たけうちホロウ「チハヤリスタート!」1〜2巻

視線の先へ

芳文社 FUZコミックス


 高校卒業してから、何もない7年間。25歳になったチハヤは、職安から逃げた先で走って辿り着いた公園で親友あやせと久々に再会すると、図々しくも居酒屋で酒をおごってもらう。並んで描かれた二人のキャラクターの差は、歴然としていた。ニートのチハヤは、高校時代……いや、もっと前の小学生時代から変わらずタヌキのTシャツを着て、髪の毛はぼさぼさで伸ばし放題の癖毛にアホ毛とサイヤ人状態である一方、あやせは高校時代の面影を髪の毛に分かりやすく残しつつ、シュッとして颯爽として、ダメ友達のチハヤを悠々と先導する。そんな時、偶然にも隣席で同じく酒をあおりまくる人物と出会う。中学時代のチハヤのライバルであり、今は地元テレビ局のお天気キャスターを務めるミオだった。テレビから眺めていた煌びやかなミオは、愚痴りまくりの酒まみれの、チハヤと同じようにグダグタ然と管を巻いていた。ジョッキが「ゴトン」と叩きつけられた時のチハヤとTシャツタヌキの驚いた顔が面白い。酒の飲み比べから騒々しく喧嘩し始めた二人は、あやせにさっさと店から追い出されると、煽られるようにして、あやせに喧嘩の続きを促される。
「あの時計の下まで競争!」
 あっ、物語が動き始めた、と思った瞬間だった。第一話のラストの衝撃が強すぎるきらいがある本作だが、時計の下に、はいつくばって辿り着くと、カチッと針が動き始める、まさにその合図により、コロナ禍で中止となってしまったインターハイの続きの物語を、社会人になったチハヤたちが、惨めさをかなぐり捨てて、無邪気にも果敢に挑戦しようというのだ。
 予想がつかない展開である。短距離走と違って、ゴールが全然見えない。ひょっとしたら、二巻で終わってもおかしくないんじゃないか? という内容でもあった。実際、人気がなければそこで物語は終了していただろう。けれども、続くのだ。自らの意思で、改めてゴールを設定し、消え去ったインターハイの代わりに、次の目標を切り開いていかなければならない。学生時代の決まったイベントもなく、キャラクターたちを囲む世界は、ほとんどが自律した社会生活の上で成り立っている。
 強いてあげるならば、オリンピックだろうか? しかし、現時点でそこまで物語の先を考えるのは早計だろう。もちろん、30歳に近づいても、あるいは超えても自己ベストを更新する稀有な陸上選手だっている。25歳からの再生は、十分な可能性を持った年齢ではあるだろう。
 たとえば、800m走で学生時代、華々しい活躍をした山田はな選手は、大学卒業後から7年も自己ベストを更新できなかったが、昨年(2024年)の大会、30歳で自己ベストを更新するという快挙を成し遂げている。たとえば、100m障害のトップアスリートである清山ちさと選手は、今年33歳となる大会で自己ベストを更新し、今年の布勢スプリントでも存在感を示した。たとえば、100mスプリンターである高橋明日香選手は、30歳近くになってから11秒台を記録して自己ベストを更新、30歳を超えた今も11秒70の自己ベスト更新を目指して飽くなき挑戦を続けている。
 実際に記録がある世界で、現実的な戦いを強いられることになるだろう物語である。オリンピック代表選手として登場し、ミオの友人でもあるメルは日本歴代2位という記録を持っているという設定だ。2巻で回想される大学時代で、11秒39という記録を出している。これがどれくらい速いのか。現実の日本記録は、引退してしまったが、ご存じ福島千里が21歳の時に記録した11秒21である(2025年6月2日現在)。偶然にも、メルの大学時代の記録はつい先日行われた日本のトップアトリートが覇を競う布勢スプリント(2025年6月1日開催)で2位となった話題の高校生・前田さくら選手の記録と同じある(追い風参考記録ではあるが)。しかもメルの場合は向かい風であって、前田選手よりも速いということだが、それはもしもの話であって、要は日本代表レベルということである。オリンピック代表という設定と記録は、かなり慎重にではあろうが、物語の中に浸透している。チハヤの自己ベストが11秒84と聞くと比較して遅いと思えるかもしれないが、現実の中学生100mの記録保持者は、現在高校一年生の三浦美羽が昨年出した驚異の11秒57であり、この辺の匙加減をフィクションとしてどう寄せていくかも、一つの見どころだ(ミオの自己ベストが高校生時代の11秒61というのも、これまたいい線を突いているタイムである)。
 さて、そんな調べればすぐわかることはどうでもよくて、本編の個人的な面白さは、個々のキャラクターが社会人になって、それぞれに前を向いて走り始める、そんな場面を実際に「走る」という描写の中に見出している、その迫力と爽快感なのである。
 最初に惹きつけられたのが1巻141頁だった。コンビニ前でぽんかんコーラを飲んで、ふと見上げた空。チハヤが引きこもり生活を抜け出して、少し上を向き始めたことで、久々に体感しただろう、その青さと広さである。大好きなコーラを飲むのを一瞬忘れてしまうほどの開放感もあって、モノクロの画面に、本物の青さを感じてしまった場面だった。高校生時代にチハヤが見上げていた空が、今この瞬間に繋がったのだ、という鳥肌物の場面なのだ。
 あるいは、メルの目の描写。1巻150頁、高校生時代を回想したメルが、初めてミオと走った時の、その圧倒的な速さを目の当たりにした時の、戦慄とも焦燥とも絶望感とも思える、目のアップ。いや、これはカッコいい!という憧れも混じっていたかもしれない。実際、メルとミオの今の走りを目撃した小学生の子どもがメルのように目を輝かせていたではないか。そして、対比される168頁のメルの目のアップには、焦りも絶望もない、やはり、憧れの視線である。
 または2巻早々、ミオとの100m対決を前に練習に付き合ってくれるあやせとの学生時代以来の競争に、チハヤのトラックに向けられた視線が徐々に上を向いていくにつれて、青空とは別の、7年という競技ブランクが立ちはだかるのである。2巻8頁、一瞬感じた開放感は、途端に、ゴールまでの距離の遠さに変換され、歯車が狂ってしまう。
 目の前の大きな空間は、これからのチハヤの成長がどれだけ伸びて広がっていくのか、それを受け入れるだけの物語的な器であると同時に、本当にたどり着けるのだろうか? という一歩間違えば諦めにも通じる、ヒリヒリするような緊張感の中を物語は走っていたのである。
 そうして迎えたチハヤとミオの対決だ。ここでまた唸ってしまう場面があった、2巻113頁である。ミオはスプリントの感覚を取り戻しつつあると思いながらも、同時にそれは、学生時代のインターハイ中止という苦い思い出も伴っている、という点である。チハヤも同じだろう。高校三年生、万全の状態で迎えた大会のはずだったのに、中止発表で時が止まってしまったチハヤの物語は、一方でまた、ミオにとっても同様の物語があったわけである。
 小雨が降りつつある中、激走を泣きじゃくりながら振り返るキャラクターたちは、みんな下を向いていた。チハヤを無駄じゃなかったと叫び励ますリコがずっと追いかけていた・視線の先にいたカッコいいチハヤと大好きなミオが、二人して健闘を称えあうどころか、チハヤはついに勝てなかったと降参してしまう。まだリレー対決が残っているとチハヤをけしかけるミオに、チハヤの足は自然とスタートラインに立ったかのように踵を上げると、さっと雲間から差し込む光がキャラクターたちをまばゆく照らす。ミオを見上げているチハヤだけが、その先で輝くこの瞬間の光を見ていたのかもしれない。それは、見開きのカラーページで想起される過去と未来であり、物語の面白さが加速していく高揚感でもあるのだ。
(2025.6.03)

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