椎名軽穂「君に届け」第2巻 モノローグの飛躍

集英社 マーガレットコミックス



 正直、前作の「Crazy for you」の終盤の展開に落胆していただけに、新作「君に届け」の第2巻・1巻分を費やしての友達話に衝撃を受け感動した。まあ泣いたとかどうとかいう話はここではどうでもいいんだけど、何故こんだけの盛り上がりを描けたのかということについて考えてみた。
 まず少女漫画の特徴としての多量なモノローグにある。モノローグは普通ならひと作品あるいは一話のなかで一人に限定されるものであるが、少女漫画ではそのような制約なく、いろんな登場人物のモノローグを次から次へと投入できる強みがある。今誰が語っているのか、という状況がわかっていれば、その言葉の源はそのキャラクターにあるわけで、説明ゼリフになりかねない言葉も心理描写に置き換えられる。これはマンガの大きな武器だ。
 映画にしろドラマにしろ、音はマンガにはない大きな長所であり魅力でもある。だが、同時に短所にもなってしまう。例えば主人公と誰かが会話をしている場面、ここに主人公のモノローグを挿入する場合、基本的に会話の音量は消されるか小さくされ、モノローグの内容に重きを置くものである。どちらも同じ音量だとごちゃごちゃして何を話しているかも何を考えているかもわからなくなりやすいからだ。ところがマンガは音が出ない替わりに、同じ大きさの音を並行して描写できると言う短所を長所に変える力がある。これが会話とモノローグを同時に展開できる理由であろう。読む順番はあるにせよ、ひとつのコマにフキダシとモノローグがあれば、今何かを思いながら話している、という場面としておおむね解釈される。キャラクターの心理のすれ違いや摩擦・葛藤などの裏面を会話・表面と同時に描ききってしまうわけだ。
 で、本作も主人公・貞子は矢野とちづという二人の級友と仲良くなりながらも、噂がもとで誤解が誤解を生んで仲たがいしかけてしまう流れに至る。本当の気持ちをモノローグで綴りつつ、実際の会話にそれが表れないもどかしさが読者にさまざまな感情を与えると言うわけだし、本心が通じ合ったときの喜びが感動になる。恋愛物も似たような経過をたどり勝ちなわけで手法自体はそれを踏襲しているんだが。
 この多量のモノローグによる効果はセリフにも影響する。本作のモノローグはほとんどが貞子であるが、これが山場となるトイレの場面で、貞子といい感じの風早が「がんばれ」と声援を内心呟く。その言葉は貞子に被さる(2巻145頁)。トイレの外にいる風早の言葉が次のコマでトイレの中の貞子に送られることにより、彼が「耐えて」見守っている様子がわかる。あれこれ言いたいところを一言に託した彼の思いやりってのがよく伝わってくる描写だ。で、ここでちょっと客観的にこの場面を見ると、貞子の「さっきの言葉 とりけして」というフキダシが風早のいるコマと重なっていることが一目でわかる。もちろんこのセリフは彼には聞こえていない。彼の声援に応えたかのような貞子の言葉という印象もあるだろうが、このフキダシの位置によって、トイレの外から中へという急な場面転換を成立させているのである。
 青年漫画でよくあるセリフによる場面転換は、このフキダシを空とか建物とかに描き、映画的な演出を施す傾向があるけど、これをフキダシの位置によって制御しているわけだ。131頁が典型例だろう、前頁からの転換を校舎の絵と「おはよー」というセリフで翌朝の学校に一気に飛んでしまう・時間と場所を省略した1コマ目は映画的で、2コマ目に跨って「おはよー」さらに「ドクーン」という心拍音を3コマ目の貞子のアップに重ね、生徒の声と貞子の内面を並行して描く漫画的な演出だ。2コマ目に貞子は描かれていないが、「ドクーン」の主が3コマ目で貞子と知れるや2コマ目のそれも貞子のものと解される。つまりモノローグ同様にフキダシが誰のものかすぐにわかりさえすれば、そこにキャラクターは描かれてなくても構わないわけだ。
 フキダシは当然セリフを言うキャラクターに付されるものだ。だからこの二つはセットのようだが、風早のモノローグが場所を飛び越えたようにフキダシも飛び越えることが出来る。168頁からの貞子のセリフがまさにそれになる。166頁で誤解が解け、今までの気持ちを語る彼女とそれをじっと聞いている矢野とちづ(ここでも風早のモノローグが被さるな)。167頁で貞子の横顔にアップし泣いているのがはっきりとわかる、しかしここでまた画面が引いてしまう。168頁1〜3コマ目では貞子の話を聞く矢野とちづの表情が描かれるが彼女たちは何もしゃべらない、「……」と貞子の告白に近いセリフに圧倒されている。貞子のセリフはなお続き、4コマ目でようやく正面のアップが描かれる(その前に描かれたアップが162頁、ここは涙が溢れようとする顔だ、6頁も溜めて貞子の涙がゆっくりと頬を伝っていく様子も何気に描いている)。168頁は話す貞子よりもそれを聞く二人の表情が多く描かれているということは、ここで描きたかったものがその二人の・貞子の「あきらめられなかった」という言葉にはっとして目を見開く表情ということである。さらに貞子の涙が頬から滴る時間経過の描写も省略し、一気にあふれ出た印象さえもたらす。
 さてしかし、風早のモノローグかと思われていた「がんばれ」が、181頁で貞子のモノローグであることが判明する(飛び越えたのは風早ではなく貞子のモノローグだった、いや二人の気持ちが重なっていたのか)、ていうか、少女漫画読みならすぐにわかっちゃうのか、これ、私はてっきり彼の言葉だと思ってたよ。矢野とちづとの仲直りを描く傍らで、風早との気持ちの交感さえ描いてしまう。神懸り的な心理描写だ。椎名、恐るべし。

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