「ひらけ駒!」5巻

「負けた」という事

講談社 モーニングKC

南Q太


 主人公が強くなる展開が多い中、強くなる子どもを見守る母の視線を中心にひたすら将棋の世界と母子のやり取りを静かに描く、数ある将棋マンガの中でも異彩な作品である南Q太「ひらけ駒!」も5巻目となった。巻を重ねるごとに将棋についての薀蓄も増え、棋譜も登場し、我が子・宝の将棋を指す姿を見守るだけでなく自ら将棋も指すようになった主人公である母だが、それでもやはり宝を遠くから見ている場面に、なんともいえない面白さとそこはかとなく漂う艶気を感じるのである。また、いろんな子どもたちとその親が登場しながらも、彼ら親は、あくまでも子の親としての立場を崩さない・子の名前+ママ(あるいはパパ)で呼ばれる点も、主人公としての個を主張しない裏にある・あくまでも本当の主役は我が子なのだという強い自意識も微笑ましい。
 棋譜の登場は作風との齟齬を感じさせ違和を感じたものの、作者自身が将棋に詳しくなっていくことに対する嬉しさがにじみ出ているし、それがまた同時に将棋に詳しくなっていく宝の母の姿に重なりもし、作品そのものがキャラクターとして成長しているような奇妙な感覚にも陥る。5巻で中心となる宝の棋戦は、将棋に詳しい人が読めば、まさに次の一手が読める展開であろうし、これまで息子の勝敗という結果のみに興味が注がれていた母の視線=作風が、過程の変化にも興味が強く惹かれていく作風の変化の現れである。実際にどのような手を指しているのかを素人同然の彼女は理解できないだろうけれども、どのような熱戦譜だったのかを、棋譜による解説と、戦いの趨勢を宝の表情や立居から読み解く母の解説の二方向から煽ることで、宝が勝つという感動を盛り立てているのだ。母親同士の対話が、子どもたちの熱戦の余韻を掬う、「涙出そう 今」と語る彼女たちの台詞は、この作品の白眉だと勝手に思っている。
 さて一方で、母がどれほど強くなったのか、宝がどれほど強くなるのかは全く予想が付かないし、このまま将棋を指す宝を奨励会まで送り届けるのか……それはそれで面白そうだなと、いろいろと今後の展開も楽しみな作品なのだが、5巻に至って、珍しく感傷的な場面が描かれた。
 それ以前から勝敗に一喜一憂する母子の姿は描かれているし、負けが混んで泣いてしまう宝や、それを慰める母親らしい態度もたびたび描かれている。だが、戦いを観戦しているうちに息子の力闘に涙する母親の姿を描くことで、まるで一緒に戦った仲間であるかのような連帯感が、この巻でいよいよ強くなった。どちらかと言うと南Q太作品には乾いた印象を抱いていただけに、入賞もならずに去った宝と母が電車に乗って敗戦の余韻に浸っている姿は、恋人同士なのにどこか互いに全然違う方向を見詰めているような突き放された台詞のやり取りとは異なった新鮮さを感じた。
 もちろんこのような感覚は、母が宝をどんな姿で見守っていたのかを知っていたからだ。将棋の先生である水嶋三段と母の対話における水嶋の言葉が意味深なのだが、それは今はおいといて、将棋を指す子どもたちのいろいろな姿を描き、それを見守る大人たちの笑顔と、将棋を楽しむ・好きで好きで仕方ない笑顔を描く。けれども、会場を出た宝の顔は髪の毛で隠され、どんな表情をしているのか判然としない。結局1勝しか出来なかった彼の悔しさは、詰んでいることにすら気付かない幼児の無邪気さとは別次元の、強くなること・つまり先が読めてしまうことの真の意味を孕んでいるでいるわけだが、それもまたちょっと置いといて、伏せがちだった宝は母と二人になって「ずっ」と鼻を啜るのである。
 泣いたのかどうかははっきりしない。でも母ははっきりと「泣かなくてもいいじゃない 1回勝ったんだから」と話しかける。慰めるというよりも、どこか突っ慳貪な物言いだ。でもこれもまた母の優しさであることを読者は知っている。勝敗の熱気を払おうと話題を別に持っていこうとする母の姿がその前にも描かれていた。母もあえて宝の顔を見ようとはしなかった。
 二人の会話は電車の中である。本来ならば他の乗客の声も聞こえているだろうし、そもそも電車の音が車内に響いていないわけがない。だが、ここの台詞は二人の声だけだ。電車に揺られているというような動きも描かれないのは、もともとの作風だとしても、この異様な静けさは、宝の悔しさが引いていくのを待つ母の心境に他ならない。この我慢比べのようなだんまり合いは、母があえて折れた。車内の様子を1コマ描き、それを見ているらしい母の顔の向きと俯いたままの宝、宝の隣には男性がいる。
 家の中なら泣きそうになる宝を風呂入って来い!と蹴飛ばす勢いで言うかもしれない母である。実際、1回勝てたからいいじゃないかと同じような言葉を掛ける場面も過去にあった。だが、母自身も将棋で負ける悔しさを知ったことで、それが全然慰めになっていないことも承知していた。それだけに宝の涙が本当の負けた悔し涙なのかを推し量ったかのように、彼女は決め台詞を言うのである。
「将棋で負けて……泣く子は強くなるらしいよ」
 この言葉をきっかけに、宝は安堵を感じたかのように母親と二人っきりの感覚を強めていく。周囲の描写は消され、母もまた同じ感覚を共有していく。強い日差しを思わせる白い光りによって宝の隣にいる男性は消され、水嶋三段の言葉を思い出した母の想いは、車内から解放された。
 将棋で負けて泣く子は強くなるとは将棋界でよく言われるという言葉であるが、元奨励会員の天野貴元氏は、自身の2010年1月のブログではっきりと書く。
 ――「泣く子は強くなる」って言葉を、将棋界でたまに聞く。
   でもどうなんだろう、ぶっちゃけ嘘でしょ。そんな子1人も見たことないんだけど。
   泣きたいけど我慢する子が強くなると思う。――
 天野貴元氏は奨励会の三段リーグで戦うこと10年、プロ昇格を目指して戦い続けたが、年齢規定により退会を余儀なくされた人物であると同時に、水嶋三段のモデルとなった人物でもある。彼は、南Q太が通う将棋教室の先生として作品に協力し続け「ひらけ駒!」の宣伝もブログで行っていた。氏は、退会がほぼ決まった今年1月のブログで語る。
 ――それでもやっぱりこの感覚は、特別です。棋士になった人には永遠にわかる事のない、本当に「負けた」という事を知る瞬間。――
 氏のブログを読んでから電車の母子の会話を読むと、まるで宝が天野氏で、母が南Q太であるような錯覚に、一瞬、陥った。

(2012.3.28)

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