「極楽町一丁目 嫁姑地獄篇」

朝日ソノラマ

二階堂正宏


 笑った。ゲラゲラ笑った。小説新潮誌上にて1990年1月号から1999年4月号まで連載された同作を加筆修正し朝日ソノラマから上梓されたこの作品は、知る人ぞ知るギャグ漫画の至宝である。
 質の高い漫才あるいはコントにたとえてもよい、嫁と姑の戦いのほとんどを姑の部屋・和室で展開させる設定を徹底した、シチュエーションコントである。寝たきりの姑の世話をする嫁の横顔から始まる長短全65のエピソードの高純度の作画にまず圧倒される。とにかく絵が上手い、達筆なんである。筆致に全くよどみがなく、すいっと流れる線をつなげるだけで嫁の端麗な容姿を想起させてしまう。そして躍動感にあふれた殺し合い、この戦いこそが本作のメインなのだが(姑が嫁を投げ飛ばす場面は、まさに本作を象徴する一枚であり、いくつかの漫画でパロディの材になってもいる)、単調な展開を吹き飛ばす歌舞伎の大見得のような、待ってましたと合いの手を入れたくなるほどの面白さなのだ。
 それを語るに欠かせない姑の一本背負いと宙へ投げられた嫁の図をじっくりと観察していきたい。
 一見すると本作は少ない描線がために、上手いとは思われない単純な線によって描かれている。この簡略化によって、キャラの身体の動きが無駄なく読者に伝わる。集中線や流線もほとんどないけど、二人がどのような態勢なのか、これからどこへ飛んで行く飛ばされるのかが明瞭になる。髪の毛の勢いや衣服の乱れと誇張された手足の描写により、細かな書き込みを待たずとも、動きが想像できるよう配慮されている。
 また奥行きの演出も見逃せない。単純さ故に省略されることもある背景だが、この図に限っては遠近感がつかめるような背景がさらりと描かれる。同じ絵を複写しただけのような印象がないのも、遠近感の微妙な差によって各図(半分近くのエピソードにその図が描かれている)がそのエピソード固有の場面となっているからである。時には真横からの構図、時には左手奥へ投げ飛ばされる図など、背景によって自在に読者の奥行き感覚を誘導していくのである(作者二階堂氏は30年のキャリアある漫画家である、この程度の描写で読者の意識を翻弄するのは造作もないことなのだろう)。最終回となるエピソード64の姑嫁投げ図では、それまであった背景が消える。本作を締めるに相応しいラストシーン(メタクソに散らかり破壊された和室と真ん中に刺さった日本刀)を際立たせるための・殺し合いの果ての集大成とでもいえるその場面が、二人が永遠に和解することがないだろうことを伝え、今後も続くだろう戦いに読者の意識を促すのである。おそらく本作を読んだ直後の多くの読者が、再びいずれかのエピソード・特に姑嫁投げ図がある回を選んで読んだに違いない。
 この図を強烈に読者に印象付けたプロローグが素晴らしい。おかゆを持ってきて姑の口元に匙を伸ばすや否や包丁を突き出す嫁、必死に避けた姑、再び斬りつける嫁、跳ねてかわす姑、また突く嫁の右手を流して一本背負い。この最後のセンテンスのシーンはわずか2コマだが、嫁の突く力を逆手にし右腕をがっちりと掴んだまま身体をひねって一本背負いする姑の動きが鮮烈なのだ。これでもう投げ飛ばしたあとの場面が描かれただけでもって、姑がどう投げたのかいちいち描かなずとも読者は合点しているから動きを容易に想像できる。
 さてしかし、姑嫁投げ図が一等素晴らしい点は、決してギャグ漫画特有の逃げとしてのお約束場面に堕していないところなのだ。またそれかよ、という飽きがない。嫁の手段が工夫されている点もある、毒殺、刺殺、絞殺、事故に見せかけた他殺などなど多彩。そして極めて狭められた世界設定・嫁と姑の戦いに焦点を絞ったことで、戦いは日常となり、投げ投げられる関係も当たり前に至り、それを冒頭の数エピソードで読者に焼き付けたことで、以降の緩急が生きたのである。決め台詞への過程が日常となれば、あとはただもう読者の期待・次はどこで投げるかとか、殺し合いはまだとかを調整しつつコマを積み重ねるだけの淡々さでも十分に読みを促せるのである。
 とまあいろいろ理屈っぽく語ったのだが、そんなの抜きにして転げて笑ったよ、ほとんに。プロローグでいきなりぶん殴られてくすくす笑いっぱなし。くだらないのなくないの、やっぱり根底にはバカがあるわけですよ。バカだから、そんなのありえねー(寝たきりの姑が飛んだり跳ねたりするかよ、みたいな)とかなんて野暮な突っ込みも無意味ないわけ。何故って、バカな話だから。評論家に言わせるとナンセンスが適当なのか。
 個人的にはエピソード44が最高だった。姑を風呂場に案内する嫁、その先には沸騰した湯船、姑を熱湯に突っ込もうとする嫁、もがく姑から待ってましたのすっ飛ばし! なおも続く死闘。言葉で説明するのがめんどくさい。とにかく読め。読んで笑って投げ飛ばされろ。それでこの作品の感想は足りる。

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