「カツカレーの日」1巻 雑踏の中へ

小学館 flowersフラワーコミックスα

西炯子



 28歳の斉藤美由紀が考えた結婚生活は、普通で平凡な暮らしである。特別も波乱も必要としない。将来に対する展望がない売れない劇団員の彼氏との同棲生活に嫌気が差した彼女は、唐突に別れを宣言した。お見合いをして普通の結婚を目指す。
 西炯子の最新刊「カツカレーの日」は、婚活を通して自分の結婚観を見詰めなおす物語……という書き方をすると、やっぱり愛してくれる元彼のもとに行くんかしらとも考えられるし、さりとて50代のカッコいい男性が颯爽と現れて彼女を説教・虜にしていく系の作品にも思えるわけだけれども、高校生を描いた「STAY」「ひらひらひゅ〜ん」が好きな私にとって、ここ数年の西作品はどうにも受け付けがたい雰囲気があった。「恋と軍艦」もおっさんが出てきた序盤で萎えてしまったし……。
 でも、こうして感想を書くくらいには「カツカレーの日」は気になる作品である。
 お見合いを繰り返す美由紀、お見合いで結婚した友達や婚活5年という同僚との和気藹々としたおしゃべりの一方で、彼女に追い出されながらもニコニコ穏やかに彼女を想い、結婚相手に相応しい男になろうと就職活動に励む元彼の描写や、定年近い高橋というカッコいい男の橋作りという現場への強いこだわりや思想を美由紀の物語の合間に設けることで、三者がいずれまた複雑に絡み合うのではないかという予感を物語は抱えている(※最新話では高橋が父親であることを仄めかす描写があるようだ)。
 恋愛結婚に諦念を抱く美由紀にとって、結婚だけを目標としたお見合いの場は、互いの品定めであることを痛感していくわけだけれども、5回目のお見合いで出会った男性が美由紀の考慮する相手にぴったり当てはまってデートを重ねることで、結婚と言う目標を確かな手応えとして掴むのである。
 だが、物語の発端はそう簡単なものではない。
 美由紀がふらりと寄った読書カフェに置いてある自由帳・お客が好き勝手に書き込めるノートに、自分の決意を記したところから物語が始まるのである。嫌いになったわけではないけど彼氏と別れ人生の目標を見定めて結婚を目指す。「がんばろう」と。美由紀はノートに綴る。
 自社の海外での橋作りに現場を回る高橋は、久しぶりに戻った日本で馴染みの店を訪ねるも閉店、読書カフェと知らずに仕方なく寄ったそこで、腹をすかしながら何気なく開いたノートに彼女の言葉を見つけた。
 ノートを通した、互いを見知らぬ同志のやりとりは、穏やかなものでもなく、むしろ刺々しい。お見合い結婚にケチをつける高橋が、あんたの考えは間違っていると書き記せば、美由紀は他人にとやかく言われる筋合いはないと売り言葉に買い言葉という有様だ。
 読者にとっては二人がいずれ会うだろうことは容易に想像がつく。美由紀と高橋は、同じ建設会社に勤めていたからだ。親子なのかどうかは定かではないし、仮にそのような展開になったとしても、二人の出会いがカフェのノートだったことは間違いない。ここには血の繋がりという必然は微塵もないし、奇跡の物語めいた偶然しかない。
 ここでふと、ある映画が思い出された。昨年公開されたインド映画「めぐり逢わせのお弁当」である。
 インド社会では弁当配達が業務として体系化されており、多くの会社員がそれを利用している。もちろん専門業者による弁当配送サービスもあるが、自宅で作った弁当を勤め先まで届けてくれるというサービスもある。2人の主人公のうち、女性は若い主婦・イラ。夫のためにおいしいお弁当を作ろうと励んでいたが、夫の態度が実にそっけない。ひとり娘を学校に送ってから始まる夫の弁当作りは、そんな夫を振り向かせる数少ない機会だった。一方の主人公の男性・サージャンは定年を控え弁当も業者弁当を注文して届けてもらっていたのだが、ある日、誤配送により、イラの弁当が男性に届けられるのである。注文した内容と違うがおいしく頂くサージャン。イラは、完食した喜びを夫に向けるが、作らなかった料理の感想を言われて戸惑ってしまう。誤配送が続くうち、ひょっとして自分の作った弁当は赤の他人に届けられているのではないか、と察したイラは思い切って手紙をしたためた、「あなたは誰ですか」……
 手紙を通して互いを紹介しあい、理解を深めていく。妻を亡くしたサージャンの人恋しさ、会って話してみたいという気持ちが芽生え始めると、いつも吸っていたタバコを辞めた。イラも少しずつサージャンへの想いを募らせていき、夫の冷たさを愚痴る。果たして、物語はどんな結末を迎えるのか?
 「カツカレーの日」は、会ってからが本番なのかもしれない。美由紀の逡巡を描く5話。会う約束をノートで取り交わしてからの長い1日をカフェで読書をしながらアイスコーヒーをお代わりし続けて、ひたすら待つ高橋。
 美由紀には結婚するかもしれない相手がいる。高橋にはまた海外で橋を作る現場が待っている。互いに目標は決まっていた。ふつうの人生を目的とする美由紀と、社長に近い立場にいてもおかしくない描写をされながら現場作業員のひとりとして働き続ける高橋が同じ人生の嗜好であることは明白だ。どちらも人々の中に埋もれたがっている。1話で書いたノートが、風でパラパラと捲られてしまう場面が印象的だ。彼女の想いも他の人々の感情と同様に雑踏の中に消えていく。でも、誰かに読んでもらいたい、という思いもあったはずなんだ。自分に言い聞かせるようにお見合いがんばろうと書き記したけれども、物語は、彼女の本心を解きほぐしていくことだろう。
 高橋がノートに返事を書いた理由は、美由紀が書きかけた言葉だったろうことは察せられる。「がんばろう」の次に、「でも」と書いて、線を引いて消そうとしたのだ。「でも」の次に続く言葉。高橋が知りたがっているのは、それに違いない。自分に嘘をついて生きてきたと告白する高橋が、美由紀の父代わりとして彼女を導くのではないか。そんな予感がするわけだけれども、結局、説教するカッコいいオヤジマンガになっちまうのかなぁと思わないでもない。出来ればサージャンのような、寡黙なカッコよさを描いて欲しいものである。
(2015.7.20)

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