「ハルチン」

初出 Hanako1995年5月4日号から1998年3月4日号までの連載分及び描き下ろし(単行本初版は1998年3月19日、マガジンハウスより)

作者 魚喃(なななん)キリコ



「Water」「blue」「痛々しいラブ」と、これまで変にしゃっちょこばって妙な自意識があり、なんだか格好つけることばかりに気を取られた作品を描いていた魚喃キリコが、ついに目覚めました、自身をモデルにした(らしい)お気楽漫画「ハルチン」です。どこか間抜けでのんびりしてて、貧乏に懲りず衝動買いして自嘲しながらもへらへら笑っちゃう。美人の親友チーチャンとのコントのような漫才のような日常、ボケは当然ハルチンで、突っ込み役のチーチャンはそのボケ振りに呆れることもしばしば。男に間違えられたって体重増えたって恋人いなくたってお金なくったって、ハルチンは今日も懸命に、否、きままに生きるのです。そんなハルチン本名晴子推定25歳のある日を覗いてみましょう。
 本日の衝動買いはバービー人形。これだけでしょうもないったらありゃしない。いいもの買ってきたというハルチンにチーチャンはアイスやチョコを期待しながらも人形に何の意味があるやらわからない、ただ懐かしいだけ。不満たらたらの中ハルチンに人形の服を作らされるチーチャンは当然失敗して服が首を通らない有様。
 どうにかなるさと買ったTシャツ。給料日前の貧乏生活を一層苦しめる買い物に、Tシャツ持ってご満悦のハルチンに陰はありません。給料日までの五日を千円ちょいでいかに過ごすのか、「チーチャン、あたしって今シアワセだよね」ほんとに幸せ者ですよ、長生きすることでしょう。
 ある時はチーチャンの愚痴を聞きながら呆れ、ある時は童心に戻ろうと甘いものをバカ食いするもののまもなくビールを欲しがり、ある時は髪切ってわけわかんない格好してチーチャンを仰天させる。
 そんなハルチンに実家から電話が来ます。この電話のやりとりからハルチンが新潟から上京したらしいと推察できます。ハルチンは電話しながら足の指で靴下を脱ぐという芸を披瀝しますが、傍らにはチーチャンがいます。電話の邪魔にならないように静かにしている彼女が無表情に芸を見届ける様子から、見慣れた光景なんだろうと思います。相変わらず上手いこと脱ぐなあ、と思っているのかな。貧乏しながらどうにか生きていけるのは実家からの米などの仕送りのようです。
 コスタリカアミーゴハップン。どこからやってきた発想なのでしょうか。そもそも寝言でそんなことを言うハルチンの脳の中がわかりません。「いま行く」って中米に友達がいたんでしょうか。しかも馬で行こうとしている。爆笑するチーチャン、読者も笑い顔で、しかし何故おかしいのか、さっぱりわからず笑いが相乗されます。
 犬を飼い始めたハルチン。名前は「ハチ」。ハルチンの「ハ」とチーチャンの「チ」で「ハチ」かとひとり感激するチーチャンが聞かされた名前の由来とは。
 ハチが道端で引き裂いたカエルの死体に仰天してハチごとダンボールを被せてどうにかしようとチーチャンに助けを求めるハルチンの泣き叫ぶ有様に私も顔をしかめます。飼い犬が血まみれののカエルをくわえているのを想像すれば、その気持ち悪さにその愛犬さえ毛嫌いしたくなるでしょう。
 さて、一話見開き2ページ限定のコマ漫画で、積み上げられた幾多の日常はどれも作者が楽しんで描いた様が想像できるくらいの愉快と遊び心に溢れたおかしさがあります。面白い作品の条件は人それぞれですが、少なくとも作者の描く態度が色濃く反映されるのは確かでしょう。それだけに「ハルチン」は「楽しく描いた」という作者の言葉だけで充分納得できる面白さなんです。劇中の挿話もおそらく作者自身の体験が反映されてると思われます。事実と想像をごちゃまぜにしてぐつぐつ煮たりジュージュー焼いたりし、その中から食べられそうなものだけを選んだ漫画、味は二の次でとにかく毒じゃなく食べられればそれでよし、連載間隔が月一ですから、いくつも食べた珍妙な味が一月の間にあるだろうし、過去の思い出に至ったならば数えられないほどあるはずです。日常は誰にでもありますが、日々の生活で味わったそれらはことごとく忘れたり捨てたりしてしまいがちです。作者はその味を留めているのでしょう、つまり日記ですね。某誌に掲載された魚喃キリコのインタビューは「ハルチン」の面白さを私にはっきりと理解させる大きな指標となりました。というわけで、「ハルチン」にはないけど、やはり「あとがき」のある漫画はうれしいもんです。
 私の一等のお気に入りが、「ハルチン、勘違いもいい加減にしろよ」の巻(本当はサブタイトルありません、私が勝手に付けました)。となりの見知らぬおばさんに「赤と黄色、どっちがいい?」と唐突に話し掛けられ、あれこれ自問しながらも「きいろ」と答えるハルチンの間抜けさにきょとんとするおばさん。まさか、と振り返ったそこにはおばさんの子が同じくきょとんとしていて、「ガヒーン」衝撃に居直ってしまうハルチンですが、チーチャンの笑いを堪える後姿にかまわず、私は爆笑してしまいました。
 魚喃キリコはいい味を見つけたと思います。この作品も含めて、これからが楽しみな作家です。

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