「恋は雨上がりのように」1〜2巻 二度目の疾走

「恋は雨上がりのように」

小学館 ビッグコミックス

眉月じゅん



 17歳の少女・あきらは、バイト先のファミレスの店長である45歳の中年男性・近藤に想いを寄せていた。何故彼女はそんな年上の男性に好意を抱くに至ったのかを発端に、静かに、丁寧に、二人の心情を綴る、眉月じゅん「恋は雨上がりのように」の面白さは、あきらの真っ直ぐな気持ちをそのまま写したかのような、彼女の立居にある。
 かつて陸上部で足をならし先輩から期待されながらも、右足首の故障で退部を余儀なくされて幾日、術後しばらく、彼女は目標を失い居場所を求めるように日常をさまよっていた。1巻8話で描かれた、想いのきっかけとなる挿話にあって、彼女の描かれ方は作品の根幹を成しているといっても過言ではない密度である。
 故障前の部活にいそしむ彼女の表情は笑顔に溢れ、自信みなぎる脚力で期待すら昂揚感の糧に過ぎない。部の中心であり、男子に迫るとも言われるほどのタイムを残していた。教室で部活仲間のはるかに「あきらーっ」と呼ばれて部活に馳せるべく振り返った彼女の笑顔は、これまでのどの表情よりも可愛らしく描かれた。幼さすら感じさせる特徴は、目の描写に尽きよう。無愛想・睨んでいると評される彼女の目は、ここでは大きく見開かれ、丸っこく、常に前を向いて輝いているかのような印象を与えた。
 実際は冒頭から彼女の目は細かく描かれている。虹彩、瞳、光の反射、長いまつげ。他のキャラクターが申し訳程度の小さな虹彩とわずかな瞳・黒目で描かれ、近藤に至ってはほとんど点目であることからも、彼女の存在が主人公として異彩であり、特別な描かれ方をされていることがわかる。それでも、7話までの彼女の描写は伏し目がちで暗く、怒っているような印象を周囲に与えている。同じキャラクターでありながら、雰囲気を極端に変えるわけでも記号表現を多用するでもなく、ただ目の形状だけでもって、彼女の心理が表現することができるのは、精緻に描かれた目だからこそ可能なのである。もちろん、近藤ほどの点目になれば、あきらの写実的な目では描けない演出・びっくりして飛び出る目玉とかが可能になり、年齢差以外でも彼女と対照的である様子がキャラクター造形に象徴されている。
 特に目元のアップが多く描かれ、彼女が今注視しているものが強調された。そこには特別な演出は必要なく、一般的な映画的カットによって、読者は彼女と同じ視線で物事を見詰めることになる。
 彼女が見る近藤の姿を描写しながらも、彼があきらの視線を捉える瞬間はなかなか描かれない。二人が目を合わせる場面はあるにはあるが、彼自身は、その視線の真意をもてあまし、測りかね、汚物を見るような目と感じるに至る。近藤にとって彼女は、畏れとも腫れ物ともつかない異質な、まともに目を合わせられない存在なのだ。そのために、彼女の瞳に近藤が映ることはなかった。
 さてしかし、1巻の山場であり、作品として一気に盛り上がる起点となった雨中の告白の7話こそが、8話の物語密度を真に支えていた。近藤は、彼女の視線に全身を晒される。
 ずぶ濡れのあきらを店内に招きいれようとドアを開けた近藤に対して、彼女は彼の前で直立したまま、意を決したような表情をする。雨の音が大きくなる。実際に雨の激しさが増したわけではない。横顔のアップをズームアップする3コマ。目を閉じ、再び大きく見開く。雨音の擬音が「ザアアア」と大きくなっていく。彼女の集中力の高ぶりが、近藤の声を含めて周辺の雑音を排することで表現されているのだ。そして次頁の告白で一気に雨音の擬音が消え、彼女の声だけが響き渡った。
 彼女の言葉が、場の空気を変えた。近藤の目元のアップが、彼女の顔を正面から捉えたことを物語る。見詰められていた視線を受け止めるも、呆然とした様子で立ち尽くした。この瞬間もまだ雨音の擬音は描かれない。自分自身と向き合い続けた結果、周囲の環境音を斥けた彼女の想いが、近藤に感染したかのようだ。同時に読者にとっても、近藤のように立ち尽くしたかのような間を、コマの中に見出すだろう。
 擬音「ザアア」が描かれるのは、タバコの描写で具体的な時間経過をほのめかしつつ、彼女がその場を去ってしばらく経過したコマを挟んでのことだった。
 彼女の意を決した告白によって醸成された二人の空気は、まだ始まって間もなく、ぎこちないものだけれども、おそらくこの場を穢すキャラクターとして設定されただろう、バイトの同僚の加瀬が、二人の解説役として、特にあきらの行動を制御していく。
 近藤への想いを知られた点、年の差から付き合っても上手くいかないという断言、そして何よりも、彼女から去り際に仕掛けた頬へのキスは、彼女自身が近藤とのデートを終えて去り際に仕掛けたキスを踏まえているのではなかろうか。加瀬がちらつかせる自信に満ちた言動は、物語としてはまだ根拠が薄いものの、あきらの家庭環境を想起するだけでも、加瀬にとってそれ自体が彼女を責める材料になるに違いない。
 すなわち父親の不在である。
 怪我によって失われた「走る」という目標は、部活の次に見つけた二度目の青春によって、再び走り出そうとしているけれども、父親という存在が、彼女の想いのアキレス腱にならないことを。
(2015.4.25)

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