「愛すべき娘たち」
白泉社 JETS COMICS
よしながふみ
絶妙な間の取り方に震えてしまった。
上手すぎでしょ、これ。文句なく傑作でないの? いや、びっくり。この人の作品って絵が良さそうなので買いながら積読のまんまで放置してたところ、評判がいいんでちょっと読んでみたんだが、ボーイズラブ物っていくら面白くても身構えてしまうところがあって、なかなか劇中にのめり込んで読むことが出来ず、数頁でまたも放置してしまった。それでも良い評判を方々で聞き続けているうちにせっかく買ったんだから読んでみようと、とりあえず数冊の積読の中からこれならどうだろうかと手にしたのが本作なんである。ああ、大正解・運が良かった。これは真っ当な人間ドラマでありました、しかもいろんな形の愛・愛ゆえの物語じゃなくて・愛するという行為を軸にした人々の物語として、恋愛漫画とはちょっと違う「恋愛」漫画を軽やかに描いているんだから仰天した。こりゃ絶賛されるわ。
私は11頁2コマ目でいきなりやられてしまった。当時の母親に叱られて・しかも理不尽な八つ当たりに見舞われて呆然とする雪子。全ての思考が停止したような間、すげやこりゃって感じで、何かモノローグが入りそうな、あるいは「……」というフキダシでも入りそうな白い空間が、コマの左半分以上を占めて鎮座しているのである。読んでしまうわけ、何も書いてないのに。これってとんでもない表現力だと私は思うのだが、いや、だってこの場面は雪子の明らかな不満が手に取るようにわかるし、台詞の量に圧倒された直後のポカンと空いた何にもない白さにまさにポカンと口あけて、ここに雪子の言葉が読者の代弁みたいな形で「何言ってんだこの人」「なんてわがままな奴」とかなんとか語られても全然不思議じゃないんだよ。コマの中で絵や台詞を捉えようとさまよう視線の動きが、すっぽりとその中に落ちて見事な間を現出してしまう。
間白(コマとコマの間の空間)の間隔を広げたり狭くしたりして時間経過を演出し、読むテンポを制御するってのが誰にでも出来る間の作り方で、しかも結構効果的なんだけど、この漫画は律儀に間白は統一されている。そりゃもうびっくりするぐらい。初読の印象としては、派手なコマ構成を想起していたんだが、パラパラと再読してみると真っ正直なくらい丁寧な構成で読みやすく、台詞を捉える順番に錯誤が生じにくいのである。
17頁3コマ目・左隅に「どっかーん」でもいいんだけど、間白の替わりに、コマの中で間隔を設けているんだね。滞りなく読み進めたところで唐突な台詞のないコマで肩透かしでも食らったような、読み手がつんのめってテンポを崩されてしまう。実際止まる止まる、視線は止まりまくる(実際にはほぼ素通りしてしまうところかもしれないけど、それまでの言葉攻めから解放されてちょっと息つく瞬間に長い間を体感してしまうのだろうか)。で、これ何かってもう少し考えてみると、劇中では「……」だけのフキダシも用いられていながら、ここは他の台詞と同様のテンポで通過してしまっていた。人物の周囲に白い空間を広げることで、背景を消し去られた人物の表情それのみが強調されて、それだけで物を語っているのだろう。台詞はなくとも、その表情から読者は人物の心情を察してしまう・また察してもらうための一瞬の猶予を間を作ることで演出しているのだ(ほんまかいな)。
真っ黒なコマもある。これは主に小さなコマの時に使われる。ここも視線は止まる、人の目の動きってばそんなもんなんですよ。で、黒いコマは使い勝手良く時間経過・場面転換・状況変化といろんな表現に効果的なのだ。変幻自在、手馴れたものだね。上手いなー、内容面白いし表現巧みだし、というわけで私もこの作品は絶賛することにした、すごいっす。
さて内容、4話が一等心打たれた。回想場面への変調ぶりがまたカッコいいんだけど、女性の社会的立場の向上を訴える牧村とそれに共感し惹かれる佐伯の二人の心理が年を経るにつれて軋み始めて破綻する過程とそこからの回復の描写・佐伯の一人称で展開されるこの件に緊張しっぱなしだった。堅実に学を修め職に就こうという佐伯とは対照的な牧村の言動、魅力的だった彼女の主張が端麗になっていく容貌(佐伯はあんまり顔が変わってないよね)とは対照的に色褪せ現実に圧殺されたかのような空虚に満たされる、二つの対照が佐伯を中心にどんどんと提示されてその変化に圧倒され続けもした。そして163頁の牧村の表情だ、「佐伯はまだ子供だね」、強烈。
ここまでの展開に白い空間はあまり使用されていない、次のコマへ次のコマへと読み進めるリズムはほとんど均一、それが161頁6・7コマ目で溜めがあってちょっと止まると、次頁で一気に吐き出される。ついに佐伯爆発って感じで牧村はどう受けるかと思ったら……この激しい虚脱感、ここでも人物の周囲に白い空間が現れない。163頁1コマ目、ここで背景真っ黒あるいは真っ白ってな演出方法を予想できるんだけど背景がちゃんとある、ということは、佐伯にこう言われても牧村は至って冷めたまんま、なんの感情もないのである。もの言いたげな間ってものが全然ない(もっとも、ここは佐伯に多くの読者が同調していたわけで、さあ牧村、あんた何か言い返しなさいよってな気構えがあり、牧村の心理描写に客観性を貫き通した結果かもしれない)。
ところが私はここで間を置いたわけ。私以外の読者もだろうけど、牧村のかの台詞のとてつもない虚しさに突き飛ばされてしまった。次のモノローグもそりゃそうだって感じで。これは佐伯と牧村の間にある共有していた空気のようなものが軋んだ挙句に壊されて修復しがたい断裂が出来てしまったためかもしれない、私は二人の関係に出来た亀裂めいた空間を見詰めていたのだ。だってこの空間にはいくらでも佐伯の牧村への思いって物が詰まっている気がする。牧村に向ける言葉はもうなかったけど、言葉に出来なかった思いがたくさんあった、憧憬とか尊敬とか理想とか失望とか無念とか喪失とか、いろいろあった。そんな異次元空間が、劇中のキャラクター・牧村と一読者・私の間にも出現してしまったのである。
私は視線のみならず、心まで白い空間に囚われていたのだ(なんちて)。
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