鳥山明「銀河パトロール ジャコ」

ペンギン村の死。そして。

「銀河パトロール ジャコ」集英社 ジャンプ・コミックス

鳥山明



 面白く読んだ、鳥山明の新作「銀河パトロール ジャコ」であるが、ドラゴンボールの世界観と繋がったことで、ペンギン村の世界観は作者の中でも完全に死んでしまったのだなと残念な気持ちにもなった。別にそれが作品の面白さに影響するというわけではない。あくまでも作品を取り巻く世界の話であることを強調しておきたい。
 というのも、ホントに楽しく読めたし、ドラゴンボールの前日譚だったと明かされる最終盤の展開に頬がほころんだのも事実だ。さてしかし一方で、釈然としない気分が冒頭を読んだ時点から芽生えていたのもまたホントだった。
 主人公のジャコが悪を許さない正義の味方としてカッコつけていながら、どこか間が抜けているというキャラクター設定は、鳥山マンガではおなじみであろう。真面目に正しいと思っていることを信じて悪をやっつける。そのために登場する、誰が見ても悪い奴だと思わせるチンピラ風情のキャラクターが実はいい奴だった、という展開はほとんどありえない。正義と信じた道が、実は某政府に利用されていたみたいなどこぞのダークな筋書きはなく、悪い奴はどこまでも悪い奴で、主人公にぶっとばされてやっと改心する。
 そのためにジャコは徹底的に無邪気なほどバカな言動を繰り返す。それはいい。笑いながら読めるし、ジャコのそうしたアクションが鳥山絵として実に活き活きとしている様が気持ちいいし、手描きの味わいが失われたとはいえ、やはりメカ物に対する執拗な描き込みっぷりや、背景で飛んだり跳ねたりしている変な鳥や猫や柱に張り付いているヤモリたちの姿も、在りし日のペンギン村を思い出す。小島が舞台で人も大飯博士ただひとりとなれば、人間以外のキャラクターに視線が注がれるのも道理だ。ジャコがフナムシを見つけてはしゃいでいる姿も、鳥山マンガはこれだよこれ感がよみがえる。道端のウンチを見つけてはつんつんするアラレの姿が思い出されるというものだ。
 けれども、そんなのほほんとしていような景色の中にあって、厳然とドラゴンボール的世界に支配されている劇中のセリフに出会って首をひねった、絶滅爆弾である。
 一度だけ誤ってスイッチを押してその星の人間を絶滅させて先輩に叱られたことがあると、あっけらかんと語り、ここでは爆発させないでくれよと軽く応える博士の態度は、子どもの戯言を温かく見守る大人そのものである。実際、大飯博士は劇中において人間嫌いと公言しつつも、でも中にはいい奴もいると度々ジャコに伝えて暴走を止めようとする。
 ドラゴンボール的世界とペンギン村世界の齟齬が、このジャコのセリフに凝縮されている。
 ペンギン村世界は、キャラクターが死なない世界である。死んだとしても、すぐに幽霊として登場するなどして生前と変わらない言動に明け暮れるだろう。銃弾を頭に受けても痛がるだけで、絆創膏を貼れば治ってしまう世界だ。ドラゴンボール的世界は、キャラクターが死ぬ世界である。かつて、ランチが銃を乱射して全身に銃弾を浴びた悟空やクリリンや亀仙人は、いててて……と言うだけで死にはしなかったが、レッドリボン軍のレッド総帥は、ブラックに銃で頭を一発撃たれて死んだ。レッドリボン軍編からキャラクターの死というものがほのめかされ、殺し屋・桃白白によって決定的になったこの世界観の変容については過去に書いたこともあるが、この「ジャコ」の世界においても、この変容によってねじれたままの世界が劇中を支配しているのである。
 だから、そんな恐ろしい世界観の中でいかにコメディ色の強い描写で様々なアクションを描いても、キャラクターの死がつきまとってしまうがために、どこか引っかかりを感じながら読み進めてしまうのである。やっぱ鳥山ワールドはおもしれぇ! と思った次の瞬間には、でも一歩間違えば死ぬんだよな……と暗い気持ちがやってくる。ジャコがロケットからタイツたちを救出するとき、東の都に向かって落ちていくロケットに関心を示させない。このまま落ちれば大勢の人がロケットの爆発に巻き込まれて死んでしまうという事態にも無頓着だった。カッコつけさせようとする大飯博士の機転によって惨事は免れるわけだが、ジャコの無邪気さと大勢の死がどうしても自分の中で釣り合わない。ギャグとして成立させるために利用された死、とでも言おうか。単行本に描き下ろされたドラゴンボールの話は、この後で惑星ベジータはフリーザに破壊され多くのサイヤ人が死ぬことを思い出させるわけだが、この時のフリーザに対するサイヤ人の感情と、ジャコがうっかり絶滅させてしまったという星の人間たちのジャコに対する感情に大きな違いはないだろう。でも読者にとって邪悪な存在はどっちかとなれば、フリーザでしかない。ジャコはペンギン村にもドラゴンワールドにも、どちらにもいた、何をしでかすかわからない・とんでもない奴だけど面白くて憎めない強いキャラクターという位置付けであり、フリーザとは全然違う存在であるけれども、ちょっと角度を変えてみれば、彼はまったき殺戮者に他ならないのである。
 それでも、やっぱりジャコはフリーザとは違う、という自分もまたいる。複雑な感情のもつれみたく、不安定なキャラクターに対する想いは、すべてこの世界観の曖昧さに起因している。
 ペンギン村は死んだ。これは間違いない。だかといってドラゴンワールドと断絶しているわけではない。どちらの世界も、繋がっていく人生を想起させているからである。
 ロボットにもかかわらず子を欲したアラレ、結婚して子を成していったペンギン村のキャラクターたち……その後の人生がうかがえる物語を内包していた。悟空も、その子の悟飯も、人生をつなげていった。そして、ジャコの世界のキャラクターもまた人生をつなげていた。結婚してしまうんだろうなぁと思わせるタイツと固茹の二人、小島を囲む海からいつも顔を出していた真っ黒な海坊主も子どもと思しき小さな海坊主を脇に従えていた。あるいは何匹にも増えた猫たち……そして、恋人が出来たというジャコ。彼らをゆったりと見守る大飯博士のモノローグは、これからもどこかでドラゴンワールドが息づいていることを予感させる。博士が高齢で亡くなってしまったとしても、彼の工学知識はしっかりとブルマに受け継がれていくだろう。
 ペンギン村世界の住人は死んだわけではない。彼らは、死ぬことを受け入れて生まれ変わったキャラクターなのだ。
(2014.4.16)

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