森つぶみ「転がる姉弟」1〜3巻
夜の手触り
ヒーローズコミックス ふらっと
連れ子同士の親の再婚によって、姉弟となった高校一年生と小学二年生の二人を中心に新しい家族が、家族としての形を作り上げていく物語も、キャラクターが増え、二人の役回りも段々と見えてきた感じがある。手探りから始まった関係性の構築は、作者が少しずつ物語の形をキャラクターに動いてもらい塑像することで、読者一人ひとりにも、作品の楽しみ方が増えていったと思われる。
実質、主人公と言える高校生のみなとの恋の行方であったり、物語のひっかきまわし役となった弟の光志郎の無邪気とも怖いもの知らずともいえる戯れの愉快さであったり、堅物の爺さんがちらりと見せる温和な表情であったり、見どころは物語が進むにつれて増えていくばかりだ。
そんな中にあって、私がとても注視してしまったのが、夜の描写である。
1巻43頁 新しい家の中を、夜中に彷徨う光志郎
2話、光志郎は夕飯後のうたた寝から目覚めると、すっかり夜中になっていた。新しい家の感じになれない光志郎は、どこかに行くでもなく立ち上がると、ふらふらと母親を探して広い家を彷徨う。新しい家族となった父と母の寝姿を見た直後の光志郎の台詞は、寂しさをまとっていよう。やがて、トイレに行くために目が覚めたみなとが、居間で泣きはらしている光志郎を見つけた……
上図は、夜の描写の一部である。真っ暗ではなくて、なんとなく先が見える暗がりの様子が、コマ全体を覆う斜め線の描き込みと筆致により、波のような縞模様のような夜の屋内が演出されている。たまねぎ頭の光志郎の不安気な表情は、2コマ目の不安定な廊下や扉の構図によってより強調されている。
グレー系のスクリーントーンをコマ全体に貼って夜であることを記号的に明示することも出来るだろう。だが、作者は手描きの線によって独特な雰囲気の夜の明るさを描く選択をした。デジタル作画で手描きの夜をトーン化して流用していると思われるが、そこは大きな問題ではない(作者のTwitterを確認すると、この線はすべて手描きと思われるが、それはまあ置いといて)。夜のほの暗さを、手描きの線で表現した、ということによる効果が重要なのである。
この効果は、そこはかとなく静けさと密室感を際立たせるように思える。
1巻118頁 土管の中の光志郎と友達
上図は土管の中で友達の家出に付き合う光志郎たちである。現実的に、日中の土管の中は確かに真っ暗だろうが、黒ベタにするような、先が全く見えない暗さでないことは百も承知だ。けれども、ここではキャラクターの陰がかかった表情に、夜の手描きの波模様の薄暗さを被せている。土管の中の黒ベタは、左右の半円の白地によって、土管の中の狭さ(と同時に四人の関係性・距離の近さ)を強調するとともに、お互いの顔は見えている、という状況説明を暗に示していよう。外の明るさに比して暗さを際立たせると同時に、キャラクターの描線と陰の描線が、手描きであることによって衝突せず融和しているのである。
夜の車中の描写もまた味わいがあるだろう。
2巻139頁 警察に保護されたみなとの祖父を父とともに迎えに行く帰りの車
1コマ目の街中の夜の描き方は、建物や車などだけの人のいない景色である。星空だけでなく道路も黒くベタ塗りされ、歩道側が白く抜かれ街灯による明かりを思わせる。そんな街の中を走る車の中を、影と光がキャラクターたちの表情を通り過ぎていく。映像であれば、かなり映える場面だろう。
2コマ目の眠っている光志郎が、静けさを誘う。もちろん実際には走行音がこだましていよう。けれども、そんな外部の音は、波模様の夜の描写によってかき消されている。この手描きによる夜の影は、本来聞こえているはずの擬音の入る隙間を狭め、影によって周囲の物体と同一化したキャラクターたちの内面を、そっと浮き彫りにするのである。
この効果は、3巻終盤の挿話によって、みなとと光志郎の思いを引き出した。物質的な黒ベタと、グレー系のスクリーントーンにより、本当に暗い時こそ、不思議な明るさによって対話が描かれるのである。単にキャラクターの表情に影を描き入れられないという演出上の都合もあるだろうが、光志郎が行方不明になってみんなで捜索する場面の、これまでにないベタ塗りの多さに、本当に真っ暗になっていく街の中の様子に、独りぼっちの光志郎が強調されるのである。
「ヒュオオオ」と光志郎が「宇宙みてぇな音がする」と形容した洗濯機の排水ホースを振り回す音に何事かと偶然聞きつけたみなとに、光志郎は宇宙人がやってきたと思うのも面白いが、それはともかく、二人がすっかり夜も更けた川岸で、対話を行う場面を注視したい。
これまでの手描きの影の波模様は控えられる。景色だけの場面こそ先の引用図の1コマ目のような黒を躊躇なくベタ塗りして夜の暗さを描くが、ここでは、白い背景にキャラクターを描き、顔の影にトーンを貼るのである。
3巻150頁 白い背景だが、実際には夜の、明かりのない川べりのベンチで対話する光志郎とみなと(個人的には152頁のくだりが大変すばらしいのだが、それは実際に読んで味わいたい)
キャラクターの表情に手描きの影を加えれば、上図のような光志郎の泣き顔は描けない。そんな現実的な理由もあるだろうが、ここでは静けさは後退し、川の流れる音や前のコマで描かれた光志郎の咀嚼音や涙ぐむ声が、なんとなく聞こえてくるのである。トーンによって線の情報が薄くなったためだろうか。
もちろん、これは私個人の勝手な思い込みに過ぎないけれども、多くの読者には聞こえたのではないだろうか。対話を終えた二人の下に駆けつけた光志郎の母やみなとの父たちの姿に、黒くベタ塗りされた夜空に響く「光志郎!」という叫び声を。台詞も擬音も描かれていないけれども、手描きの波模様の影からは全く聞こえなかった擬音が、聞こえた気がした。光志郎を抱きしめる光志郎の母の声を、確かに聞いたのである。
(2022.4.3)
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