「蒼天航路」第16巻 1999年5月21日初版 講談社モーニングKC
作者 王欣太
ここでは「蒼天航路」第16巻を例に、中国・三国時代の合戦について検証してみたいと思います。これによって本作品の虚と実が明らかになるでしょう。
6頁からの投石器(または発石車)による攻撃場面。投石器、また攻撃される高楼、後で描かれる衝車といったものはいずれも三国時代で使用された攻城戦の武器です。この作品では、投石器を守城側・曹操が使って反撃しているという点が、曹操の非凡振りをあらわそうとしているのでしょう。(あの巨大な岩をいつ用意したのか、と考えると、曹操の千里眼に驚くという仕掛け。そこまで作者が考えたかはわかりませんけど。深読みかな。)また、高楼でのんきに歌を歌っていた袁紹軍の兵士、彼らの持つ武器は弩(ど。つまり石弓)ですね。これも当時一般の弓よりも多く用いられた武器です。ただ、弩兵の着ける防具は軽装が普通ですので、本作はちょっと防具を着けすぎかな。
さらに続く守城側の攻撃は、寡兵にしては勢いがありすぎだと思います。曹操軍の強さを見せ付けるにはもってこいの場面ですが、袁紹軍は四十万という設定ですから、騎兵は深追いし過ぎの感じです。
兵士の持つ武器は、主に槍と刀です。当時の中国はすでに青銅器が廃れて鉄器が普及している時代ですから、彼らが鉄の武器を持っていても不思議ではありません。ただし、戟や戈がほとんど描かれていないようです。戟や戈は槍に似ていますが、敵を引っ掛けることが出来る枝がついていて、歩兵はこれで馬に乗る武将を引っ掛けて落とすこともあります。また、馬車も出てきません。当時の馬車はむしろ戦車とも呼べるもので、騎兵の先駆けとして用いられていました。
では、袁紹軍の四十万という数字はどうでしょうか。兵法書のバイブル「孫子」によると、十万の兵士を支えるには七十万戸(人ではなく戸。一家族を四人とすれば実に七十万戸は二百八十万人!)の支えが必要だといいます。つまり、四十万人もの大軍を支えるには二百八十万世帯の人々が必要なわけです。これは可能な数字でしょうか。今でこそ十億を越える人口を誇る中国ですが、後漢時代(三国時代の前の時代)の人口はおよそ五千万人前後だという記録・統計があります。三国時代にはこれが、十分の一にまで激減したという資料もあり、本作品で描かれている官渡の戦い(西暦200年)の頃の総人口は多くとも一千万人かと当て推量できます。袁紹が支配する中国東北部は痩せた土地が多く、人口密度は曹操の領地より低いでしょう。となると、現実的に四十万という数は動員不可能です。仮に可能だったとしても、これだけの軍を一年近く維持するにはどれだけの食料が必要か、と考えると、中国全土の田畑から穀物をことごとく集めても足らないと思われます。ではどれくらいの兵力が適当だったか、というと史実(三国志の正史)では十万とあり、これでも私は多過ぎるとと思いますが、少なくとも五万以上は動員されたと考えてよいでしょう。
また、「蒼天航路」の合戦場面ではたくさんの兵士が殺されます。これははっきり言って多過ぎます。もっとも、この作品では「死体」も重要な小道具のひとつとして描かれ、それが202・203頁の見開きが象徴しているわけですが、とにかく死に過ぎます。近代戦争のように大量殺戮兵器がない時代です。たとえば天下分け目の決戦「関が原の戦い」では両軍合わせて十万以上の軍が衝突しましたが、戦死者は千人ほどだったといわれています(戦後の落ち武者狩りや敗走する兵士の追撃戦等も含めれば5、6千人以上とも)。実際、合戦において総兵士数の一割やられれば敗走し、二割から三割やられれば壊滅するといいます。ですが、この作品では尋常な数の兵士が死にます。だいだい、いかに殺傷能力の高い武器をもっていても、当時の兵士は敵を殺すために「斬る」、というよりも敵を押し出すために「叩く」使い方が主流でした。そのほうが、武器が長持ちするのです。
などといいながら、この作品から血を除くと実に迫力も面白味も欠けるつまらないものになりそうです。すでに、多量の死体がひとりの主人公のような扱いを受けているからこそ、これまでただの死に役に過ぎなかった死体たちが「蒼天航路」で活気付いたといえるのかもしれませんし、三国志という舞台だからこそなんでも許せてしまえるような懐の深さがあるわけで、これからもたくさんの死体に囲まれながら、この作品を読み続けることになりそうです。
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