「マフィアとルアー」

スタジオDNA DNA COMICS

TAGRO


 何より回想場面の挿入が抜群に巧いTAGROの短編が本作である。
 別れた彼女の故郷にふらりとやってきた主人公(漫画家)がやくざの息子と釣りをしまわるというお話。あらすじ自体書くのが野暮なくらいに本作は彼女と別れたいきさつの描写がすさまじい。計四回描かれるこれらはいずれも奇をてらうほどのいやみもなく、さりとて平凡な「あのころ僕は」みたく前置きから始まることもなく、物語の中心軸たる「若」と釣行する主人公(おっさん27歳)という流れを決して損なわずに、唐突に思い出した感じでもなく自然と修羅場に移行していく様子に圧倒された。
 まず150頁、池に広がる波紋に「映画? 行っといでよ」とセリフがかぶさってから彼女との会話が思い出される。で、152頁最後のコマで波紋が小さくなって(しかも暗い影がトーンで表現されている)次頁で釣りの成果があげられない気分と、当時の嫌な気分が重なる描写がさりげない。次に159から160頁の流れ、時間を訊ねられて「AM5:24」に転換、彼女の帰りを待つ当時の主人公へ。巧いなー、ここ。162・163頁の彼女の表情はどうだ、目だよ目。元から主人公と別れる算段だった彼女の気持ちに朝帰りした恥ずかしさ・照れを加えた微妙な表情が簡潔な筆致でコマを並べている。160頁で主人公は空ろな目をしているけど、彼女の帰宅で目が覚めた振りをして黒目に戻る、つまり本心を隠した目になって彼女を見上げるのだが、当の彼女は最初目が省略されて描かれる(161頁)。で次からの10コマ、精密なのだ、まず目を上目がちに主人公を一瞥し、すぐ目をそらして足下に視線を移す、今度は顔自体を横にそらせてからはとうとう俯いて目まで閉じる、いや、単に絵の内容を解説しているだけではないのだ、注目すべきは、これら一連の表情の流れが全て163頁3・4コマ目の伏線(というとなんだか大げさだが、ここは彼女が意を決して別れを告げる主人公にとって重要な場面なのだ、単調なコマ割と単調な構図で徹底的に読者の視線から周囲の夾雑物を除去するための助走期間があの表情の連続描写なのだ)なのである。3コマ目で口を引き締めて冷静な表情になる、しかも額の汗も消えた。主人公は彼女の表情の変化に全然気付いていない、言葉だけを捉えて冷静を装いつつ彼女と対峙しているが、4コマで彼女のはにかんだ遠くを見る目に全てを悟り、空ろな目に怒りとも悔しさともつかない瞳が宿るわけ。「優しかったから」という彼女のセリフだけで読者も彼女の表情が容易に想像つく仕掛けともなる。
 三回目は168・169頁の釣りの場面にセリフのようにかぶさる小さなコマ・彼女に詰め寄って肩をつかんで叫ぶ主人公の一瞬、これが漫画ならでは。フラッシュバックのようでそうではない、この見開きはコマが雑に並べられていて、釣りをしながら当時を回想しているという雰囲気ではなく、二回目の回想の続きをここでやっているという感じ・つまり主人公にとって何度も思い出したに違いない修羅場を今の主人公と対比させることによって成長した今の心を強く印象付ける、釣果なくともいきり立たない冷静さとでもいうのか、余裕ができたというのか本当に寛大になった彼の姿が浮き彫りになるのである。それが四回目の回想ではっきりするわけだ、振られて彼女の家から出て行く時に言えなかった言葉を手を振って叫ぶ主人公。
 などと書いておきながら個人的にとっても気に入ってしまったのが空の描写なんである。冒頭3コマ目で右上隅に描かれる看板「本当の空がある」、それから190頁の「郡山駅」から、作品の舞台が高村光太郎「智恵子抄」に関係しているのではないかと勘繰ったが全然関係なかったことは置いといて、しかしその看板の文字を意識したと思われるかのように劇中では空がよく描かれている点に私は感動したのだ。作品自体が同人誌で発表されたわけで当然背景も作者の筆によるものだけど、ここまで空を描いてくれる作品、しかも田んぼや池に映える空の色具合もトーンで表現されてて、結構景色が丹念に描かれていることに驚いた。筆致との齟齬もなく、うねうねした雲も違和感がない、さらに雲の遠近感によって画面にとてつもない広がりが感じられるのだ。そもそも主人公は彼女が今住んでいるという故郷がどんなとこか見に来たのだから、田舎の景色が存分に描かれて当たり前なんだが、そういうことを忘れさせるほどの迫力が回想場面にあるものだから困った。そっちについつい目が行ってしまいがちなのも仕方がないけど、作者は「空」を忘れずにしっかりと彼女の故郷を描いている点で、実に誠実な作家だなと感心するのであります。あどけない空の話でした。

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