西餅「ハルロック」 成長と変化

講談社 モーニングKC 全4巻

西餅



 たまたま寄ったコンビニでふらっと手にした週刊「モーニング」で、続刊を楽しみにしていた「ハルロック」を読んでみると、なにやら起業して経営は順調に進んでいて社会的なアイデアで話が転がり、しかも次号最終回という巡りあわせの回を立ち読みした。あれ、これって私が求めていたものとなんか違うし……。と違和を覚えつつも、結局最終回は意味もなく怖くて読めずに最終巻となる4巻の上梓を待った。
 最終巻を読んで、この違和の正体がぼんやりと浮かんできた。もちろん先に断るべきは、これは私個人の嗜好であって、この作品の出来になんら影響しないものであるけれども、もっと読んでいたかったという思いがあっただけに、好みのまま終わるならともかく、期待しなかった方向に物語が締められてしまったことが残念でならないのである。
 簡潔にいえば、「ハルロック」というコメディともちょっとしたギャグとも言える電子工作を趣味にした主人公のマンガが、なにやら物語のありがちな流れに抗えず簡単に乗ってしまった点、つまり、キャラクターとして成長してしまったことが残念であり、寂しささえ感じるのである。
 主人公の晴(はる)は、高校時代に電子工作に目覚めた女の子で、大学進学後も熱冷めるどころか高揚し、自分が工作した電化製品で家族や仲間を巻き込んでいく。誰かの悩みを電子工作で解決していくのを基調とし、悩みのどうでもよさや晴の発想の奇想天外、そしてそれが電子工作という形になってしまう驚きが、話を転がす動機付けだった。
 1巻の「ぼっち・ザ・LED」など、ツイッターを利用した工作は特に目を見張るものがあり、2巻の猫ツイッターで物語は大きな分岐点を迎えたと言える。
 一方でまた、晴には六(ろく)くんという年下の幼馴染がいて、彼は彼で晴に分解されたいというおかしな欲望を抱えていた。二人は仲が良いけれども、この奇妙な欲望により、物語が二人の恋愛方面に傾くこともないし読者もそれが雑音にならず、現実的には二人はいずれは…という感覚はあっても、二人は物語を引っ張るコメディリリーフであり、小学生のうに君が突っ込み役として地に足を付けると、「ハルロック」は電子工作コントとして駆動していくのである。
 もっとも、晴は電子工作が普及すれば自分が奇異の目で見られないという密かな思いも抱いていたわけで、物語終盤の起業編は、まさにその思いを実現した結果であるのだけれども、後半の展開は、1・2巻ののほほんとしたキャラクターの前進しない日々の積み重ねを・変化はすれども成長しないというギャグ要素を、否定しかねないのではないかとも思えたのである。
 晴はバイトをはじめるなどして少しずつ電子工作の世界を広げ、キャラクターも増えていく中で、物語の行方は様々な選択肢が考えられるだろう。作者が選んだ形を読者である私たちは今こうして愉しんで読んでいる。そうだ、起業編もそれはそれで面白かったし、晴と六が成長していい感じになる予感をラストで漂わせるのも、うに君が中学生になるのも、会社がそれなりに大きくなっていくのも、とても清々しい余韻で最終話を読み終えることが出来た。だが、一抹の不安も抱えていた。
 業界マンガに変貌してしまったからである。
 何が売れるか企画を会議する話が4巻で描かれる。実際に売れる商品を作ろう。趣味の電子工作で身近の困った人に何を作ろうかという話ではなく、家電業界で何が売れるか何がニーズなのかを話し合う。発想の根本は晴の母親であるけれども、それがいざ売れる商品なのか実際に売れるのかは、作者にも読者にも誰にもわからない。結果として、そこそこ売れた程度で収まった展開だったけれども、その後の放置自転車の活用案など、現実的な話が集中してくると、女の子が半田ごてやドライバー持ってコンデンサーやら何やらで、基盤とかをこまごまと作っていた当初の物語を牽引していた作画の面白さは後退し、アイデアだけ・セリフで物語を牽引していく結果になってしまったのである。
 思えば1巻の晴は、母のためにゴキブリを駆除しようと奮闘すべく、ゴキの生態を調べようとして本を読むもGの写真に嫌悪して、イヤーと投げ捨てる構図のおかしさ(1巻82頁)が印象深いが、「変な人」という設定のキャラクターがセリフだけでなく行動でも表現されていた。それが……それが知的な女性になってしまうんだから、変な人から、否、変な人のまま素敵な女性に成長してしまうのだから、もうすっかりコメディリリーフではなくなってしまった。彼女の言動は家電製品のアイデアであり、うに君の突っ込みはアイデアのブラッシュアップに進化し、六の欲望はアイデアを形にする行動力に発展した。うに君の妹が、かろうじて成長しないキャラクターというしたたかさで物語の最後までコメディ要員として機能したのが救いである。
 それでも結局、彼らは成長した。物語の流れに乗り、希望や夢に満ちた最終回を迎えた。一読者としての私の不満は、取り残されたという気持ちの表れなのか、もっと西餅の生み出すおかしなキャラクターのおかしなマンガを読みたかったという我儘なのか。キャラクターの成長は、時にマンガからギャグを奪うのかもしれない。
(2015.5.6)

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