「エマ」2巻

エンターブレイン ビームコミックス「エマ」第2巻

森薫


 上手いねー、森薫。隅々まで丁寧に描かれた好感ある筆致と、細やかな演出で物語が積み上げられてだんだんと厚くなっていく様子がつぶさにわかる。場面構成が鮮やかで連載の特性も利用し、時々唸ってしまった、とにかく今後が楽しみな作家だ。
 2巻の中心は三話にわたる「さようなエマ」だろう、エマの生い立ちと現在の境遇を重ねつつ、地味ながら確実に階級社会というリアリティが立体視される。これを演出によって読者に伝える、この手腕が侮れないのである。123頁・185頁・192頁の花を売る少女なんか効果的だ、最初は買わないウィリアム、私もあまり気に留めずに読み進めたが途中でエマもかつてそうしてお金を稼いでいたことを知るや否や、なんでもなかった場面がものすごく大きな意味を持って立ち上がってきた。それから後編の展開、読者の引っ張り方が憎いね、二人がどこかで会うんじゃないかって期待させるだけさせやがってあれだよ、しかも二人して同じ花を見ているんだから切ない。何者なんでしょうか、この作家。
 私が気に入ったのが第十話「ひとり」の回だ。第九話「家族」との対比もあって、エマの孤独感が際立ちまくっている。というかね、まずケリーの死後から話が始まるってのが素晴らしい。いや、もう読者が予想している展開は思いっきりはしょってるわけ。これは作家のセンスによるところが大きいんだが、死についてはもう第六話冒頭で事すんでいる感じ、作品世界(19世紀末のイギリス)では身近だった人の死について煽情的に描く必要はないのだ。でね、第九話の扉(44頁)と76頁の対比が抜群、たまげた。エマはメイドなわけで、主人の部屋に入る時っていつもなにか訳があるわけ、仕事の言いつけだったり身の回りの世話だったり、手には何か持っていることも多いし。手ぶらな上に何も用がないのに部屋に入ることなんてないわけ。ところが主人の死で部屋に入る理由がない、という理由すらなくなってしまう、何もない、まっさらな状態、しかも手持ち無沙汰。43頁でいくつか描かれていた主人の道具(時計や写真)もすっかり片付けられているから部屋に入る理由がほんとにないのだ。で、この立ち居姿ですよ。なんとなく部屋に入って故人を偲ぶ手つきもない、入り口で立ったまま。しかも寄りかかってる、画面右側の空間にいつもあった主人の姿がない、喪失感さえ滲みこませている。そして室内を見渡しながら「気が抜けたような」と語る。この感情をじわじわと煽る作家の感性がたまらない、85頁の気の抜けたエマの顔、することなくなってぼーっとしたまま座っている。前の回も家族の中でひとりになってしまうウィリアムの描写があるが、全然印象が違うのだ、こっちは孤立だからね、一人と独りの違いみたいなものかな。
 静けさを決めている描写が台詞の少なさだろう。エマのモノローグは冒頭と最後だけ。いろいろ考えているだろうに、黙々と掃除を続ける、擬音が淡々と事務的に描かれるだけ。前述の花売り少女の描写もそうだけど、何気ない場面・描写があとの展開で何気なくなくなっているってのが驚いた。あのね、やっぱり作家ってこだわりあるんですよ、絵だけでなく物語にも。見せ方は人によるけど、そういうこだわりを単純に作家の趣味とかいって無駄な描写と断じてしまうのって非常に虚しいのね、同じ読者として。同じ本を読んで、私がすげーなここって思った背景も他の読者は作家の自己満足とか言っちゃうわけ。でも「エマ」を読んで切に感じ入った、この作家のこだわりはあとがきに詳しいが、いやーどうしてどうして。ちゃんとお話にもこだわりがある。ロンドンの町並み、当時の調度品、風俗、いろいろ丁寧に描かれているが、それらを無為にしないための作劇術も身に付けているのだ。すごいね、好きなものを描くうちに、それらを引き立てる術まで覚えてしまった。小道具や人の細やかな感情の背後にあった物語がだんだん前に出てくる、作品にはそもそも前景と後景がつきもので、物語を重視する作家は当然物語が前に来るし、そうでない作家は背後に行くもの。この作品も当初はそうでない作家の作品だったんだけど、回を重ねるうちにいい具合に融合した。しのぶれど色に出でにけり物語って感じ。
 物語としては第十一話のラストが大きな意味があるだろう。ゆったりと料理を味わう貴族たちと、ひとつの失敗も許されない緊迫感(これが失敗談を語るウィリアムと品よく対比されていて、階級社会に反発しながらも肌身に染み付いている貴族の意識が強調されている、彼のこういう意識は劇中でぽつぽつとさりげなく描写されているわけで)の中の料理人たちの描写のあとだけに、彼女の言葉は印象に残った。それまで貴族の雇われ者だった料理人は、崩壊する階級社会の中で貴族と共に没落せずにレストランを経営しはじめ独立していく背景を含めると、かの台詞の重みが一層増していく。
 さて、物語に目を向ければ物語が前景に、絵に目を向ければ絵が前景に来るという、面白い作品にはあってしかるべき傾向がこの作品にも出てきたのである。こうなると安心して万人にお薦めできるから嬉しい、というわけでお勧めの一品である。

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