秋★枝「恋は光」6巻
三人の力点
集英社 ヤングジャンプコミックス
恋をしている女性が光って見える主人公・西条をめぐる恋模様を描く秋☆枝「恋は光」も6巻に至り佳境に入った。
主人公の設定は当初こそブレが見られたものの、光って見える女性の条件を探る過程を通して、実際に光る女性の描かれ方にも一定の法則が見え隠れするようになり、読者のミステリ感を程よく煽り、次の展開への期待を生んでいた(否、そのブレも私の思い込みかもしれない)。
腐れ縁とも言える長い付き合いの北代、西城が好意を寄せている東雲、物好きから西条に近づくも彼と接していくうちに惹かれて好意を寄せていく宿木の三人の女性は、恋と光の関係性をさまざまに議論していく。対話が主となるこの物語において、光る女性の存在の意味の追求が、そのまま自分は西条をどのようにして好意を持つに至ったのか、彼から光っている見えるという自分はどう光っているいるのか・光っていない者との差は何か、読者を巻き込んでその場に居合わせているかのような展開が続いていた。
だが、この展開において西条の、恋する女性は光るという旨の告白を聞いていなかった東雲が、いよいよ彼から交換日記を通して(彼ら四人は感情がどのようにもつれ合い絡み合おうとも、この奇妙な習慣を中断せず物語の初めから続けていた)彼の秘密を聞かされることで、その真意の一端に触れることとなる。
一方で6巻の眼目は、なんといっても他にも恋する女性が光って見えるキャラクターとの出会いである。それは物語にとって決定的な転機となった。
長い前置きとなったが、三人の対話から見える彼女たちの心情を探ってみよう。三人は、同じ人を好きになってしまったために、牽制や駆け引きなどを正直に明かしたり明かさなかったり、あるいはそのキャラクターにしか知りえない情報(心情)を読者にだけは明かす。この作用により、三人の思惑から彼女たちの誠実な言動を読者は印象付けられているわけだけれども、それでも言葉には表れない・仄めかされている隠された心理の演出が仕掛けられている。
当初、邪心をもって西条に近づいた宿木には、終始後ろめたさがつきまとっていた。西条もそれを察し、宿木から持ち掛けられた付き合いも自ら断る格好となると、彼は彼女に対する申し訳なさと、別れてすぐに他の女性と親密になることは失礼だという義理堅さにより「喪に服す」という体で、東雲への好意を抱きつつも、彼女と距離を置くこととなった。一方、北代とは親友とも言える間柄により、よく居酒屋などで対話を続け、自分の能力についてはもとより、恋をするとは何かという物語の主題を彼なりに分析していったのである。
彼をめぐる複雑な感情を他所に、女性たちは彼への好意という一点でもって均衡が保たれていた。だからと言って三人の対話はそのように描かれてはいない。東雲への配慮である。
物思いに耽ることが多く、誰かと一緒でもひとりで考え事もいとわない。それでいて発想はユニーク、読者にとっても彼女の言動は興味深いものだ。ずっと片思いを続けながら、その思いが届くことのない北代は、諦念のように西条と接していた。宿木も居直ったように西条への想いを躊躇しない普通な女性という設定を受け持っていた。そんな中、東雲だけは唐突に西条の好意を引き受けつつも、なかなか二人の想いが通じることがない(これが何かしらの物語の都合上の障害によってではなく、キャラクターの性格付けによって障害になってしまっているというのが、この作品の面白さであり、キャラクターの個性なのだ)。読者としては北代の一途な想いを知っているだけに複雑な立場のキャラクターではあるが、それでいて読者の注目を浴びる存在感があった。彼女は三人の対話において、常に中心で描かれているのである。
最初の対話は1巻、円卓を囲み、中心がない。対話の展開の主導権は常に宿木が握っていた。この時の彼女は他人の恋人を奪う薄暗い気持ちを隠していたが、対話の内容は東雲の恋の定義がわけわからない旨を述べる。東雲は、「形而上学」からアプローチしていたが、宿木の率直な恋の定義に新しい視点だと感激しながら「独我論」と理屈付け、宿木にも読者にも面倒くさい奴という印象を一層強くしたことだろう。二人の会話を脇から見守る風の北代が脇に・文字通りコマの脇に描かれ、東雲が中心に描かれる。東雲に質問する宿木、東雲の視点から見た宿木という描写により、対話の中心が東雲の独創的な存在や言動であることが印象付けられる。
二度目は2巻、宿木と西条が成り行きで付き合うこととなった件を、宿木が講義後に東雲に打ち明けた現場に北代が遭遇する。勝ち誇った感情を隠しつつも隠せない宿木の表情が中心のようであるが、東雲に未練があるという西条の本心を知らされていた北代の余裕は、やはりコマの脇で、落ち込んでいる東雲が、この場の本当の中心である。ほとんど話すことができず何も知らない彼女の表情に視線を寄せる北代のアップが場面を締めることで、その印象は強くなるだろう。
そして、三人が並んで歩く場面だ。前を歩く北代と宿木に、二人の話を聞いている真ん中の東雲という構図である。
その後三人は学食で昼食を一緒にするわけだが、ここでの中心は表面上は宿木という体裁で、四角い机に宿木、その対面に北代と東雲が座る。けれども読者は、北代と宿木の対話を聞きつつ、何も話そうとしない東雲の言葉を待っているだろう。少なくとも北代は待っていた。北代は彼女の言葉を引き出すと、場の中心は一気に東雲の長広舌「純愛とは何か」「恋は戦い」論が始まり、宿木を呆れさせる。
以降、三人の立場は、世間話をする北代と西条、何か考え込んでいて一気にまくしたてる東雲という形式に固まる。
もっとも、物語はキャラクター二人の対話が頻繁に描かれ、その思惑が緊迫感となって三人の対話を見守る展開につながっているのだが、一人の場面でも恋について考えを巡らせる東雲は、ただそこにいるだけで何かを訴えてくる存在感を放っていると言える。
物語としては宿木の反省と恢復を描きながら西条の過去の闇、光が見える女子高生の登場と起伏を経て6巻で大きく動いたわけだが、西条は恋をしている女性が光って見える情報を知らされたという東雲の構図は、宿木の邪心を知らない時の東雲、西条の本音を知らない時の東雲など、これまでも描かれた何も知らない彼女という物語の反復でありながら、これまでの経験と、それが重要な情報であるがゆえに、彼女の黙考が際立ってこよう。
その情報はこれまで三人の友好的な関係を保っていた核心であり、自分がそれに触れたということは、光が見える女子高生と会うという展開も相まって物語が動く予感を読み手に与えるし、実際にそれは現実のものとなる。
だが、その場面すら東雲は登場しない。北代の告白は唐突ではあるが予感はあった。むしろ、現場を目撃する宿木のほうが唐突だろう。偶然の展開を装っているとはいえ、作劇は東雲の疎外は徹底しているし、それが彼女の役割なのだ。
だが6巻で注目すべきはそこだけではない。光の正体がわかった気がするという東雲とともに、これまで誰かの思考の体裁をとっていたナレーションが、客観的に西条というキャラクターついて解説するのである。そこで読者と西条は、彼の立場が東雲と対になっていることを仄めかされ、彼自身が最も恋について知りたがっていたことが決定的となる。
東雲と西条の求めていたものが同じであったという展開により、物語は、北代と西条の間に居た東雲=西条となって、彼の本心を明らかにしようとする。最終巻となるという7巻で、彼らはどのような結論を出すのか、目が離せない。
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