「安達が原」

 初出 1971年少年ジャンプ3月22日号(「ライオンブックスシリーズ」として集英社・講談社などから出版された手塚治虫全集等に収録されている)

手塚治虫



 数ある短編の中で白眉と呼ぶに相応しい傑作です。
 題名通りに能の「黒塚(安達が原)」を下敷きとしたSFで、主人公・ユーケイの名は「黒塚」の主人公・山伏の阿闍梨祐慶から得たものです。冒頭と中ほどと最後に能の一場面が登場しますが、この効果は読者によって様々でしょう。私は作品の根底に流れる悲哀のようなものを感じましたが、さて。
 この作品の魅力はなんといっても山場の魔女と呼ばれる老婆の告白です。老婆がユーケイのかつて恋人だと明かす場面で泣き崩れるユーケイの傷みは読者の心を震えさせます。私ははじめて読んだとき、驚愕しました。あらためて読み返せば、さすが手塚治虫、しっかり伏線を張っているのがわかりますが、とにかく興奮しました。読み終えてすぐに読みなおすほどでした。そうした手塚の優れた構成力には感服します、恐れ入ります。
 ところが、こうした手塚の独創と思われた本作品は「黒塚」に基づいている以上、なんらかの模倣があったのではと思い至ります。岩手という女性が女子を出産後、姑と不仲になってまもなく京都の実家に帰って子供を育てるものの、子供は成長しても口を聞かず、どうしたものかと思案に暮れていると「生きている人の肝を食わせればよい」という情報を得ます、陸奥に人を食わせる所があるのを聞きつけてその地、つまり黒塚の地まで単身やって来て、子供に食わせる前に大丈夫なものか自分で確かめようと食べたところたいそう美味く、そのまま居着いてしまい、日毎人の肉を食らうようになったという、ある時若い夫婦がやって来て、一晩泊めるものの、夫がちょいと外出した隙に女を殺してしまう、女が息を引き取る際に「わたしは岩手という名の母を探しにここへ来た」という言葉を聞き、鬼婆は…。
 つまり手塚は二人の立場を「黒塚」と同じ位置に立たせると同時に、全く逆転して描いてもいるのです。ユーケイは彼の地を訪れた調査官(山伏)であり安達が原の鬼婆(殺し屋)でもあり、アンニー(ちなみに彼女の姓は黒塚ですね)は来訪者を殺して食らう魔女(鬼婆)であり母を捜す娘(恋人を想っていつか会える日を待っていた女)でもあるのです。手塚の天才振りを実感しました。
 もちろん、「黒塚」なんて知らなくとも本作品は感動します。ユーケイが泣きながらアンニーの手料理を手掴みで食べる最後の場面は秀逸です。
 「あさましや はずかしの わがすがた」という最後の場面は、能では素顔を見られた鬼婆が顔を隠しながら去っていく場面です。この言葉は魔女となったアンニーの言葉であると同時に、告白を聞くまで恋人だと気づけなかったユーケイ自身の激しい自責の念にも思えました。

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