城戸志保「どくだみの花咲くころ」2巻
子どもたちの部屋
アフタヌーンKC
2巻11頁。エアコンが壊れた灼熱下、信楽家の居間と思われる室内で、清水と信楽が対話をする。信楽は母と二人暮らしだが、母の妹の子どもたち・従弟たちが日々押し寄せては居間で暴れまわり、そこら中にその名残が散らばっている。
2巻11頁
この場面が面白いのは、清水が訪れるまでは、おそらく机いっぱいに散らばっていたかもしれない子どもたちの遊び道具・特にトランプが、脇に追いやられて机から一部落ちたかもしれない?状態で散らかっているところである。もちろん、私の妄想にすぎない。先まで熱い部屋の中でうたた寝をしていた信楽が飛び出すようにして迎えた清水を、そのまま部屋に上げたのだから、もともとこのような散らかり具合だったのだろう。けれども、このコマでも、やや寝ぼけた感じの信楽が粗雑さのままに無意識にした机の上を空ける行動だと考えると、信楽なりに客を迎える体裁を整える社交性があるのかもしれない。とすれば、癇癪持ちで奇行が目立っている言動の中にも、ある程度の世間一般に言われる常識が潜んでいて、それがこっそりと顔を出す瞬間が、優等生で正しく行動していると思い込んでいる清水に、時々、さくっと刺さってしまうのではないだろうか。そういえば、清水が初めて信楽家にお邪魔したときにも、信楽はじゃりじゃりしたミロをお茶代わりに出していたのだ。
1巻の白眉ともいえる「清水 おまえ ちょっと だいぶ 落ち着きないんだな」に、ゲラゲラ笑いながらも、ふっと清水目線に立ち返ると、何かちょっとショックな一言で、でもそれはきっと、心のどこかで清水は信楽を蔑んでいる・少なくとも自分よりは下の存在と見ているからショックなのではないだろうか。とすれば、実は信楽のほうが、大人から見ると厄介な子どもだけど(同級生からみても絡みづらい奴なんだけど……)、清水が信楽と同じ視線に立とうと腰を低く低くしてるつもりが、全くの逆で、信楽のほうが清水に合わせようとしている場面がいくつも描かれていることに気付く。
さて、今一度この部屋の中を見渡す。机の隅に散らばったトランプ数枚、おそらく他のカードも近くに乱雑にばらまかれていて、全部拾い集めてトランプしようぜとなっても、一枚は必ず無くなっていることだろう。左下にはズタボロにされたぬいぐるみ、1巻で初めて訪れた時のぬいぐるみは、ここまで傷付いていなかったのだから、あれからさらに子どもたちの遊び道具の犠牲となったのだろう。
1巻58頁。左上に鎮座する、まだ元気だったころのぬいぐるみ。左腹部の何かが染みついた後から、同じぬいぐるみであると知れる。
修理しようとしたのか、子どもたちが遊んだ形跡・右腹部に絆創膏っぽいものが貼ってあるようだ。おしゃれさせようとしたのか、右耳についている謎の飾り物。信楽家(あるいは母の妹の家)に買われたぬいぐるみの寿命は、かなり短いと思われる。
2巻11頁のコマでは、手前に座布団も描かれている。フキダシに半分以上隠れているが、上図の1巻の頃からすでに描かれており、居間の物の配置は、それなりにしっかりと設計されているらしい。
右下には銀玉が発射されるタイプのピストルのおもちゃか。水鉄砲にも見える。他の部屋には、もっと本物っぽいモデルガンのような拳銃も1巻で描かれてあり、少なくとも従弟たちは、これらで打ち合いごっこを楽しんでいるのではなかろうか。
コマの上側に注目すると、まずは大きなテレビモニターが目につく。テレビ台には当たり前のようにシールが貼ってあって、でも近くにリモコンが描かれていないので、あまりテレビを見る習慣がないのだろうか。扇風機はこの辺には置かれていないようだ。清水の背後にはラックやタンスっぽいものが描かれており、これも1巻ですでに描かれていたものだ。もちろんタンスにもシールが貼ってあることが他のコマで描かれている。
2巻12頁
次の頁の1コマが上図である。他の角度から見た室内の様子が詳細に描かれている。清水たちがいる机の対角線上の先にある物たちだ。ざっくりといえば遊び道具類が散乱している。外で乗って遊べよと思う子どもカー、ままごと遊びのトマトや人参らしき野菜などを模しただろう形状をしている物体に、小さな包丁とまな板がはっきりと見える。怪獣が入った鍋っぽいもの、その上の円筒はゴミ箱だろうか。左端のおもちゃ箱からのぞく電車っぽいもの。小さな1コマに、子どもたちの遊びに対するパワフルな情熱がところ狭しと綿密に描かれている。居間でありながら、子どもたちの遊び場所として、すっかり定着していることがわかるだろう。
例の首切りちょんば妄想をした扇風機がガーッと震えているような音を立てている。他のコマでも扇風機が描かれており、キャラクターたちと室内のレイアウトや、散らかっている様子を、どこに何があるかを決めたうえで正確に描いているのだ。当たり前の演出であるが、部屋の中の装飾が立体的になってくるだろう。キャラクターの対話を追いつつ、カメラが動いている軌道も想像することができる。他には、ぬいぐるみのアップのコマもあり、実際に絆創膏が貼ってあることを確認できるだろう。
2巻39頁
ところで、帰ってきた母親と食事をする場面を引用すると、清水の訪問に際して机の上を片付けていた妄想が、あながちそうではないことがうかがえる。「医療事務」から母の仕事(あるいは医療事務の仕事を目指している)が想起できる仕掛けをさりげなく描きながら、その本を横にどける信楽が描かれていた。テレビ台の下や、部屋の隅に数冊束ねて置かれていた本が以前にも描かれていた理由が、ここにあるのかもしれない。
何気ない描写の中にも、キャラクター性を探るための種が、様々に施されている。こうした作者の細やかな作劇は、読者の妄想を促し、作品の奥行きをぐっと広げてくれるのである。
(2025.1.13)
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