2015年の打ち上げ花火

メディア ファクトリー コミックス「ふたつのスピカ」より

柳沼行


 ほのぼの、という表現は安易だが、この作品は絵・内容ともに汚れのない澄明な物語である。長編「ふたつのスピカ」の導入部にふさわしい柳沼行の処女作にしていきなり佳作となった作品である。荒削りでたどたどしい描線を補うに十分な情緒を重んじた人物の心理と作品全体を覆う恬淡とした雰囲気がたまらない。何ゆえにこれを「ふたつのスピカ」の後ろに収録したのか大いに疑問だ、続く「アスミ」と、そして本編を再読して漸くアスミという人物の態度を理解できたわけで、杜撰な編纂態度である。作者に失礼だろ。
 「ふたつのスピカ」は宇宙飛行士を目指すアスミを中心としたSF作品である。帯には「SFファンタジー」と記されているが、本編は作品の絵とは裏腹にかなり克明な人間描写が期待できるドラマになりそうな長編である。「2015年の打ち上げ花火」「アスミ」の短編二編は、5年前に起きた宇宙ロケット墜落事故の犠牲者になった飛行士とその恋人、惨事に巻き込まれ5年もの植物状態の果てに亡くなった母を持つアスミの物語である。特に後者はアスミと母親に焦点を当て、物心ついたころには母親は入院中で包帯に巻かれ、生きた素顔を知らずに育ったアスミが溺死しかけ、臨死体験中に母親と出会い云々という小学生に読ませたい感動作に仕上がっている。今回取り上げるのは前者である。
 特定の主人公はいない。アスミ、その父、教師(死んだ宇宙飛行士の恋人)の三者が夕陽を受けながら淡々と、残された者の日常を生きる物語である。ファンタジーと言われる所以は「ライオンさん」というアスミにしか見えない飛行士の霊が登場するからで、特別に奇跡や幸甚が降ってくるわけではない。絵も純朴というか稚気というか、描きたい構図があって懸命に描きながらも上手く描けない切なさがあり、それがまた作品の流れにぴったしきているものだから不思議である、つくづく漫画って絵と話あってのものである。150・151頁の花火を背景にした教師と飛行士の再会場面なんて思い切ったものだ、作者の意図は十分わかる、教師のアップ後に階段下から教師の背・飛行士(ライオン)・花火、続いて階段上から飛行士・教師を照らす花火の光、そして飛行士のアップの4コマが大ゴマで連続し、とても綺麗な場面でありながら、粗雑な印象を受けてしまうのである。画力が整っていないのが惜しい。けれども、構図とその展開方法は卓越した感がある。
 143頁の最後のコマ、夕陽である。歪んだ太陽・夏らしい厚い雲・映える海・浜辺・沿岸道路・町並みそして高台の二人、コマ左隅には二人が通ってきた林の茂みの一部と、小さな画面にきっちりと景色全部を描き込んでいるのである。さらに続く頁は二人が眺めていた海の浜辺に視点が飛んで、そこでアスミを探す教師に場面が移るという展開は、読者の無意識の視線を意識したさりげないが細やかな演出である。さらに教師にライオンさんのことを思い出させるとまた場面を二人に戻し、しかも時間まで経過し、なにげに海風まで描いて、コマ運びは地味でおとなしいけれども、堅実で丁寧な作りなのだ。152頁2コマ目の昇天する飛行士がこれまた次で生きてくる、実に無駄がない、相当練りこまれているネームだ。153頁最後のコマにアスミの「ライオンさーん」という台詞をかぶせれば、読者は空に上った飛行士を思い出し、154頁ラストシーンは飛行士の視点と読めないこともなく、同時に子供の無邪気さが直前の教師の涙と重なって切なさが増幅、じんわりと感嘆してしまった。(でも、続く「アスミ」冒頭、事故現場を走る「東京消防庁」の救急車って一体……あの事故は東京の沿岸部で起きたのかよ……いや、千葉か神奈川の田舎だろう、多分。となると、打ち上げた場所はどこ? 種子島じゃないの? どこ?)。


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