないだろう。常に現実の意識が染み込んでいる状態。そもそも縦書きのモノローグ(ネット世界の言葉は全て横書きで表現されている)は現実の彼女の意識である。「!」を待たず、「レッドれんじゃー」と「彼女」は最初から一緒であり、乖離したように思えたのは、「彼女」視点で「レッドれんじゃー」を省みた結果であり、錯覚だったのだ。
こうして彼女は掲示板に書き込まれていく現実世界の「中継」に耳を傾ける・というより目が離せなくなる。会長といつも「つるんでいる奴」の動向が実況される。ネットの世界が、今度は逆に現実に染み込んでくるのだから、彼女の驚きと戸惑いは当然のものだ。書き込みを注視する彼女は「レッドれんじゃー」のままで、コマ枠も乱雑だ。彼女はキャラのまま現実の出来事を眺めるのである。すると物語の現実世界は、いよいよネット世界の闖入を許すことになる。「ユリア」が机を運んでくるのだから。
レッドれんじゃー/彼女を、無理やりキャラ/キャラクターに当てはめて考えてみたのだが、そうすることでネット視点と現実視点というものが考えられそうな気がしてきた。冒頭は完全にキャラ視点であり、どこからどこまでが客観的でどこまでが主観的なのかもさえ判然としていない。ごちゃごちゃとし(コマ枠さえ乱れているのだ)、あらゆる視点による描写を可能とするキャラ視点を支えているのは、「彼女」の意識でしかない。だが、コマ枠が太くなって現実世界の話に移行すると、キャラクター視点は彼女の感情や五感に支配されてしまう。
実は、このようなコマ枠による判然としない描写がepisode2で描かれている。どんな場面だろうか。
思いっきりネタばれになるが、episode2の主人公・野生子は、「極度の方向音痴」である。初めて訪れた愛染町を彷徨い歩く彼女を囲むコマ枠は、ネット世界を示すコマ枠と同じである。正しい道を進んでいると思い込んでいる彼女は、だがしかし当たり前のように迷ってしまう。目的地にたどり着けない彼女はタクシーを捕まえて思う、「変だに この街 なんだか惑わされているみたいだに」
正しいと思っていた自分の行いが、一歩離れて客観視したとき、とても間違っているような気がしてくる。野生子はやがて街の中を見回して地図を買おうと方向音痴を自覚していく。レッドれんじゃーは、やって来たユリアに現実世界の名前を呼ばれることで、自分の立脚点を見出していく。キャラとしてもキャラクターとしても自分の居場所を確立するのだ。ラストカットのorzは、まさにキャラ視点とキャラクター視点が融合した彼女そのものであり、もう迷ったりはしないのである。
(2008.6.7)
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