「緋色の椅子」
白泉社 花とゆめコミックス 全3巻
緑川ゆき
幾層にも列なった人々の思いが、ある王国の反乱事件を通して丁寧に描かれている佳品である。作者のこれまでの短編に見られた青年達の心の機微は、本作では一国の政争を絡めることで、より大きな世界に広がった感があるけれども、基本はやはりちっぽけな彼らの感情を丹念に綴った悲哀と希望が混ぜ合われた誠実さである。ファンなら間違いなく堪能できる緑川節も名調子、緑川作品の奥深さが再認できるだろう。
冒頭はこんな感じ。とある王国(中世欧州風)の僻地・ニオルズ村のセツ(主人公・女)は、ようやく溜まった金を旅費に、5年前に王として都に迎えられた国王の妾腹・幼馴染のルカに会いに行く。だが、城で国民の歓声を受けていた国王陛下は、別人だった。途中知り合った、王族と対立するバジ一族の娘・クレアを頼りに城に入ったセツは、陛下に詰問すると、5年前に起きた暗殺事件を知ることになる。ルカの身代わりとして王位に就いた陛下とそれを知る侍従・カズナは今もルカの生存を信じ、玉座・緋色の椅子を守っている。そしてセツは、ルカ探しの旅を始める……
架空世界に作者得意のミステリー色を融合した意欲作である。お世辞にも上手いとはいえないアクション描写に躍動感は欠けているけれども、見せ場は忘れていない(作者があとがき等で語るところのハッタリが一話に一つはあるだろう)。絵に自信があれば見開きで剣振りかざしたセツたちが描かれたんだろうが、控えめに一頁一杯にとどめているのが、ファンにとっては微笑ましくもある。それでもそこは少女漫画らしさというものを失わずに、モノローグでセツの感情をびしびし伝えてくる。私がいつも感心してしまう点が、このモノローグの使いっぷりである。筋が通っているんだ、常に読者にキーワードとして意識させておき、ミスリードを誘ったり、終盤の謎解きに繋がったり感動を煽ったりと自在なのである。これはもう作者の感性だよね。「大切なものを置いてきた」という本編を縦断することになるルカの言葉が今回の鍵である。これもまた意味深でね。
謎解きとしては、ルカの生死の行方である。物語的には多分生きているだろうと予想がつくけど、では何故彼は戻ってこないのか? という謎が注目されることになる。生きていると信じるセツにとってもそれは同様で、手掛かりを求めているうちに様々な人々と出会うことになる。バジ家の雇われ者・ベルカンのドリィ、ルカの母親の親友・キラ、バジ家の次頭・ナギ、そして仮面の画家。中盤までに主要登場人物がそろうと、物語はルカ生存の証拠を求めて一気に動き始める。と同時に、事件に遭遇した陛下とカズナ二人に対する疑惑も浮上する。人々の複雑な感情を交錯させながら、作者はセツと陛下二人の心に深く入っていく。
セツと同じ村にいたという陛下の言葉により、セツはルカとの思い出を回想し始め、また陛下もセツの出現によってルカとの思い出を回想する。二人にとってルカがいかに大事な存在であったのかが読者にも伝わる、積み重なるモノローグが彼らの哀切を増幅し、セツの一直線な言動に潜む寂しさを知っている読者はどんどん感情移入していくことだろうし、陛下の健気なまでのルカへの信頼感に不安を覚えることだろう、ていうか私はそうなった。
この回想場面の挿入がめちゃくちゃ自然で、唐突感がないのである。驚くよ。そういうときはモノローグも抑え目でね、陛下とおでこを合わせるセツ(お前はコピーロボットかよと突っ込みかけた……)とか、旧友と手をつないで思い出すルカと歩いた道とか、言葉だけでなく身体のふれあいによって、そっと挟み込まれるひとコマ・ルカと手をつないで歩くセツが、とても愛しくて、「大事なもの」っていうのが、セツの思考を通して伝わってくる、それはセツという存在だけではなく、村でセツと過ごしたあの頃の日々、二人だけが共有した時間なのだとわかってくる。ぽつぽつと点在していたこれらの想いが物語のもうひとつの軸として固まってくると、ただもう手を合わせた・身体に触れ合ったというだけで、一瞬にして読者の脳裡にルカの思い出がなだれ込んでくる、2巻終盤でルカと一瞬すれ違うセツ、ここで挟まる幼い二つの手、これだけでもうあらゆるモノローグがどっと押し寄せてくるのである。正直、ちょっとしつこいなって思うときもあったモノローグが、ひとつのきっかけで大量に脳裡を駆け回る走馬灯がまるで自分のものであるかのような錯覚、いやそれはちょっと大袈裟か、でもセツの気持ちが、何を言いたいのかわかるんだ。
ただ難を言うとね、ちょっと言葉が過ぎる時もある、台詞が説明的なんだよ。モノローグは浮かんできた言葉をぽつぽつと呟いているって印象が出ているんだけど、ちょっと形式ばった言葉遣いが好きらしい作者の脚本は全体的に演劇調なのである、結構調子よく読める利点もあるんだけど、「もう見(まみ)えまい」とか最近見ない読み方だよ、これ。なんかこの文章支離滅裂っぽいけど、嬉しいんだよ、よくぞ小説家ではなく漫画家になってくれたということなのだ。
でまあいろいろと想いが重なってクライマックスに突入するわけだが、その直前に明らかにされる事件の真相がまた上手いこと描いているんである。当初から怪しい人物として描かれていたナギが、ついに語るルカの母親との思い出に漂っている哀しみが、セツの清らかな回想と違う方向からせりあがってきて、血塗れの過去をすっと洗い流してしまうのである。策謀家の形相が一瞬見せるあの人を語る時の嬉しさ、そして王族への憎しみに見開かれた眼光、この両極端な眼差しの揺れこそまさにルカが見せた「怯えと侮蔑」なのかもしれない。ルカが絶えず見せていた笑顔の裏に潜んでいた王族とバジ家への憎しみ、何気なく聞いていたルカの言葉の真意を悟ったセツの哀しさも同時に立ち上がってくると、物語はあらゆる人々の感情・特に憎しみ恨みが大きくなって理屈抜きに救い難い結末に突き進むことになる。憎しみを想起させる存在を抹消せんとする人々が俄かにあふれ出した。ナギにとってのニオルズ村、キラやベルカンの人々にとっての王城、そんな混沌とした中でもなおルカを追い求めるセツは、憎しみに駆られることなく、人を守るために反乱の渦中に飛び込んでいく。
これだ、感情の描き方である。登場人物一人一人が背負う何かしらの物語が、感情となって劇中を覆い尽くすのだ。この勢いは侮れない。私は作者を短編でこそ真価が発揮されると思い込んでいたが、それは間違いなのだ。長くこつこつと積み上げてきた思い出によって人物の内面を膨らませ膨らまし、あふれた想いは劇中全体を薄く覆いつくし、気が付けば血塗れになっているかのような戦慄があったのだ。「緋色の椅子」を読んだ人だけが共有できるこの感覚にある人は泣き、ある人は切なく、ある人は……私は感動したのだ。何が正しいのか? ということではない、割り切れない人々の感情は時に曖昧な印象を与えるかもしれない。だが、一度セツの回想場面・あの草原を撫で付けるような静かな風の中を笑いながら手をつないで歩くセツとルカの姿が脳裡に焼きついてしまった者にとって、たとえば陛下の手を引いて戦場と化した城の中を走るセツが不意に村の野原と風を思い出し(この時の彼女は、絶望的な状況なのに笑っているんだよな……)油断してしまう、結果陛下は弓に撃たれ一緒に逃げるはずが離れ離れになってしまうというやりきれなさ、これを補完するかのように挿入されるセツのモノローグ……
そして作者はキラの悲しみまで描いてしまう。反乱の扇動者である彼女が、死に際に見たヨダカ(ルカの母親)の笑顔……。セツは劇中で幾度となく男の子に間違えられる。これを一目で女性であることを見抜く仮面の画家の眼力を何気に描写するだけでなく、ヨダカは少年のようだったという伏線を用意することで、少年のようなセツの表情に親友の面影を見たキラ。悪役然としていたキラがまたこの瞬間、感情に支配されてしまう、だからこそキラがセツの強い目にヨダカを見て数瞬後の悲劇をあたかも受け入れたかのように錯誤させる表現力が、素晴らしい。
個人的にはこれまでの緑川作品の中で一番感動している。もちろん「蛍火の杜へ」「アツイヒビ」はいいけど、あれらは瞬発力にやられたって感じがする。余計なことを考えるいとまなく最後まで読んでしまう・感動は後からやってくるような速度があった、だから短編なんだけど。今回の長編は、ほんとに長い。連載一年半に及ぶ感動の累積があった。未消化な所もあるけれど、それを補って余りある各人物の情動の厚さが、終盤一気に炸裂して読者を翻弄し、どうにも言葉に出来ない気持ちに至らせる。これ書くのもかなり手こずっている状態で、だからもう文章未整理のまんまだけど構わず書くと、みんな大切なものを失くしたんだ。ベルカンの人々は故郷を失った、ナギとキラは親友を失い、セツはルカを失くした。これに対する「拾った」という言葉を用いてナギの前に現れる仮面の画家、言葉の使い方が上手いな。そんななかで一番いろんなものを失くしたのが陛下だった。彼は故郷ベルカンはもちろんニオルズ村さえ失いかけていた。名前も失くし、何も持っていなかった。空っぽというか、そんな空間さえないがらんどうの心の中に、ルカという触媒を通して侵入してくるセツの存在がだんだん大きくなっていく。彼には帰る家がある、もう橋の下で雨をしのぐ必要はない、日々の糧に苦労することもない、ルカの思い出を共有する人がいる、ルカがいた村がある。そして、「大切なもの」、彼の名前がある。
ラストシーン。ルカという存在が血肉になった二人が触れ合う時、もうルカの思い出はあふれない、共に生きるであろう彼らが、これからあふれんばかりの思い出を築くのだ。
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