「ハイスコアガール」8巻

並んで戦え!

小学館 ゲッサン少年サンデーコミックススペシャル

押切蓮介



 みんなとゲームで遊ぶと言えば、横に並んで互いにパッドを持ち、他の人は後ろで観戦したり駄弁ったりマンガ読んでたりするのが当たり前の光景だった私にとって、ゲームセンターは未知の世界だった。ワンプレイに50円100円を払うことに対する抵抗もあった。押切蓮介「ハイスコアガール」は、私が知りえなかった空間を冒頭から描き、家庭用ゲーム機の普及の様子を一少年の目を通して描写しながら、1990年代のゲーム少年たちの成長を描く名作である。
 主人公のハルオは、ある日ゲームセンターで大野という格闘ゲームの達人の少女と出会う。同級生とはいえ、そんなところに来るとは思えなかっただけに、ハルオは違和を覚えながらも、ゲームの交流を積み重ねていく。二人の姿は初々しく、コミカルで濃い顔がそろったキャラクターに四〜五頭身の幼い造形は、恋愛の萌芽を感じさせつつ、時代の雰囲気を小道具に散りばめながら郷愁さえ感じさせた。息子の成長を楽しく見守るハルオの母親と、深窓の令嬢然としながらゲームセンターに繁く通う大野を巡る厳格な家庭教師や運転手の爺や、両極端な設定を配することで、反発しながらも仲良くなっていく様子は、友情というべき情愛を築き上げた。
 さて、8巻である。1巻の小学生編から時を経て、友情という関係性はとっくに放擲され、恋愛関係というにふさわしい状況となっている。中学生編から登場した日高がハルオへの恋心を自覚し、積極的にゲームを通じてハルオに迫る展開は7巻で暴発とも言えるファミレス告白(二回目の告白になるだろう)を受けながらも、ハルオはいつまでもゲーム少年のままで恋愛という次元に移行できない物語が続く。無口な設定の大野と、モノローグや言動でハルオへの好意を隠さなくなった・開き直ったような日高の、キャラクター性ではなく寡黙と多弁という別の面での両極端な設定をそれぞれに設けることで、ハルオ・大野・日高の三角関係は、ハルオを巡る関係性から大野と日高の関係に焦点を当てる方向に変化したように思える。成長しないハルオでは物語が進まないからだ。必然とも言えるその変化は、全ては大野という特殊なキャラクター設定に依拠している。
 寡黙な大野は、その態度によって今何を考えているのかを読者に悟らせたり、他のキャラクターに考えを代弁させ(隣で「コク」と頷いて同意する大野)ることで、言葉を伝える。恋愛を理解できないハルオでは、いくら大野が態度で何かを訴えても、同志とかライバル関係ばかり代弁し、そちらには解釈してくれないのだから、二人だけでは一向に関係がそちらに向かわないのである。日高は、物語的には完全に大野の当て馬として悲しき設定が始めから決まっていたが、積極性を導入することでハルオに大野への別の感情を気付かせる役割をも担っていよう。それはそれで悲しいのだが。
 けれども、7巻の告白でも心を微動だにしないハルオは、おそらく多くの読者に違和感を与えたかもしれない。私はそう感じた。ゲームに登場するキャラクターたちに煽られ、中高校生編から登場した仲間たちに煽られ、大野の姉や母親からも煽られ、それでもハルオは1巻から通している初々しさを失おうとはせず、頑なにゲーム仲間としての大野・日高という存在を崩さない。極端なキャラクターを配することで構築してきた物語は、ハルオの中に両極端な設定を・高校生らしくバイトして小遣いを稼ぎ原付の免許を取得するハルオと、二人の女性に迫られながらゲーム仲間としての友情しか感じない小学生のハルオが、同居することになったのである。今後、ハルオの中の矛盾する設定が、二人の本当の気持ちに気付くなり自らどちらかに恋愛の気持ちを告げる展開もありえるかもしれないが、現時点では、1巻のハルオと変わらない幼さが、読者にとって妨げにならなければよいが、杞憂に終わるだろう。物語としては、ゲームキャラクターたちに背中を押されて自ら気持ちを伝えるというところに落ち着くかもしれないが、それはそれで1巻のラストと同じであり、成長した故に異なった展開を期待したいところである。
 さて、改めて8巻である。ここでは煮え切らないハルオの態度に、別の展開を予期させる戦いが中心として描かれた。大野と日高が互いに向き合い、互いにハルオとどのように接していけばよいのかを決しようとするかのような、決闘とも言える対戦が描かれるのだ。
 この作品でゲームをする描写は、大きく二つに分けることができる。舞台が家であれゲームセンターであれ、二人のキャラクターが向かい合って戦うか、並んで戦うか、である。
 物語の冒頭、ハルオと大野の出会いはゲーム筐体を挟んでの向かい合う戦いだった。まあ、戦いというにはあまりに大野が強すぎて勝負にならなかったわけだが、二人の交流はここから始まったのだから、向かい合う場面は、特にハルオにとって大野との闘いを意識させるのは当然だろう。以降、ハルオが大野とプレイするゲームは、二人並んでの協力プレイが中心となる。大野の表情を窺いながら、大野にど突かれたり蹴られたりされる距離感が、並ぶ、という空間にはぴったりだ。
 中学三年の修学旅行で挑んだ大阪の格闘ゲーム大会で、二人が初めて並んで戦う場面が描かれる。勝利するハルオだが、実はボタンが一つ壊れて思うように大野が戦えなかった事実を知らされ、ハルオは激怒、大野との取っ組み合いの喧嘩になる。向かい合う二人。大野の首から、小学生の時にハルオから貰ったおもちゃの指輪を凝らしたネックレスがこぼれると、ここではっきりと読者は大野の気持ちを悟ることだろう。ハルオは気付かないんだけど。それでもゲーム筐体を間に挟まない対面の戦い・喧嘩によって、ハルオも少なからず動揺することが描写されていた。対面プレイ・横並び協力プレイなど、様々な戦い方を通して二人が絆を深めていったことがわかるだろう。
 日高と大野の初対戦も向かい合ってのものだった。ストUだ。豪鬼を選ぶ大野に対し、ハルオから引き継いだガイルで戦い続けるも、あっという間に負けてしまう。だが、二人はこの時まだ顔を合わせてはいなかった。対面の戦いは、互いの顔を窺えないという描写も可能にするわけだ。
 一方、ハルオと日高の対戦はほとんど横並びのものばかりだ(例外は4巻のヴァンパイアハンター戦だけだろう)。初めてゲームを教えたのも、高校生になって対戦するのも場所を問わず並んで互いに表情が垣間見える距離感だった。主に日高のモヤモヤした恋心に描写の中心が移行し、ハルオは周囲から・ゲームキャラクターからも突っ込みを受けつつも彼女の気持ちに気付かないのだが、日高の告白を受けた6巻の格闘ゲーム三回戦の勝負は、向かい合ってのものだった。日高の執念めいた勝利への貪欲さが前面に出た描写の中、ハルオの本心・表情はなかなか描かれない。何を考えているのかは、ゲームを通してしか推し量れない。ゲームキャラクターの一挙一動が、ハルオそのものと化して日高の気持ちを押しつぶしていく……
 このように、対面か横並びかによって、戦いの描写は変わるのだ。キャラクターとの距離感は、対面だとゲームキャラクターが操作するキャラクターから感じさせ感じられ、並んだ場合は、直接その表情が描かれ、ゲームキャラクターと一体化した一心同体の感覚が強まるだろう。
 8巻の日高と大野のストUの並んで座った戦い。豪鬼を選択する日高に、ザンギエフの大野。対ハルオ戦で修練を積んだ日高は、ザンギエフが豪鬼に不利なキャラクターであることを知っていた。それでもなお、ザンギエフを選んだ大野を訝る。だが勝つために手を抜かないと誓う日高は、斬空波動拳を連発し、ザンギエフに防御一辺倒の状況を強い続ける。
 大野の表情を窺う日高。自分の戦い方は、時にプレイヤー同士を本当の喧嘩に発展させてしまうほどの卑怯な戦法とも言われていた。防御しつつ少しずつ体力を削られていくザンギエフに焦点が当てられる。ゲームキャラクターの無表情とも言える顔が大野と重なったような錯覚だ。実際に描かれたのは豪鬼のような眼光を据えた日高なのだが、何を考えているのか大野からもザンギエフからも窺い知れない不気味さが、日高の心理を少しずつ乱していく。息遣い・ここでは大野の表情が無表情であるがゆえに考えを巡らせすぎてしまう、隣り合うという距離感だからこそ生まれた日高の迷いだ。隙を突かれた豪鬼はザンギエフの下段キックを許すと、一気に反撃を受けてしまった。刹那、隣の大野からの妖気とも言えるような気配がザンギエフとともに豪鬼と日高を包み込むと、もう攻撃をかわし切ることが出来ない。モニターからの閃光、以降の戦いは余韻・大野の強さを確認するだけとなったのだ。
 ハルオが二人の気持ちに真摯に向き合うことはできるのだろうか。ゲームを取っ払った対面によっても、ハルオは日高とも大野とも動揺するばかりで、その本心に自分すら気付けない。だが一方で高校生然と成長する姿を描くことで、ゲーム少年との乖離を生んでしまっている。キャラクターのコミカルな描写に対してリアルな背景やリアルなゲーム画面を積み重ね、1990年代という空気を損なうことなく展開してきた物語は、今、ハルオに少年としての心に決断を迫っているように思える。人としての成長か、ゲーマーとしての成長か。向かい合ってゲームモニター越しに戦い続けるのか、二人並んで歩く道を選ぶのか。
 でも、ハルオはどちらも手放さないはずだ。並んで戦ってもゲームは楽しめることを、お前は知っているだろう?

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