「君がいるだけで」

小学館「専務の犬」収載

高橋留美子



「うる星やつら」に「らんま1/2」、「めぞん一刻」さえ読みませんが、「Pの悲劇」「専務の犬」の各短編集はお気に入りの一品です。「専務の犬」に収載されている「君がいるだけで」は、勤め先の大企業の倒産により失職した中高年の男が風邪をこじらせた妻の替わりにパートで働くという物語で、コミカルな佳作です。
 まず、ナレーションが絶品です、巧いです。他の作品もそうですが、無駄がない。無理がない。ナレーションは時に雑音になる(読むのが面倒)ものですが、短文でまとめていて、しかも的を得ているから短編でありながら説明調の場面がなく、一瞥してその意味を汲み取れるから読みやすい(ナレーョンだけを読めばそれがそのまま作品のあらすじになってしまうのですから驚きです・・・そうでもないか・・・。)
 主人公の中年男・堂本氏のパート先は町のお弁当屋の「ほほえ味屋」です。気の弱い店長に、かつて社内で出来る男と呼ばれた己を訴えるべく、接客係として精進する日々が始まります。同時期にアルバイトとして雇われたタイの留学生・アッチャラーさん(不意に「少年アシベ」を思い出しました、意味わかる?)とともに堂本氏の客を寄せ付けない接客業に、店長は他のパートおばさんに小言を言われる毎日で泣きたい日々を迎えてしまいます。それでも堂本氏は努力家です。30年も会社のために働きつづけた人生に誇りを持っています。慣れない仕事とはいえ、仕事のために音をあげては誇りに傷がつかんとばかりに接客に砕身する彼の姿は客の心に響くことなく、もともと評判の弁当屋ですから、客が彼の態度に慣れるのです。
 ここで事件が起きます。堂本氏は正義感にも厚い御方ですから、不届き者に対しては仮借をしません。幼稚園児の無節操な行為に叱責喚声してふんぞり返る有様、店長がその子たちの母親に詫びるものの堂本氏の態度はいったんは戻った客を再び寄り付けなくしたのです。ここにきて、いよいよ店長も経営の危機に焦慮しはじめます。堂本氏がいるだけで客は来ない、といっても彼は調理経験なく厨房では戦力外、さりとて接客をアッチャラーさん一人に任せるわけにも行かず・・・
 本来、笑いのネタにされてしまう親父を主人公に据えたために、笑い者になるべき存在は読者が感情移入する主人公になっています。この奇妙な違和感と言おうか、堂本氏の行為が実に真面目で特に間違っているわけでもなく勘違いというわけでもなく、会社人間の単純な悲哀でないほほえましさ、まるで幼い子供のような中年男の挙動が感情を不安定にします。
 堂本氏の真面目な姿は笑いを誘うように描写されています。その後うさぎのぬいぐるみを着て店頭で立つだけの役目を負う堂本氏、そのうさぎは実に不気味です。目が怖い・・・です。それでも堂本氏は努力します。鏡の前で作る笑顔も自然になりますし、単なる節を曲げない頑固者ではありません、何事にもやる気を示して自己主張してやまない人物なのです。実際、彼はほとんど子供なのです。初めて経験する仕事にわくわくしながら熱心になっている子供、違和感の原因はそこにありそうです。
「君がいるだけで」、つまり堂本氏がいるだけで客は来ないのですが、そこにはたゆまざる勉強心があるだけに読者も「バカ親父」と思えずに微笑みながらも、どこか切なく読み進めます。店長は、いわば母親ですね。子供の一所懸命な様子がわかっているだけに、なかなか叱ることが出来ない母の葛藤のように店長は忙しさのうちにやつれていき、そうしてぽつりと漏らした堂本氏への不満を偶然彼が聞きつけるというお約束の場面を経て、堂本氏はようやく自分の言動を反省する機会を得るのです。
 自尊心の強い人ほど反省しないものです。それは頭の良し悪しに関係ない、性格の問題です。堂本氏の救いは努力家であることです、人のために尽くそうとする姿は共感を呼びやすいからです。さてしかし、そういう人たちがみな堂本氏のような努力を惜しまない人ではありません。自尊心を傷つけられたくないため攻撃的になる人もいますし、一切を他人の無能のせいにしてしまう人もいます。自尊心の強さといっても様々ですね。もし堂本氏がただの頑固者ならば、店長に謝罪することなんてしませんし、そもそも反省しません。子供だからこそ、「よくやった」というような誉め言葉一つで、仮にそれが偽りの言葉でも結構よろこぶものです。堂本氏はアッチャラーさんとの会話でそれを悟ったのでしょう(と勝手に想像します。)会社での称賛は結果に対してであり、決してその過程を、見えない努力を称えたわけではありません。ところが、町の弁当屋で初めて彼は努力を認められたのです。結果を出さなくとも努力したことを「偉かたですね」とアッチャラーさんに言われて気付いたわけです、自分のしでかしたことの重大さに。
 もっとも、勤め先の会社の倒産の責任は堂本氏にはないのでしょう。だから頭を下げなかった。しかし店に客が来ないのは明らかに自分の責任であり、失態だったわけで、責任をわきまえている堂本氏はやはり大人であります。

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