「あかく咲く声」

白泉社 花とゆめCOMICS 全3巻

緑川ゆき



 掴みどころがない。これが新人の漫画ってものなのか。つたない文章に白けた次には唸るような描写がさらりと差し込まれて、しかもその場面のあまりに秀逸に夢中になったと思ったら、ひどいナレーションが挟まれて快さが相殺されてしまう。もったいないと思いつつも全3巻(今の私には全20巻の長編に等しい量)を読みとおせたのは、前述のようなことはさして問題ではなく表紙の絵を私が気に入ったということと、それでも巧いんだか下手なんだか判断がつかない作画とありきたりな展開の両方に飽きようとしていた・というのもいきなり全巻購入してしまったから、あとは読まずにお蔵入りかなという失望感が脳裡を占めようとしていた刹那に見せられた1巻42頁の赤い花びらにしびれてしまったことが一番大きい。たった一場面をきっかけにして、この作品は私の中で確実に「面白い」と強く認識されるようになるのだから、物語の構成云々というのがどうでもよくなる。
 しかし、少女漫画である。すべからく恋愛が絡み事件が起きて、すったもんだがありまして、めでたく結ばれましたというベタベタの展開が大筋であるが、物語の核は主人公の女子高生・国府が惚れた相手である辛島という無口で得体の知れない美形だがよそよそしい態度を貫く男が持っている能力・口にした言葉が己の意志にかかわらずそのまま相手に強い暗示となって行動を支配してしまう「声」である。それがことごとく辛島の性格の理由付けになってしまうのがまず巧い。それもたったひとつの回想を差し挟むだけで辛島とその友人知り合いの微妙な関係まで読者に伝えてしまうのだから、侮れない演出力がある、1巻142頁から145頁がそれだ。
 国府の同級生である会富の小学生時代の回想。退院した母が活けた花を教室に飾ろうと花瓶を抱えた笑顔の会富、久しぶりに母と過ごせたことを級友に語る最中に辛島と友人登場「バスケしようよ」、辛島「やらないっていつも言ってるだろ」、無視して腕を引っ張る友人に辛島「離せよ」と大声で。ガチャン……。144頁は最高である、呆然とした会富の視線はかつてそこにあった花瓶・わずかに広げられた両手・血まみれの掌を見詰めるような絶望感。次のコマで少し動く指とやや上がる視線が辛島を捉える、そしてその後のやりとりの切なさ。
 辛島は「声」を警察の捜査に協力するのために使う、現場に乗り込んで「動くな」「おやすみ」の言葉で犯人を確保してしまう。物語もそうした事件がらみの内容が多いが、私はそれ意外の描写に心惹かれる。春先の雪を辛島が「桜の花びらだ」とたとえて呟くとそれが舞い落ちる場面に一転、幻覚にもかかわらず鮮やかな景色のなかで国府が辛島の抱える問題を知ってなお力強く決意する第2話ラストの心地良さ。これは後に会富の回想も含めて問題点を具体的に読者に伝えてしまうし、あの言葉を言ったら言われた相手は……という読者自身が想像するだろう問題も包んで、辛島という登場人物の心情を作画で描写してしまう作者の腕はただ事ではない。
 そもそもこの作者の言葉の感性はどこか間が抜けている、と思うと急に言葉を隠して余韻を強調する各話の締めくくり方を読むと、やっぱり掴みどころのない印象が濃くなる。第一、この作品の感想といっても、好きな場面を挙げるくらいがやっとこで、具体的な分析となると、もちろん構成上でどうにかやろうとしている点は見られるけれども、それよりなにより時折私を魅惑する場面に触れているだけで充足してしまうのだから、なんだろう、今までは絵を見ているだけ・構成を楽しむだけ・伏線とそのまとめ方に酔うだけなどなど、その一点だけでも充分面白かった作品の数々を思い出しても重ならない読後感、小説の感想にたとえれば前後の描写はともかくこのフレーズが好きと言える文章・そこだけを読むだけで作品全体の印象が広がって巧拙くくり満足できる作品、とでも言おうか。好きな場面を抜粋して読んで、それだけで酔う。
 で、そうした作者も気に入っているらしい場面が3巻で一挙にまとめられる、81・82頁だ。まいった。まさに万感迫る。その後の告白とそれを受け入れる辛島、抱き合い二人……うーん、恋愛漫画だなー、作者の気分は詩的なんだろう、この場面で主人公の涙を目立たないように、だがしっかりと描いているのだ。いとも容易く相手を「声」で従わせてしまう辛島に対し、自分の声はどれだけ辛島に届いているのか不安だった気持ちが開放された瞬間。初めて自分の「声」つまり意志に相手が振り向いてくれた瞬間。辛島の返答は大方予想がつくにもかかわらず、しっかりと演出してれる作者は偉い。
 ただしかし、演出に力を傾けるべき場面の安定感に欠けるところが残念である。余白の書き込みで、三番目に重要な人物でありながら会富・坂本に人気が抜かれたと嘆いている作者よ、気付け、会富は出番が少ないものの印象深い描写ばかりなのだ、前述の1巻144頁をはじめ3巻7頁なんか誰でも好感持ってしまう。川口も最終話で辛島といい芝居を演じるがあれでは親子だ、それまで兄弟らしかった両者の関係が急に親子みたくなったところで遅い。国府の告白場面の重厚感のように、親子のような振る舞いを見せる場面を積み重ねなきゃならない。それでも、読者の懸念が最終話で現実になろうとするところを川口が制し「大丈夫」と至って安堵(辛島がそれを言わなかったことと川口が生きていたこと)してしまったのは、やはり川口という人物に血肉を与えていた成果であろう。
 漫画って、なにがきっかけで面白くなってしまうか分からんものだ、それはきっと。


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