「ちはやふる」1巻
講談社コミックスビーラブ
末次由紀
復帰作「ハルコイ」の感動が忘れられない末次由紀の連載作品が競技かるたの世界を描いた「ちはやふる」である。あらすじは検索でもして調べてもらうとして、早速本編の話題に入りたい。
この作品の主人公・小学六年の千早は、音を素早く聞き分ける能力を持っているという設定である。その凄さは、詠み上げられる上の句の最初の一音を聞くや否や札に飛び込むという描写によっているが、この演出で彼女の特異性をあぶりだしている表現が音である。源平戦という三対三の対決で、千早に競技かるたの魅力を伝える同級生の新(あらた)は、札には「一字決まり」「二字決まり」など最初の一音あるいは二音を聞くだけで下の句が何かを判別できる札があり、千早にはそれを狙え、と説明する。
彼女の聞き分ける力がはっきりと描写されたこの戦い。「ふくからに」に彼女が反応した場面は戦慄ものである。「聴け」と集中力を高めて千早のモノローグが画面を支配していく。心臓の鼓動が聞こえるほどの緊張感もあった。その刹那、戦いを見守る先生の解説が入る。千早から先生に、意識・場面が移動するわけだ。新のかるたの腕に惚れ込む先生。そして次の句を詠むラジカセが最初の一音を振動させようとした瞬間、「バン」という小さなコマから一転した見開きによる迫力、めくり効果、読者に向かってくるような集中線が先生と同化し、千早が弾いた札が目の前に吹っ飛んできたような錯覚を伴いつつ、先生の額に命中する。新が解説する、「ふ」が聞こえなかった、と。実際、フキダシでもナレーションでも「ふ」という文字は発声された形跡はない。ただ、これから音を出そうかというラジカセと、その後に札を取った千早の笑顔があるだけ。誰も聞こえていないうちに、「ふくからに」で始まる句の下の句の札を得てしまった……読者でさえ聞こえなかった音。
札を取る前の千早→先生→札を取った千早を見守る新、と巡っていくこの場面でのキャラクターの意識は、千早自身の感情を伝えない。集中力を極限まで研ぎ澄まそうとする彼女の姿が「聴け」という言葉に集約されているだけだ。「ふ」の音だけでなく、それに反応した彼女の感情さえ読者は捉えられない。音に反応する、というその速さを音を描かずに・同時に音を感じたキャラクターの言葉も排し、動作のみを描写することで不要な情報(ここでは千早の台詞やモノローグ)がそぎ落とされた結果、彼女だけがただひとり聞き分けたことが強調される。
後にこのような場面が再び繰り返され、今度は客観的に千早を観察していた先生がはっきりと説明してくれる。あの子は、次の音までちゃんと聞いている、聞いてても速いんだ。1巻終盤のこの言葉は、冒頭の千早にそのまま通じていた。
そこで冒頭の場面を振り返ってみよう。ここでは、すでに成長した千早の、競技かるたの桧舞台・クイーン戦に挑んでいる迫力ある姿が活写されている。大勢のカメラや人々の視線が集中する緊迫した雰囲気の中で彼女は独白する、「お願い 誰も 息をしないで」と願うように札に集中する彼女の横顔が描かれる。「聴け」という次元を超え、周囲の微細な振動さえ喧しいかのような磨かれた集中力。上の句の最初の一音「ち」が詠み上げられるや、彼女の力強い一撃が下の句の札を弾き飛ばす。
巻末のあとがきで「ち」から始まる句は三つあると解説するくだりがある。千早という名前だから、「からくれなゐに みづくくるとは」の札は千早の札だね、という場面もあるように、彼女にとって「ち」は特別だ。しかし、「ち」の一音だけでは判断できないとも説明される。「ちぎ」から始まる句が二つあるからである。となると、冒頭で「ち」にすばやく反応した彼女の姿は、競技かるたを知る読者にとっては、すでにその二つが取られた後だから反応出来たと推測するだろう。
ところがしかし、その前の頁に今まで獲得した札が8枚掲げられていた。一つずつ確認していく。
「あまのをぶねの つなでかなしも」
「ひとにはつげよ あまのつりぶね」
「わがころもでは つゆにぬれつつ」
「たつたのかはの にしきなりけり」
「くもゐにまがふ おきつしらなみ」
「よにあふさかの せきはゆるさじ」
「ながれもあへぬ もみぢなりけり」
「よをおもふゆゑに ものおもふみは」
この中に「ち」から始まる上の句は一枚もないのである。つまり、「ち」という一音に彼女は反応したと読める。劇中の木村浩という同じくかるた好きの男の子の言を借りれば、ヤマをはったのだろう、と考えた読者もいるだろう。そんなことも露知らない私みたいな読者は、「ちはやふる」という題名だけに、彼女の一撃は素早く正しいものだという思い込みがあるが、調べてみれば、この一場面だけで彼女の能力がしっかりと描写されていたのである。
彼女は、「ち」に続く「は」の音を聞き分けていたのだ。
(2008.5.30)
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