「この世界の片隅に」

双葉社 ACTION COMICS 上・中・下巻

こうの史代



 映画「紙屋悦子の青春」は戦時下の鹿児島を舞台にした悦子の青春の一ページを淡々と綴った作品である。元々舞台として編まれた原作ゆえに、映画も屋内のセットを中心にキャラクターの対話が当時の世相を暗示させつつ、悦子が置かれている状況を説明していく。派手な演出も印象強い音響もあるわけではない。普通の日常を普通に描くことに徹したかのような映像。知らない人とこれからお見合いをする悦子(原田知世)と相手の青年(永瀬正敏)の様子がユーモアたっぷりに描かれる。けれども、戦争の影が消えることはない。「配給」や「沖縄」といった言葉がセリフの端々に加えられていく度に、観客は、今から見れば決してきらびやかなものではないかもしれない悦子の青春に、これが当時の一つの恋愛の形だったのだろうかと考えさせられる。
 こうの史代「この世界の片隅に」を読みながら、主人公すずののんびりとした日常に悦子(というか原田知世)の喜怒哀楽が幾度も重なったわけだが、必ず訪れる戦争の終わり、という動かせない物語上の通過点を強く意識させる作品に、一読者としてどう向き合えばいいのか戸惑ってしまった。作品の副題として提示される「〇年〇月」が、20年8月に次第に近づいていくにつれて、物語のキャラクターたちの言動とはまったく別のところで、一体すず達はどうなってしまうのだろうか?空襲は?あの日は?終戦は?……と一人右往左往してしまう。歴史物を扱うときに必ず味わう感情なわけだが(例えば戦国時代が舞台なら天正10年6月が迫ってくるにつれてドキドキするような)、無名の一個人が主人公なだけに、決められた流れの中で彼女がどう翻弄されていくのか・振舞うのかに注視せざるを得ない。漫棚通信さんのレビューで指摘されているように、いくつかの伏線が終盤になってどっと回収されていく物語を読み込む快感がある一方で、私は、バラバラになった様々な絵が、最後に一つにまとまっていく様子に静かな感動を覚えずにいられなかった。
 出発は変わらない日常だった。冷えた手を「そすそすそす」とこすり合わせて暖かい息を吹くかける、すずの変わらない様子や、乾燥させた海苔を回収する場面の同構図による反復などによって、すずの日常の平凡さ・読み終えた今となっては平和な様子にしみじみとしてしまうのだが、家族や親戚に囲まれた幼少から嫁ぐまでの彼女が、身近な人々とともに、狭い世界とはいえ、まとまって安穏に暮らしていた。
 すずは結婚によって、囲まれた平和から見知らぬ世界に移動することになる。一人だけ離れてしまった。嫁いだ先はよく知らない夫やその家族であり、土地も知らない。一面整った模様の着物に、突然継ぎはぎされた布のように、すずは北條家にやってきた。夫・周作にとってはかけがえのない・必要な布だが、周作の姉・径子にしてみれば、違和感ありまくりの縫い合わせた布に過ぎない。そんな径子でさえ、嫁いだ先では不要な継ぎはぎでしかなかったのだろうか。
 劇中では裁縫場面がよく描かれる。描かれずとも、キャラクターの衣服の変容を追っていく事で、戦時下の物不足の様子が間接的に伝わってくるだろう。食事の貧しさだけでなく、そうした点も当たり前のように抜かりなく描写されている。さりげなさ過ぎて目立たないかもしれないが、困窮するにつれて、衣服の継ぎはぎが書き足されていくかのような感じで、キャラクターの衣服がみるみるみすぼらしいものになっていった。すずの着物はモンペになり、いくつもの生地によって補強されていく。年月の経過だけでなく、着物が傷んでしまうような作業が増えていくことからも察せられるそうした衣服の変化は、終盤に至って空襲という唐突な変化によって加速させられる。そして晴美……
 すずは、取り返しのつかない過ちを中巻で径子に対してすでに行っていた。「裁ち間違えた」と頭を抱えんばかりにバラバラにされた布切れ。一体どんな服を繕おうとしていたのか見当が付かないと嘆く義姉は、それが自分の服であることにさらに驚くというオチが付くけれども、下巻の晴美に訪れる災禍は、オチなど付けようがない、どうにも取り戻すことの出来ない事態だった。
 すずの右手と一緒に切れ切れになった晴美。径子はすずを人殺しと罵る。投下された時限爆弾の犠牲となった晴美を、何故庇えなかったのかとすずは自分を責め続けた。様々な可能性も全て空しいとは知りながらも、考えずにいられない。晴美を裁縫のように繋ぎ合わせることなんぞできやしない。すずの失われた右手が描く晴美が、花を繋いだ冠を小さな頭に載せているのが偶然だろうけれども言葉に出来ない感情を私に与える。
 どうしようもなさは、読者がそれぞれ抱えていたはずの「〇年〇月」という副題に、すでに込められていた。20年8月はどうしても避けられない。物語ともキャラクターとも無関係だったはずの感覚が、それとは別の手段によって、意想外の展開によって主人公にもたらされる。すずたちが生活する呉空襲は現実にあった。そこでキャラクターが例えば死んだとしても、やはりそれは避けられない流れだと思われた。けれども、物語は時限爆弾の破裂という形式を採用する。流れを乗り越えて安堵した矢先にすずと晴美だけでなく読者をも襲った唐突な展開は、すずがひょっとしたらありえたかもしれない晴美の助かった道を探るように、読者というか私にとっても、晴美という少女のキャラクターがここで何故死ななければならなかったのか、他に展開がありえただろうに、という無粋な思索を促した。ありえたかもしれない別の展開。これこそが、終盤にどっと押し寄せる様々な描写を支えているのは言うまでもない。
 戦死した兄は、ひょっとしたらどこかで生きているかもしれない。座敷童子は、ひょっとしたら長じて遊郭に入り、そこで偶然知り合ったリンになったかもしれない。右手があれば、終戦後のいろんな景色を手帳に書き残したかもしれない。……
 8月。すずは実家である広島に戻る準備をしていた。子をもうけることが出来ず、右手を失い、家事もままならない現状、北條家に留まる意味がないと考えたからだった。あの日をどう描くか注視していたはずの私は、広島に行ってはならないとすずに呼びかけいた。行こうが行くまいが変わらない現実があるにもかかわらず。そして、あの日が過ぎ、すずがまたひとつの流れを乗り越えて、私は「良かった」と思ったのである。何が良かったのか説明は出来ない。右手を失っても命が助かったすずに「良かった良かった」と声を掛ける周囲の人々と、私は同じだった。いやもっとひどいかもしれない。何が良かったの? と問われても私は答えることができない。私の感情もバラバラに・複雑になっていた。
 物語は、そうしたカケラを少しずつ集め始める。径子は、すずにモンペをやる。「ゴムひもが寄せ集めで申し訳ないが」というセリフが、晴美の死とすずの関係に決着を付けたのを暗示しているのだろう。軍事訓練や怪我による入院で一時バラバラになった北條家も、親戚ともどもまとまって暮らすようになった。すずも実家には戻らないことを決めた。物語は、冒頭のみんなでまとまって暮らしていく平穏な日々に少しずつ戻ろうとしていたのである。「20年9月」と物語が続いていくことで、流れとは無関係に生きていく無名の人々がいたことを思い知らされた。そして、「呉」という地名の由来そのものが、九つの嶺がまとまって囲んでいる小さな・けれども確かな世界を形作っていることが周作によって語られる。
 すずは北條家にとって必要な生地になれたのだろうか。それは誰にもわからない。ただ、最後に身寄りのない子どもを引き取ることで、その子がまた違う模様を北條家に織り成したことは想像に難くない。
(2009.5.25)

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