「BITTER SWEET,BITTER SNOW」
エンターブレイン ビームコミックス 「少年少女」3巻より
福島聡
線が太く荒い。黒田硫黄めいた筆致が作品の基調となっているこの作品は、物語がどうとか絵がことうとか言う前に、「雪をずっとみてると そらにのぼってく かんじがする」の場面でのた打ち回るほど感激した。世界が静止した感覚を、この瞬間に主人公タロウは実感したのだろう。雪の中にうずもれた時の寒さとも痛さともつかない浮遊感が思い出される。
私が小学生の時の冬の楽しみの一つがサッカーだった。しかも大雪で積雪50、60センチとか楽々降ってるほどの校庭でみんなしてラフプレイ歓迎の壮絶な殴り合いみたいな球蹴りあいだ。防寒具で動きにくい身体が雪でいっそう動かない、ボールは前に蹴るだけでバスもなにもない。寒いんだか汗だくで暑いんだかわからない感覚で素手で雪球作り投げて、なんでもありの全てがおかしい戯れとなる。そうして疲れてくると仰向けにわざわざ倒れて呆然とするのだ。もちろん眠ると死ぬぞという冗談を交わしながらだけど、そのときの気持ちよさと妙な不安感が、かの場面によって鋭敏に蘇った、それだけでこの場面・この作品は素晴らしく思えてならない。すべては雪の描写のために捧げられた筆致の変更にさえ気付けば、味わいもまた変わるのではないだろうか。
とにかく徹底している。隙間がない、余白にまで雪の世界観を投影させた単純だが効果的な黒、読み終わってもどこまでが夢なのか現実なのかさえわからなくなっていく。そして前述の雪の筆致がまたいい。曖昧な境界線とざらつくような感覚、福島氏は過去の作品でも雪を描いているが、この時は他の線と同様に細い線を重ねることで境界線や影・足跡などを表現している、けれども本作は太い線をぐいっと引いたり、荒くトーンを貼ったりと細さがない。これが本作品にだけ独特の世界観を読者に印象付けた結果になった。黒い線が強調されれば自ずと白さが際立っていく。終盤、それまで余白を覆っていた黒ベタが一転して白くなると、この効果も強調される。
前半は空が白っぽい。雪の輝きもあっただろうけど、白さがかえって閉じ込められているような感覚を呼ぶ、それは余白の黒さのせいもあるだろう、雪に覆われた世界が画面全体に漂っていて、読者さえそのような錯覚に陥る。けれども圧迫感がない、透明な箱に封じられたような感じがあって、だから子供達が机そりで滑降する場面でも広い斜面を下っているという描写性が薄い。これも周囲の黒さによる抑圧のためだろう。
雪が降り積もって何もかも埋もれてしまったわけではないけれども、世界が広くなったような錯覚がある。見開きの表紙が真っ白にドンと現れて、その感覚がずっと脳裡に残ってしまう。だけどよくよく見ればその白さに影があり、建物の凹凸や道路らしき跡がうっすらと浮かび上がってくる。子供達の誤謬はそこを見なかった点だ。雪は世界を覆いつくすことはない、ただ隠すだけなのである。無邪気なタロウは独りでアーケード街を歩いて知ってしまう、そしてそれを象徴するような大男の登場により物語は俄かに緊迫する。
この時、余白がいっぺんに白くなり、空が真っ黒になる。薄明かりで見えていた建物も見えなくなる、吹雪で視界も怪しい。タロウが意識を失っていくように、画面全体がふわふわし始める。夢なのか現実なのか、それさえ不確かな世界になってしまう。降り積もる雪自体が恐怖であり絶望が積み重なることだと語る男の、真っ黒な目、底のない瞳。自明に思えた雪の二面性がここで思い起こされると、私が小学生の時に感じた妙な不安感の正体が明かされる、つまり死だ。雪への体験なき憧憬が大男によって剥がされようとしてもタロウは雪が好きだという。冒頭の場面への回帰がここで描かれる。うたた寝を父に起こされるタロウ、冒頭の暖かさ・雪世界になる以前の世界がまるで夢だったのではないかと一瞬思ってしまった。この物語そのものが回想だったのではないか、空想の輪廻だったのではないかと勘違いしてしまうそうなところで迎えるラストページで、ああやっぱりこれはタロウが経験した事実だったのだと気付かされる。死に接しながらもなお憧憬するタロウの純真さが心に焼きついた。
一方、構成においても当然ながらの工夫が凝らされる。余白の有効利用の他に短編故の物語の凝縮性・効率性に注目したい。まずはヘリコプター、冒頭後に二機が上空を飛んでいる。伏線というわけではないが、とにかく後に現れてもおかしくないための準備・偶然・ご都合主義な展開を避けたヘリの登場といえる。ラストをどう解釈するかって、まずヘリが近づいてきたので花火で人がいることを知らせたっと私は読んだ。花火が先ではないな。で、花火を打ち上げるための天井の穴、これが子供達が落ちた穴なのである、先に起きた物語を利用することで無駄な描写を削っていく、削るって言うのが短編を長編よりも際立たせる点だ。説明描写の少なさがその証である。
雪のための筆致が作品全体の世界観を決めてしまう、短編だからこそ出来る実験であり面白さなのかもしれない。
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