まるよのかもめ「ドカ食いダイスキ! もちづきさん」1〜2巻
澱む世界
白泉社 ヤングアニマルコミックス
21歳の事務職員、望月さんの日々の食生活の大食らいっぷりと異常めいた拘りを中心に描く本作は、話題になった1巻から続いて、2巻でもそのきちがぃ……破天荒な食事を堂々と披瀝している。毎度表示される高カロリーな数値だけでも恐ろしいのだが、そもそも本作には、その描写からして、どこか不穏な空気が穢れのように澱んでおり、真面目に高血糖で死のうと挑戦し続けているかのような、揺るぎない体幹が、ぎゅっと物語の手綱を握っている。
漂う不穏さは、どういったところで演出されているのだろうか。ひょっとしたら、もともとそういう作風なのかもしれないけれども、そうであれば、作風と物語との相性が見事に結実したマンガということになるだろう。
ベタの使い方である。
第1話で、食事前の精神統一?と訝しんだ目で同僚からみられた「スッ」という擬音とともに「いただきます」までの長い間隔を、望月さんの心象風景として背景を真っ黒に塗りつぶす、という場面はとても分かりやすいが、そういったあからさまに演出された望月さんの食に対する不気味な執念よりも、随所にちょっと描かれるベタなのである。
1巻5頁
例えば、弁当箱の裏。ここをベタで塗りつぶす感覚である。もちろん中身はなんだろう? という次コマへの繋ぎとして、視線誘導として、次コマを際立たせることだろう。けれども私は、この真っ黒な空間に、異様な重力を感じてしまうのである。底知れぬ弁当箱の大きさに吸い込まれてしまうような感覚とでも言おうか、箱の内側の立体感を打ち消してしまったことで生まれた異空間が、次の精神統一の真っ黒な背景に融合していく前触れのような気がしてしまう。
仮に、このベタを下図のように色を変えてみると、元のコマとの印象ががらりと変わってしまうことがわかるだろう。グレーは普通に割とあり得るかもしれないだろうし、白になると、逆に箱の中身が輝いているような印象を与えるかもしれない。いずれにせよ、ベタとは異なるのは明白である。

もちろん、もとからベタを多用する作画である。例を挙げればきりがないが、以下のとおり。
1巻35頁
真っ黒な冷蔵庫。何故、黒いのか。会社の冷蔵庫は白い、一般的だ。けれども、望月さん家の冷蔵庫は、真っ黒なのである。ここだけ間違いで黒くしたわけではなく、他の場面でも冷蔵庫はしっかり真っ黒である。ちなみに、某調査によると、一般家庭のキッチン家電製品のうち、白がほぼ半数を占める中、黒は約11%だというから少数派ではあるものの、ないわけではない。
1巻37頁
黒い炊飯器の釜。いや、確かにあるし珍しくないけど、立体感に乏しい円筒である。テカリぐらい入れてもいいのではと思うが、それは素人考えだろうか。
1巻38頁
赤いはずのケチャップ。赤系統の色は黒で塗りつぶすという力強いメッセージを感じる(嘘です)。グレーのトーンとベタを組み合わせるなどしてもいいとは思うが、なんとしてでも黒く塗りつぶすのである、ケチャップは。
これら以外にも、そこをベタで処理しますか? という作風をひしひしと感じる場面が至る所に散らばっている。黒系統に統一された作品世界が、望月さんの高カロリー・高塩分をがむしゃらに摂取する危険な大食いと、不思議と相性が良い。
そもそも、本作の不気味さは演出にも垣間見られる。場面展開に空白のコマを置く、あるいは重ね置くなど、文章で言う接続詞的な役割で場面が移り変わったことを表現するコマ割による演出法に、本作は、そのコマでさえ黒く塗りつぶすのである。
2巻9頁
妹とカフェでお茶する場面から、自宅に戻る場面展開の一例が上図である。小食とうそぶいてしまったことを後悔する望月さんのモノローグから一転、コマが黒く塗りつぶされた。自宅に戻ったことを暗に演出しているのだが、本作でよく用いられている方法だ。
さてしかし、その下のコマで移動先の場所を特定するための望月さん家のアパートの全景が描かれるが、なんだろう、この無機質な感じ。コンクリート?き出しの建物といい、誰も住んでなさそうな闇に包まれた窓といい、型どおりのベランダといい、気の利いた作家なら洗濯物の一つでも描いてあってもおかしくないのに、妹のホラー映画好きという趣味に引っ張られたわけではなく、本作の建物は大体こんな感じで廃墟寸前みたいな描かれ方なのである。食べ物の描写以外に関心がない。
この黒さは、望月さんの内面描写の背景がベタになることとは別なのだが、まるで異世界=死の世界のように望月さんと隣り合っている。甘いもの大好き桐本さん(かつて望月さんに大福を渡されたのがきっかけだろうか)が背後の死神と仲良くスイーツに舌鼓を打つ挿話では、桐本さんの内面も描かれるのだが、ここでの場面転換のコマは、グレーなのである。
2巻84頁
望月さんと桐本さんの内面が交互に描かれる中、桐本さんの内面世界は、まだグレーなのである。もちろん望月さんの内面世界への場面展開の入り口は、黒いコマである。この使い分けにより、望月さんの世界と桐本さんの内面世界の違いが浮かび上がり、誰の内面に場面移行するのか区別されているのである。
1巻60頁
上図のように、望月さんの現実世界への倫理観がバリーンと破れる、そこから垣間見れるのが漆黒の世界であることは、この場面からも想起できよう。
もっとも、望月さんも成長していくキャラクターである。何度取り組んでも失敗してきた健康生活についに目覚めていく物語だってあるかもしれない。社内ではもちもちっとしたキャラクターとして同僚から愛されている望月さんが、本当のシティレディ(……という言葉自体がかなり古臭いと思うのだが)に変身している未来だってあり得るのだ。昔はよくドカ食いしていたよねっていう望月さんの回想として本編が描かれているのなら、背景真っ黒も、得心が行くというものだ。
2巻136頁
ほら、2巻の描きおろしで背景グレーのコマが描かれたんだぞ。次でベタなコマになってしまうけれども、まだ残されているのだ、可能性が。暗黒に支配された澱んだ世界に差し込む一筋の光! 望月さんの健康的な食生活に向けた希望は潰えてはいないのだ。
もっとも、脳卒中で若くして命を輝かせた望月さんの一瞬の煌めきという名の走馬灯かもしれないが。
(2025.5.07)
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