「鏡の中の遺書」
初出 月刊漫画ガロ1998年4月号・5月号(「潜む声 鏡の中の遺書 その他の短編」としてアスペクトコミックスから1999年2月11日初版発行)
作者 松本充代
中学生にとってもっとも重要な悩み事は他人との関係をどう築き上げるか、だと思います。容姿を気にかけ、異性を意識し、髪の毛一本一本にまで気を配る。
この作品の主人公は容姿に自信のない太ったおとなしい少女・麗奈です。作品の扉絵に「私にはなんのとりえもない。だから死んだほうがいいのだ。」と走り書きした一枚の紙片が描かれていて、劇中の大きな鍵となります。
冒頭から好きな先輩にどうやって告白するかと悩む麗奈の劣等感と卑屈に満ちた独白が綴られます。彼女の親友・照代は美人で、麗奈は自分が照代だったらいいのに、と単純に考えます。当の照代は麗奈の告白に協力しようと積極的で、先輩と麗奈の仲を取り持とうと奔走します。勝気で自信ある照代の姿勢にいっそう劣等感を深めながらも、先輩に告白する瞬間がやって来ます…。あらすじだけだと凡庸な展開のようですが、劇中では照代に対する多数の陰口が名もなき級友たちから漏れ、照代が敵を作っていく過程が描かれています。これは主人公・麗奈のモノローグで物語られるので、麗奈は照代を心配しながらも心の底で照代を疎ましく思う心理が読み取れ、「何かありそうだ」という不安に似た期待感を抱かせます。短編ですから、そんなことを感じる暇なく読み進めてしまうかもしれませんが、こうして張られた伏線は読み終わって間もなく再読したくなる原動力になるし、印象が残りやすいと思います。
予想通り、先輩は照代に好意を持ち、麗奈は傷心のなれの果てといえるのか、照代を憎悪しはじめます。それが照代を無視する形となって表出し、やがて照代の陰口を言っていた級友も同調します。照代へのいじめが始まるのです。
無視されはじめる照代の表情に作者の巧さを感じました。当初麗奈を気にする彼女の顔がある瞬間、鋭利な眼となって冷酷さがにじみ出るのです。その顔は激化するいじめに「堪える顔」には見えません。他人を受け付けようとしない強烈な意志、というものでしょうか。
ある日の学校、麗奈の机の中に紙片が入っています。扉絵の走り書きです。自殺を心配した麗奈はいじめグループの級友に相談したところ、「麗奈のためにやったことなんだから、万一のときには主導者のあなたが責任を取るべきだ」と言われて俄かに孤立します。結局信頼できるのは照代しかいない、本当の友人は照代しかいない、麗奈は照代の元へ向かいます。そして二人はめでたく仲直り……。
「鏡の中の遺書」の後に「世界の中の一人 全体の自分」という照代の小学生時代を描いた短編が載っています。
この作品では両親の離婚をきっかけにクラスでいじめられ始める照代の切実な心理模様が描写されていて、いじめの真実を知った母親が学校に訴えたことによりいじめはなくなるものの、誰も照代に近づこうとはせず、小学校を卒業してある決意をします、「逃げ(自殺)はしない、戦うんだ」と。
「鏡の中の遺書」は麗奈を主人公にして照代の「戦い」を描いた作品だったのです。つまり、仲直りしたと思ったのは麗奈だけで、「私にはなんのとりえもない。だから死んだほうがいいのだ。」はいわば最後通牒のようなものかもしれず、ラスト3頁で明らかにされるこの作品の真実に仰天しました。これは必読です。
その3頁のやりとりで照代がいつから麗奈への復讐を開始したかを考えたら、戦慄しました。
もうひとつ忘れてならないのが、「級友たち」の存在です。けして仲間の中心に立つことなく常に脇役で、はじめは麗奈をバカにし、照代の居丈高な態度にすぐに反発して麗奈をいたわり、そして再び照代について麗奈を中傷する。本当に恐ろしいのはこういう存在です。「級友」の無責任で気まぐれな気分に翻弄され、傷付き煩悶し、差し伸べられた手にすがろうとすれば翻然と爪を立てられていっそう傷を深くしていく…
戻る