新時代の視座は黒髪ロングが明かす
野田サトル「ゴールデンカムイ」1〜4巻
集英社 ヤングジャンプコミックス
日露戦争後の明治末期、北海道を舞台に謎の金塊を巡る三つ巴のサバイバル冒険グルメ活劇が、野田サトル「ゴールデンカムイ」である。
二〇三高地などの激戦をくぐり抜けた「不死身の杉元」こと主人公の杉元とアイヌの少女アシリパ(リは小文字だが、本稿ではアシリパと表記することを許されたい)の二人は羆との死闘を機に金塊探しに挑む一方、函館戦争で死んだと思われていたが実は生き残っていたというロマン溢れる誰もが夢想するだろう設定の土方歳三を中心とした蝦夷地独立を目論む輩と、杉元同様に日露戦争に従軍しながら役後報われず北海道で軍事政権を一旗挙げようと暗躍する第七師団の鶴見中尉たち武装集団。一分の隙なく三者の思惑が交錯して死闘を演じ、知略のつばぜり合いとなれば、雄大な自然を背景にしたバトル大作となりそうなところ、本作は、確かにそういう一面を持っていながら、思わず笑ってしまうコメディ要素を散りばめた娯楽大作となっている。
杉元は金塊の地図を巡る戦いで従軍時代さながらの活躍を見せつければ、老齢となりながらも剣を携えた土方のかっこよさに新撰組魂が疼き、前頭葉の傷が不気味さを醸す鶴見中尉と、主人公はもちろん脇役の魅力にも事欠かないわけだが、もっとも魅力的に描かれているのが、当然、アイヌの美少女・黒髪ロングのアシリパである。
装身具から武具までを念入りに解説を加えながら狩猟を行い、羆やエゾシカなどと対峙する際には杉元を従えるほど活躍し、杉元が調味料として持ち込んだ味噌をうんこと言って毛嫌いするなど、大人と子どもの両面を併せ持った存在であり、心地いいほどテンポよく痛快な死闘場面があるすぐ次の挿話で、グルメ漫画とも言われるコメディたっぷりに描かれる食事場面・緊張と弛緩あるいは死と生を併せ持つ本作を象徴するキャラクターなのだ。
鶴見中尉に囚われた杉元を救出する挿話で、助けた杉元をぶん殴ったアシリパが個人的にもっとも面白い場面であるが、想い合う関係というよりも協力関係あるいは親子関係とも言える二人は、アシリパの祖母の登場により、微妙な変化を見せたと言える。アイヌ女の仕事が全然出来ない孫を嫁にもらってくれとアイヌ語で杉元に語り、ちょっと頬を赤く染めるアシリパがかわいらしいく女の子の表情を見せる傍らで、食事での苦々しい表情や食い意地はった表情など、子ども描写においても少女のような少年のような二面性を発揮し、だからこそ彼女は子どもなのだ。脱獄王・白石の登場により、二人の関係はさらに一段変化した。コメディリリーフ的ポジションでボケ役とも言える彼を、冷めた目で無言のツッコミを入れる突っ立った二人という構図も定番となった。どちらかがボケて突っ込む形から、一緒にボケたりともに突っ込む関係になったのだ。
物語としては、仲間同士の裏切りが錯綜すれば、それは杉元たちにも影響するだろうことが想像でき、先の展開が全く読めないワクワク感が冒険活劇として盛り上がるわけだが、その反面、故郷の幼馴染の女性・梅子(夫は日露戦争で戦死した杉元の親友だった)に想いを寄せる杉元の描写を時折混ぜることで彼の目的が反芻されると、アシリパとの関係性は彼女の想いに関わらず変化しない予想がつくだろう。もちろん物語はまだ完結していないので、キャラクターたちがどのように変化していくのかは全くわからないのだけれども、狼のレタラ(当時すでにエゾオオカミは絶滅していたが、本作ではアシリパが飼い慣らしたレタラという名の狼が登場する)に実は家族がいたことが明らかになった4巻で、アシリパが涙を流す場面により、彼女自身が求めているものが鮮明になったのである。
だが、彼女はアイヌの女性として岐路に立たされている。
推定年齢は12〜13歳である。おそらく幼少期から伸ばしていると思われる黒髪は、アイヌの習慣で頭頂部の真ん中からきれいに分けられている。通常、アイヌの子どもは短髪にする傾向があるが、母がおらず父に従って山に篭っていた彼女は、そうした風習とは無縁の状態だったのかもしれない。つまり、今最高に伸びた状態である。マタンプシ(鉢巻)と厚い上着に隠されているけれども、彼女は紛れもなく長髪であり、長じて黒髪ロングの美人になるだろうことが想像される。だが、「今最高」と前述したとおり、男女問わず12、13歳頃から15歳前後に伸ばした髪を顎辺りにまでの長さに切りそろえる風習がある。杉元とともに彼女の村に戻った際、アシリパはそろそろ口の周りに刺青を入れる年頃だという説明がなされるが、おそらくその頃に髪も切られるのだろう。母をすぐに亡くし、父に従って幼少から狩を手伝っていた彼女の、その狩猟知識の豊富さが明らかにされる挿話でもあるが、同時に大人の女性になるべき時期にも来ていたのである。
だが、彼女は自分の名に掛けて(アシリパはアイヌ語で「来年」という意味がある。つまり「未来」だ)、新しい時代のアイヌの女なのだと宣言した(2巻)。
明治政府の同化政策は、特にアイヌに狩猟を禁じることで農民化を強行したわけだが、もともと狩猟民族だったアイヌに農業が定着するわけもなく、彼らはこれまでの生活を続けていた(極寒の地域で生きる術でもある狩猟を禁じられたため生活様式が変化し、多くのアイヌの人々が病死したとも言われている)。また、彼女の耳輪もアイヌの風習である。もともと男女関係なく付けられていた耳輪だが、男性の耳輪は明治4年の布告により禁止された。本作では、これを受けてのことか、アイヌの男性キャラクターに耳輪は描写されていない。実はこのときの布告でともに禁止されたのが女性の刺青なのである。
アシリパの狩猟知識は、民族の伝統を受け継いだとも言えるわけだが、その一方で彼女は日本語を話し、大人になるための通過儀礼とも言える刺青を拒んでいた。それが彼女の言う新しいアイヌの女なのかはわからない。いずれ大正時代のモダンと合流すれば、確かに彼女の和アイヌ折衷が映えるのかもしれないだろうけど。
アイヌ民族の風習として、いつか長い黒髪を切る日が来るのかもしれない。だが、もし切らずに伸ばし続ければ……。本作の物語は冬から春になろうとしている。やがて訪れる短い夏、マタンプシと上着に隠された彼女の黒髪ロングが風にはためくとき、故郷の未亡人として慎ましく髪をひっ詰めた梅子と対照される。黒髪がなびく解放感と美しさは、刺青をせずとも大人の女になった証として、杉元の心をも動かすのかもしれない。
(2015.8.31)
※アイヌ文化については、ネット上の各種記事を参考にしました。
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