「バカ姉弟」1〜3巻
講談社 ヤンマガKCデラックス 1〜3巻
安達哲
東京・巣鴨。親は不在、置き去りにされた子供達、やがて起きる悲劇。巣鴨子供置き去り事件をモチーフにした安達哲の野心作がこれである、というのはもちろん嘘だが、「さくらの唄」などの青春物で存分に描かれた人間の悪意と本能を姉弟のおでこに詰め込んだ一見ほのぼの漫画が「バカ姉弟」である。
作者はなんか達観した感があるね。「お天気お姉さん」は未読なんだが、これも多分「バカ姉弟」と同じ系譜の作品でしょ、あっ、違うか、まあいいや。それまでは、周囲に怯え自意識過剰に振舞っていた主人公達がそれらを乗り越えた果ての結末をさらっと描いてたけど(「さくらの唄」の影響がでかすぎて、他の作品もそんな印象を抱いている始末)、これは逆にかつての主人公達を脇に置き・かつての周囲の視線を姉弟に集約した印象があるんだよ。でも実際に読むと二人の無邪気な反応にあたふたする大人たちを数頁にまとめて描いているって感じで、悪意が出てこない。大人の善意にやたらと裏を読む姉弟が、そんな印象を煽っているらしい。何か企んでいる大人ってだいたいそれが何かを描いてから姉弟に接触しているから、子供の意想外の対応に振り回される様が、ひとり妄想たくましくしている少年がおのれの妄想に裏切られて悶々としているってのに重なって見えるのである。このときの展開は女の子との初デートにひとり興奮している少年の図を思い出してしまい、つまり姉弟の存在ってのは周囲の登場人物の期待(それは読者の妄想でもある)にそっぽを向き、劇中のたとえよろしく猫然としっちゃかめっちゃかに暴れまわっているのであろう。やはり子供なんで善悪がどうのこうのという理屈が全く通じない。
私が姉弟に不覚にも心奪われてしまった最初の場面が1巻14頁7コマ目である。正直、第1話で失敗したかなって決め付けていたんだが、次の2話目でこの作品の今後の傾向を決定付ける描写があった。それも含めてのカラスにぶら下がる姉がおかしくてたまらなかった、しかも小さいコマなんだよね(多分、作者も4ページに一つの話を描くのになれてなかったんだろう、最初の数話は最後のオチの頁にコマと台詞を詰め込む傾向があったんだが、すぐに克服している。上手いね、流石に)。この警戒心と純真が同居しているってのが面白い。前頁の6コマ目、母親が帰ったのかなという姉に対してトンカチ持って後ろから様子をうかがう弟の図。これが象徴的だ。決定打は34頁5、6コマ目かな。これで面白いってのが私の中で確定した。
で、忘れちゃいけないのが巧みな伏線ですよ。たった4頁といえども物語に手抜きが見えない。まず全体を覆う疑問、両親は何をしてるの? 志津香って女性は両親とどういう関係なの? といったところを底流にしつつ(かつて「さくらの唄」において何故金春は市ノ瀬に性急に跡を継がせようとしていたのか、という忘れそうで忘れさせない疑問を最後に解き明かす・しかも物語の決着を付けるためにも働くとんでもない起爆装置を仕掛けていただけに本作も油断できない)、たとえば1巻「ハエ」33頁に唐突に登場する赤ん坊から34頁のオチへの導入、「ホワイトデー」128頁の風船が130頁の変わり身への利用、2巻からは枠を飛び出して話から話へのつながりが明瞭になってくる(ピアノ編とか、元体操選手のおじいさんとか、超能力研究のおっさんとか)。3巻だと「ぴいまん」で日射病になりかけた姉がオチで麦わら帽子被っているとか。細かいとこもぬかりなく描いている。
ところでこの漫画の連載はどうなんだろうか。雑誌読んでないんで見当つかないんだけど、奥付見ると、当初月一掲載らしいんだよね、それが3巻掲載分はほぼ隔週になっている。これは色塗りとか掌編の話作りとかに描きなれたってのもあるんだろうけど、1巻・2巻のラストがまるで最終回めいた話なのに対し、3巻はまだ続くって明言しているんだ。つまり作者はこの作品にようやくノッてきたということなのかな。まあ、いつ終わってもおかしくない漫画だから、さっくりと「おわり」なんてなることもあるわけだし、実際いつ終わらせることも出来る構成になっているんだけど。
とまあ理屈を並べてきたわけだが、そんなのは置いといて、普通に楽しい漫画なのである。3巻95頁5コマ目のおでこに映るみんなの顔とかね、芸も細かくなってるし。漫画家安達哲健在ってところですよ、うん。
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