世良田波波「恋とか夢とかてんてんてん」1〜2巻
捨てられない部屋
マガジンハウス
1巻冒頭、過去の若々しい自分とすれ違った主人公・道子が、何もない自分に絶望しかけながら想い人への感情を吐露し、帰路、振り返って、過去の自分の背中を見詰める。希望に溢れた青春云々とは実に安直な言い回しだが、晴れやかに上へ向かっていた視線や指先が、今は、雨にも思えるシャワーを浴びながら上を向いているだけで空を見ずに妄想を見ているようになってしまった現在地に、共感なんかするか、ボケ! 絵を描く熱意を失いながらも、ストーカーまがいに想い人のSNSを追い続け、果ては転勤先にまで押しかける行動力だけはある主人公の恋愛しか頼るものがなくなってしまった焦慮に、気持ち悪さを覚えてしまい、絶対にかかわりたくない人だよ! と思いつつも、一点だけ、道子の感情に惹かれたのが、部屋の描写だった。
1巻14頁
灯りを消し、電気ストーブの明滅が道子の心情を端的に表現している象徴的な1コマである。敷布団の上で布団をかぶって体育座りし、伏せられた目はどこかを凝視している。何かを待っていつつ、何もすることがなく、と言って寝るわけでもなく、時間が過ぎていくだけの道子が切々と訴える「何もない」空間が詰め込まれている。
おそらく折り畳み式だろう小机には、端に置かれたマグカップだけ。その上に描かれたスマホがコマの真ん中にあることが次の展開に早速つながっていくわけだが、それよりもコマ右上に描かれたものにも注視したい。
本棚に並べられた本の内容はわからないが、棚の上に飾られた小さなぬいぐるみらしきものである。子犬っぽい2匹が並べられている。まるで親子のように寄り添って。
後の挿話で、母親との辛辣な幼少期の体験が思い出されるが、この時、道子は同様のぬいぐるみを胸元でぎゅっと両手でやさしく握りながら眠ろうとする場面がある。愛されたい、抱きしめられたいという記憶の源泉をたどるかのような回想は、ほとんど家にいないらしい父、たまに帰ってた父と喧嘩ばかりしていたらしい母や、自分に構ってくれない母。胸元に抱えた小さなぬいぐるみは、今や、承認欲求を満たしてくれる・満たしてくれるかもしれないSNSの「いいね」やLINEあるいはDMのやり取りを照らし出すスマホに置き換わっていた。道子がたびたびスマホを胸元に握りしめながら布団の上でまんじりともせず過ごす描写が多いのは、幼少期から求めているものが変わっていないことを表している。
描かれていない手前の部屋には、別の角度からの描写により、衣類などが畳まれたラックなどが置かれている。道子が常用している黒いリュックもある。
さて、大阪に引っ越して間もない道子の部屋は、荷が解かれていないダンボール箱に囲まれた状態で、机代わりにそれを利用するほどである。オンボロアパートの壁を仮修繕した室内で、注視してくれと言わんばかりに度々描かれるものが「画材」と記されたダンボール箱と、その上に置かれた一枚の、想い人に「いいね」をもらえた絵である。スマホを急いで取ろうと小走りした際に画材箱に足をぶつけて「邪魔だなぁ」という道子の心情を表現するわかりやすいコマもあった。
1巻72頁
想い人とSNSを通じてデートにこぎつけた道子が喜びにころげまわる場面、東京の時の部屋の様子と同じ構図で、大阪に越してきて間もない一場面が上図である。
デートのために買ったワンピースやパンプスが置かれたラック。大きな本棚が消え、ラックの中に本が並び、その本の手前には2匹のぬいぐるみが、じっと室内を見つめていた。画材の箱は、当初は小机の近くに置かれていたが、ラックの隣に移動している。机の上にはマグカップとスマホだ。
実はこの後で部屋は若干の模様替えが施される(下図)。壁の穴の前にラックを移動し、その隣には黒いリュック。画材は、おそらく押し入れに移動させられたようだ。
1巻89頁
布団も東京時代と一緒である。図では描かれていないが、葉っぱらしき模様が描かれた同じ布団であることが他の場面から知れる。明らかにボロボロで汚く描かれた壁などが、室内の古さを表現しているが、この状態がまた、東京の部屋とは異質に、道子の心情と実によく交錯する。効果的ですらあり、みじめな感情に支配されてしまうと、この部屋の状態が、より一層、道子を薄暗い感情に突き落としてくれる。2巻冒頭でデートから帰ると「一瞬で現実に引き戻される部屋だ」と自分で語ることからも、その効果のほどがうかがえよう。
物語としては、2巻中盤で想い人とベッドを共にするものの、相手が頬のヒゲに萎えてしまい、結局、添い寝だけで一晩を過ごすことで、性的対象としても認知されない自分を卑下し、泣き崩れて駅のホームでのたうち回るわけだが、しかしまあ、個人的に、泣き顔をさらしながら、通り過ぎる人々に「泣いてる人」と認知されながら、もちろん道子は周りに見られていることに全く気付いていないことから、その視野の狭さが自虐的に描かれるつつ、実はめちゃくちゃメンタル強いんじゃないかって思わなくはない。けれども、かつて道子が合コンで知り合った男と初めてキスしたときに見えた相手の鼻毛に引いてしまったのと全く同じであることを想起すれば、道子が気持ち悪いと感じた視線を、今まさに想い人に向けているという現実を、まだ受け入れていないところが、実に痛々しい。
3巻以降でどのように部屋の様子が描かれるのか。バイトの同僚・千林との関係が物語にどのように絡み、東京にいる仲間が道子からますます離れていくのか否か、気がかりではあるけれども、2巻の最後のほうで描かれた部屋の様子がもっと気がかりである。
2巻127頁
憶測でしかないが、この構図で必ず描かれていた2匹のぬいぐるみが描かれていないのは、角度的な問題化、スマホに夢中になっていることを描くためにあえて排除されたのかのいずれかと思いたいが、あるいは別の場所に移動させられたのだろうか。
幼少期のぬいぐるみは色がついていたので、今のそれとは違うだろうが、画材はもちろんのこと、捨てられずに大阪に持ってきた2匹のぬいぐるみの描かれ方にも、ひっそりと注目している。
(2025.1.20)
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