「こくごの時間」 メロスは遅刻した

秋田書店 AKITA LADY'S COMICS DX MOTTO!

雁須磨子




 国語の教科書で多くの人が読んだことがある短編小説や詩・短歌などをモチーフに、とあるカフェの店長・朝子を中心に綴られた連作が雁須磨子「こくごの時間」である。
 感想文書くの大好き少年だった私にとって(やってることは今も変わらないなぁ)、国語の授業は楽しい時間でもあった。みんながどんな感想を書いたのかはどうでもよくて、先生をあっと言わせるような感想文を狙って書こうというひねた根性の下で書いた中で、もっとも誉められた記憶があるのが本作第7話の題材にもなった「山月記」の感想文だった。
 今となっては何を書いたのかも忘れてしまったし、とっくに紛失してしまったわけだけれども、これがきっかけかどうかはともかく、「山月記」ひいては中島敦の作品から一時期大きな影響を受けたものである。
 とまあ個人的な思い出をつらつらと語りたくなるほどに、「こくごの時間」は、作品のキャラクターたちと共に語り合う欲求に駆られる。第一話のおしゃべりのごとく、国語の授業というものは思いの他、人の記憶に残っているもので、誰でも好きな文章や忘れられない歌があるに違いない。
 そうした中で、おそらく一番多くの人々に読まれているだろう・かつ有名な教科書掲載作品が「走れメロス」だ。昔の文人の金や女へのだらしなさに触れつつ(中島敦も女性関係にだらしないんだよなぁ……)、その筆頭とも言える太宰治の、壇一雄との一挿話を交えながら(壇一雄も大概だと思うんだがなぁ……)、「待つ」ということの意味を店長と常連客が語り合うコメディ要素と並行して、たまたま来店した不倫を続ける女性の内面を訥々と描き出した第3話は、「こくごの時間」の挿話の中で最も優れた一編かと思われる(もちろん個人的には「山月記」の回をとりあげたいんだけど、雁須磨子作品って、たまに生理的に受け付けない性格のキャラクターが登場し、第7話も例に漏れず。「つなぐと星座になるように」も面白かったんだけど、主人公たちのキャラクター性に最後まで馴染めなかった。まあ、それはともかく)。
 もっとも、「待つ」ということに関して語るならば、それこそ「ゴドーを待ちながら」やらを持ち出さなくてはならないんだけれども、そんな教養を持ち合わせていない私にとって、「走れメロス」的待つことの問い掛けは、実に爽快であった。太宰と壇の挿話から、太宰を下衆と断じ、そんな奴が書いた走れメロスなんて……とわいわい語り合う。
 不倫女性もそこに加わると、彼女は店長たちの盛り上がりに加わる一方で、彼が妻の身を案じていることや本当に私の関係で苦しんでいることも理解しながら、いつか離婚して自分の下へ来るという口約束を根拠に、彼を待ち続けることへの本心を読者に明示していく。メロスとセリヌンティウスが互いに殴り合って友情を確かめ合う場面で、ひょっとしたらセリヌンティウスはメロスに気を使ったんじゃないかという深読みは、彼女自身に閃きを与えたのである。
 待ちたかったの
 彼女のモノローグによる2コマが素晴らしい(65頁)。
 彼との関係といって思い出されるのが約束を反故にされて待つ自分と、キスである。特にキスのアップのコマに、二人の関係がどのようなものだったのかが象徴されている。自分への言い聞かせもあるのかもしれないけれども、彼にとって彼女を待たせているという状態そのものが、太宰的というかメロス的能天気さでもって、彼女を解放するのである。
 彼から送られたメールから察するに、彼の妻は流産して動揺していることが知れる。彼は、彼の庇護を必要とする妻に身を転じたのだろう。常に待たす側であり続けたい彼にとって、彼を待つ妻と言う存在が新たに生まれたのである。用済みという言葉は出てこないけれども、要はそういうことである。
 簡単に言ってしまえば、太宰的下衆な自己陶酔はお互い様であった。素晴らしい2コマ、1コマ目の右端から現れた彼女が、2コマ目で左端に見切れて描かれ、待ちたいと思う自分を認めるモノローグが挟まる。前進する彼女。前頁でちょっと俯き加減に描かれていることも手伝って、上目遣いが強調される演出。彼との別れを決意したことが知れる、映像が浮かぶような・彼女の言葉が聞こえてくるような、名場面である。
 食後のデザートを待ちながらの談話の中で手にした真実は、単純明快な、当たり前の感情だった。
 遅刻をきっかけに始まったおしゃべりは、遅刻したバイトの男の子に向けた滑稽なセリフにより挿話全体をコメディチックに締めくくる。雁須磨子作品の多くに、キャラクター同士の軽妙な言葉のやりとりやすれ違う思い思いがあるんだけれども、あの2コマのような優れてマンガ的な場面をさらっとぽつんと描いてしまう、そのコマとしての軽妙さもまた作品としての魅力をぐいっと一段上げる動力なのだ。
(2015.3.9)

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