「羽衣ミシン」
小学館 flowersフラワーコミックス
小玉ユキ
塗装中の橋桁に足を引っ掛けてもがいていた鶴……じゃくなて白鳥を助けた大学生の陽一は、その夜、一人の若き女性の訪問を受けた。彼女はいきなり陽一に抱きつくや部屋に上がりこんで「妻です」と押しかけ女房然と居ついてしまうのだった。
あらかじめ別れが訪れることを前提とした物語である。美羽(みわ)と名乗った彼女が白鳥の化身であり、いずれ北へ旅立たなくてはならないこともわかっている。だから、主人公陽一に重きが置かれた描写でありながら、読者は常に・ほとんど・美羽のような立場で物語を読み進めるかもしれないけれど、彼女が陽一との交流に喜んだり笑顔になったりする姿を客観視させるためにだろううか、二人の物語に糸織(しおり)と沓澤という二者が加えられた。糸織は陽一の幼馴染として登場したので、この娘と美羽の間で陽一が悩むのかと思いきや、陽一を下僕のように扱い、沓澤という仕事上のパートナーがいることがすぐに判明する。物語は、陽一と美羽・糸織と沓澤という二組の男女の進展が中心となり、4人がそれぞれ思い苦悶する姿を描くことで学生から社会人へという成長も背後に描かれている。と真面目な作品紹介をしつつも、読みどころはやっぱり美羽の言動なのである。食パンはむはむしてる場面がなんともいえん……
で、「光の海」も良かったが、今作は全1巻を費やしての長編である。登場人物の内面も存分に描かれ、感情の動きが詳細に綴られる。割と小さなコマで物語は展開され、ほとんど冬の季節が背景にあるので画面は白を基調とする。それだけに「春」と題された最終話の見開きは圧巻である。
雪は景色を彩っている草木を覆ってしまう。町並みも家並みも等しく白く包みこむ。隠された諸々は白に統一され、まるでどこも同じ世界であるかのような景色が現れる。けれども、陽一の前に現れた美羽は、彼の埋もれていた才能に火をつけた。橋好きが高じてその工学にのめり込み教授に認められていく。糸織と沓澤も美羽の一言一言に互いを意識し始め、隠してきた感情が顔を出していく。美羽は、天然ボケ染みた性格・言動によって、周囲の人間関係を氷解させていくのである。春が近付き、飛来の季節を間近に控えた彼女の元を訪問する姉は言う、「痩せたわね」と。まるで陽一たちの成長の糧を自らの羽根で織っていたかのようだ。
そして白さの他にもうひとつ、翻る布の描写も見逃せない。美羽は常に真っ白なストールをまとっていた。ニット製作者の沓澤やその販売を引き受ける糸織も、その生地の手触りに驚くほどだ。白鳥の羽をイメージしたと思しきストールは、彼女の隠された秘密を包んでいるかのような錯覚さえ生じせしめる。冒頭、風で飛ばされてしまうマフラーを失った代わりに得た彼女の存在も、近くにいながら、その温もりは感じれども中身はわからない。ストールがないときの彼女の描写に陽一が何かぎこちなさを感じるのものの正体は知れなかった。
何かを包むストールのイメージは、劇中では風にはためくカーテンに転化される。陽一のアパートと沓澤のマンションは向かい同士で窓を開ければ互いの室内を見ることが出来る。ちょっとカーテンを開けて向かいを見れば、そこで陽一と美羽の姿を確認できるほどの距離である。何かを目撃できてしまいかねないほどの近さとカーテン一枚の隔たりと風でたやすく翻るほどの軽さ。陽一が美羽が旅立ってしまう夢から覚めたときに描かれるのも窓からの日差しと揺れるカーテンである。
本作には、いくつかの伏線(あるいはそれに近いもの)が散りばめられ、読者に少しずつ引っかかりを与えている。それらは杳として何者であるかはつかめないけれど、ストールや白さといった描写を積み重ねることで、陽一の感情に読者を引っ張り込んでいく。どうしても意識してしまう美羽の旅立ちという捻じ曲げられない山場を山場として成立させるために、読者にそれらのイメージを強く植え付けていくのだ。見開きの衝撃は、まさに陽一と同じ体験なのである。
橋好きの彼にとって、美羽と出会うきっかけでもあった青い橋は、雪に覆われるとまた一段とその青さを深める、「青い橋がドーンと浮かび上がってかっこいいんだよな」と語るように、橋の造形が彼の注意を引きつけた。だが、彼女を助けた場所が普段気にもしない橋桁の構造であったように、彼は見開きで今まで気付かなかった橋桁の周辺に広がっていた一面のたんぽぽに全てを悟るのである(このたんぽぽからも綿毛の白と風に運ばれる旅立ちが想像できるだろう)。
一方、陽一が「楽しみだね」と語った春の訪れも美羽には決断を迫るものだった。このまま陽一と暮らし続けるか、北へ帰るか。山場を迎えるに当たり、彼女の天然ボケ描写は後退して沈鬱な表情が増える。陽一の明るさと対照的である。視点を陽一に近づけることで、避けられない別離を悲しむ彼女の姿が客観視されるわけだ。陽一に感情移入をさせつつ美羽の悲しみをやや突き放して描くことで、かえって彼女の姿がよく観察できる。最後のキスは、本編唯一の陽一とのキスシーンであり、陽一のモノローグだけで彼女の心理を表現してしまうのだから、作者のしたたかさというか上手さに惚れる。
第1話の初雪シーンとラストの初雪シーンを重ねることで、工事現場のバイトから現場監督(またはそれに近い立場)に至った陽一と初雪の一粒の温もりが、美羽を失った彼の人間的な成長を一手に表現している、手堅い。短編より長編が楽しみな作家だ。
(2007.11.12)
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